第3話

 常磐道の柏インターで高速を降り、ナビに従って駅前を目指していく。その途中、今走っている道が国道十六号線だということに気付き、得も言われぬ違和感を覚える。神奈川在住の自分としてみれば、国道十六号線は神奈川の道路のイメージだからだ。

 その十六号線から駅方面に曲がったところで、適当なコンビニの駐車場に車を停める。この辺で一度早坂に連絡しておくためだ。

 番号を呼び出し、電話をかけるとすぐに早坂が出る。

「もしもし? もしかしてもう着いたの?」

「いや、まだだけど近くまで来たから。ナビ通りならあと十分くらいで着けるはず」

「あと十分だね、それじゃあ東口のロータリーで待ってるから」

「東口な。了解、着いたらまた連絡する」

 短い会話を済ませると、再びギヤをドライブに入れ、駅へと向かう。駅に近づくにつれ車の往来が増えてくるものの、渋滞するほどではないあたりに都心との違いを実感する。もっとも都内の駅前近郊になど、仕事でなければ車で行こうとはとても思わないのだが。

 程無く駅前に到着するとロータリーの車寄せに停車し、ハザードランプを点灯させる。車内から付近を見回してみるが、早坂と思しき姿は見当たらない。とはいえ、そもそも自分の覚えている早坂の姿はもう何年も前の姿なので、果たして今の早坂がそのイメージ通りであるとは限らない。

 再びのスマホに、発信履歴から早坂をタップする。

「もしもし?」

ワンコールもしないうちに早坂の声がする。

「着いた?」

「ああ、今ロータリーに停まってる」

「了解、あ、車何?」

「ネイビーのインプレッサ」

「ネイビーって夜だと黒と見分け付かないよね?」

「だな。まあハザードたいてる相模ナンバーの黒っぽいスバル車が俺だから」

「はーい、と、もしかしてあれかな?」

そんな声がしたかと思うとしばらく会話が途切れ、代わって助手席の窓がコンコンと鳴る。

「お待たせ」

 音に目を向けた窓の向こう、スマホ越しに聞こえた声と同じ口の動きをする女性が手を振っている。随分と印象は変わっているものの、それでも一目でわかった。

 早坂だ。

返事より先に通話を切り、続いて助手席のパワーウィンドウを下げていく。

「おう、開いてるから乗れよ」

「うん。でもその前に荷物あるからトランク開けてもらっていいかな?」

「荷物?」

そう言う早坂にシートベルトを外すと、後方を確認してから外に出る。それから歩道側に回ると、早坂の後ろには少し大きめのキャリーバッグが置かれていた。

「随分でかいな」

僕が見たままの感想を述べると、早坂は「まあね」とどこかバツが悪そうに表情を曇らせる。いったい、これだけの荷物を持ってどこに行くつもりだったのか――当然ながらに浮かんだ疑問を、思ったそばから口にしない程度には僕らは歳を重ねてしまっている。

「今後ろ開けるから」

 車体の後方に回り、ハッチバックを跳ね上げる。「ほら」と手招きすると、早坂が「重いよ?」とそれを手渡してくる。キャリーバッグの持ち手に手をかけると、なるほど確かにずしりとした重みを感じる。そこで、少し腰を屈めて勢いをつけると、一息に胸の高さまで持ち上げ、カーