第八話 平家最後の棟梁
もしかしたら、兄がした今の話は、壇ノ浦の戦の話なんじゃないかと、思った。さっき僕の頭に流れ込んできた話の最初に『壇ノ浦の合戦』って、言っていたから。あれは……決戦前の会話……?
2人は黙ったまま僕を見ている。
……
刹那の沈黙のあと「そうだ」と言ったのは、兄だった。
「晃。今まで言っていなかったが……俺には、前世の記憶がある」
「……!」
「俺が持つ記憶は恐らく……、平家最期の棟梁だった『
「……」
前世の記憶があるというのは驚きだが、『平宗盛』という武将の名は、正直、今一つピンとこない。
平家の棟梁って清盛じゃなかったんだぁ……などという、安直で、漠然とした思いだけである。
兄はそんな僕の顔を見ながら、眉を下げて笑う。
「まぁ前世の記憶と言うてもほんの一部じゃけぇ、その時の思いまでがすべてわかるわけではないんよ。だけど……周りが呼ぶ名や色々な状況からも、俺はこの記憶が平宗盛のものだと確信した。それからというもの……俺も色々調べた。もしかしたらと、思おてから。
そう言う兄は、やはりいつもの兄である。だけど、前世の記憶があるというのも、なかなか頭の中がこんがらがりそうだなぁと思った。
自分の記憶ではない記憶。
兄は軽く息をついてから続ける。
「宗盛はあの有名な
……だけど調べれば調べるほどに、宗盛自身は歴代に於いてもぱっとしない武将とか、一門滅亡の際にも皆が潔く死ぬ中、自分は助かって命乞いまでした情けない人物だとか……なんやかんや色々言われとるのを見かける。……だけどこの人の記憶が断片的とはいえ、時々考えてしまってな」
「……」
「実際のところ、壇ノ浦でだって、進言を聞き入れたからと言って平家の滅亡は避けられんかったとは思う。この段階では、既に平家は追い詰められ、戦力差、補給路等……いろんな面において源氏側に分があったという。
だけど歴史をよく知らなかった俺は、なぜ、宗盛は弟ではなく
総大将の、重み。そうだよなぁと……思う。
その一言で人の命なんか簡単に左右されることもあっただろうし、この時には平家一門の命運がかかっていた。
……物凄い重圧だろうと、思う。
「この人はそれまでにも色々判断を誤ったとか、決断力に欠けるとも言われたりもするしな。じゃけぇまぁ……いろんなちょっとした積み重ねを、今でも思い出すんかもしれんよな。じゃが、それは結果論であって、その当時大きな判断を下すんも、ものすごく勇気の要ることだったと、思う。
……この時一つとったって、結果論からすれば、弟の言うこと信じて重能を切ってしまえば良かったのではと思うかもしれん。が、自分の命令ひとつで重能や一門全ての命を左右するなんて相当なプレッシャーじゃろうしな。弟よりも重能を信じたと言うよりは、単に重能を切れんかっただけなんかもしれんし、切るにはあまりに信用しすぎとったんかなぁ……とか、俺も色々と考えるわけだ」
︎︎……確かに、ああすればよかった、こうすればよかった、なんて、後からならいくらでも言えるものだ。だから人間は後悔するものだし、その時の何が正しい選択だなんて、きっと、誰にも分からない。
︎︎兄は、そのまま続ける。
「……でも、重能が裏切ったのは事実で、平家が負けたというのもまた事実。弟の知盛もそれは当然口惜しかっただろうとは思うが、彼は兄を責めるでもなく、その運命を受け入れ……一族と共に入水した。最後まで武士の矜持を重んじた弟の生きざまは、やはり凄く、格好いいと思う。宗盛にはできんかったことでもあるしな。……じゃけぇ、今世でも弟がおる『俺』は、弟のことは俺が一番、信じようって」
「……うん」
「弟にもあんな顔させたくないしな。既に人格が違うけぇ『俺』という人格が脚色した部分や捉え方の違いは大いにあるかもしれんが、俺の思う『平宗盛』と言う人物は、世間で言われているよりずっと普通の人間で、ずっと、すごい人だと思うんよ」
「……なるほど」
色々と腑に落ちた。兄の先ほどの行動も、先だって元服したのも、きっと意味があったのだ。
そして……兄が今まで僕に前世の記憶を話してこなかった理由。それは、兄が前世の弟に、何か思う所があるからなのだろう。
兄は……僕に前世の弟の姿を重ねまいとしてくれていたのではないだろうか。
……。
平宗盛。正直、僕自身そこまで歴史に詳しいわけでもないし、それまでその名前を聞いても歴史上の誰か、というだけで、それ以上はなかった。だけど、この人が生きた証が記憶として兄に残っているということは、なんだかすごいことだなぁと、思う。
改めて、兄を見る。平宗盛の記憶が残る、兄。
「じゃけぇさっきも、ほんまは最初の一撃でキメて、かっこえぇとこ見せたかったんじゃけど」
「……!」
「でも結局、一人じゃ勝てんかったなぁ」
「……兄ちゃん、かっこえかったで」
「……」
「ほんまに、かっこえかった。すごい! って、思おたもん」
「……ほぉか」
僕の言葉に、先ほどまで硬い表情をしていた兄は、相好を崩して笑う。
そんな……穏やかに話す兄を見ながら、僕も兄を大事にしないとなぁと思った。……普段僕ばっか反抗しよるけど、兄はいつも穏やかなのは、そういう前世を思うところがあるのかもしれない。……と。
……そういえば先程秋宮くんも、記憶がないことと元服していないことは、関係があるような口ぶりだった。
僕が秋宮くんをちらりと見ると、秋宮くんは折を見てゆるりと話始める。
『元服』の条件は、もしかしたら前世の記憶を取り戻すこと……か……?
