第19話

 背後の闇を、何台かの車が通り過ぎていった。風と海鳴りしかない今、その通過音は遠くからでもよく聞こえ、耳に残る。そして、夜も深い今の時間、その音は数分に一台の頻度でしか聞こえない。

 つまりは、それだけの時間、僕らは無言だった。

 その間、僕は座り続け、早坂は立ち続けていた。

 もう何台目になるか、車の走行音が近づき、そして離れていく。その音が聞こえなくなるかどうかのところで、早坂が動き、僕の隣に腰を下ろす。

 グッと沈み込むサスペンションに車が傾き、それに合わせて、僕の体も左に傾く。と、早坂に肩が触れる。それはほんの一瞬のことで、車の揺れが収まると再び肩は離れる。だが、その肩を追うように、早坂が隙間を詰めてくる。

 肩が、それから腕が触れる。

「早坂?」

名前を呼ぶが返事はない。代わりに、触れ合った腕の圧が増す。その重さ――そう呼ぶには軽すぎる早坂の存在感が、熱が、僕の腕から伝わってくる。僕がその圧に押されないよう力を込めると、早坂はさらに体を預けてくる。

「ねえ村瀬」

 今度は早坂が名前を呼ぶ。僕はそのままに次を待つ。

「日の出って何時ごろなのかな?」

訊かれて、そういえばと思い出す。そもそも僕らが海に来たのは、早坂が日の出を見たいといったからだ。ただ、それが何時なのかは僕もわからない。

「さあな。多分朝の六時くらいじゃないか?」

「そっか。ちなみに今は何時なの?」

腕時計を見ようと視線を落とし、しかして左腕は早坂が身を預けてきているため動かせないことに気付く。そこで空いた右手で上着からスマホを取り出し、その時計表示を確認する。

「二時四十五分だな」

「なら、まだ結構時間あるね」

「そうだな」スマホを上着に戻す。「どうする? 少し寝るか?」

問いかけに、早坂は首を振る。

「今寝たら多分起きられないよ」

「だろうな。俺もそう思う」

「村瀬」

名前を呼ばれ、左腕をくいと引かれる。

「なんだ?」

と、そこに早坂の顔があった。

 あ、と思う間もなくさらに腕を引かれ、気づけば唇が触れあい、押し当てられる。そして、そんな不意打ちの数秒後に早坂は離れ、閉じていた目をゆっくりと開く。

「早坂」

「村瀬」

そんな早坂への問いかけへの返事もまた、僕の名だった。なんだ? とは訊かない。黙した僕に、早坂が口を開く。

「セックスしよう」

 曖昧さの一切を省いた、酷く直接的な提案。僕の目を離さない視線に、嚥下した唾が嫌にゆっくりと喉を通り過ぎていく。

「冗談、で言っているわけじゃないんだよな?」

ふふ、と微笑む早坂が目を細める。

「村瀬次第だよ。どう受け止めるのもね」

そう言って優しく笑う早坂に、ズルいやつだなと思わずにはいられない。要は、僕が腹を決められるかどうかということだろう。

 ただ、僕らはもう出会った頃の、蛹から羽化したばかりの成虫ではない。とうに羽も伸びきり、我が世の春と飛び回ったうえで、たまたま羽化したのと同じ幹に戻ってきた成虫なのだ。

 なればこそ。

 もたれた早坂をぐいと押しやり、向き直ってからに両肩をしっかりと掴む。その途端に早坂の肩が強張るが、それも数瞬の後にはすう、と溶けるように抜けていく。

 見つめた先で早坂が再び目を閉じる。そんな早坂の無言の問いかけに、答えて僕は口づけをした。

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