僕が考えていると、秋宮くんが兄の言葉を引き継いで話をする。
「宗盛殿も色々と言われとるかもしれんけど、あの時代の平家を支えるんはきっと大変だったんじゃろうよ。平時ならまだしも、一度崩れた態勢を立て直すのは容易ではなかろう。それも、相手はあの源氏。壇ノ浦の戦の時にはもう平家は追い詰められとったし、兄君が言うように、弟の進言を聞き入れたからと言って戦況が変わるものでも無かったじゃろうなぁ。じゃが、まぁー四国が寝返ったと聞いた時は「うわー……」くらいには思おたかもしれんよな。その記憶が残っとるということは」
「……」
「ショックだったり後悔だったり、衝撃の大きい記憶は残りやすいが、残っとる記憶は極一部じゃろ? そん時の宗盛殿の考えはもうご本人にしか分からんが……今世もお主は兄であるが故に、今世は弟やそういうものを大事にせんといけんと思おたんかもしれんな。ええ兄君ではないか。現代の解釈では、平宗盛殿は武将としてはあんまりええ評価をされとらんかもしれんが、基本的に家族思いの優しい人だったとも言われとるんよ」
「へぇ……」
「当時では珍しいいくめんだったりな。赤子を自らの手で育てたり」
……知らなかった。歴史の授業では『誰が何をした』という切り抜きしか教えられないけど、そういう側面を聞くと、確かにその時代を生き抜いた一人の人間としての像が浮かび上がってくる。
秋宮くんは僕らの反応を見ながらゆったりと続ける。
「壇ノ浦で同胞が次々と入水するも、泳ぎの上手かった宗盛殿とそのご子息は結局助かってな。助かったと言うても、その後別の地にて斬首されてしまうのじゃが。それでも最後の最後までご子息を案じた、良い父君でもあったのじゃよ」
「そう……なんだ」
「ほんまは、平和な世が似合う男だったのかもしれんのぉ。重能殿を切れんかったんも、ほんまに人を信じとったんか、優しさ故か。そこまでは俺にもわからんがな。ま、前世は前世で、もう今は別の人生を歩んどるわけじゃし、宗盛殿の話はこんなもんで。色々調べてみたら、晃くんの前世もわかるやもしれんけどな」
「……!」
僕の前世。僕には全く前世の記憶なんてないと思っていたけれど、先ほど見た会話は……あれが、前世の記憶なのだろうか。それとも、兄の記憶が流れ込んできただけなのだろうか。
すると徐に秋宮くんは「そろそろかのぉ」と海の方へ歩き出した。魔物は
雨も、先ほどから少しずつ雨は小降りになっていたけれど、まだ微妙に霧雨が降り続けている。
「そろそろって?」
「君ら、眞城くんを追いかけてきたんじゃないん」
「……あ」
そうだった、すっかり忘れていた。
眞城くんは無事なんだろうか。
「今、あっ、て言うたな? 薄情じゃなぁ。まぁ彼なら大丈夫じゃろ」
「なんでそんなことが言いきれるん」
「先ほど、兄君が切り伏せたこの魔物。通常群れで動くと言うたじゃろ」
「……!」
「こっちに二体しか来んかったんは、眞城くんのおかげかもしれんぞ」
「えぇっ??」
今日は色々と情報過多だ。
……だけど眞城くんって……そんなに凄い人なの? 確かに、剣道の全国大会で毎回優勝はしているけれど、初めて対峙したあの時……見た目だけなら小柄で可愛らしい少年だったけれど、その奥に何か……何か、とてつもなく大きなものを秘めているような、そんな雰囲気があった。
……彼にも、誰かの記憶が残っているのだろうか。
彼もまた『前世』という言葉を使っていたから。
……。
驚く僕を見る秋宮くんは相変わらずゆったりとした様子で、そのまま海の方を見遣る。それだけなのにいちいち様になるのはなんなのか……ただ、神官姿、というだけではない何かがあるような、僕のこの疑問の答えを全て持っているのではないと思わせるような……そんな予感がしていた。
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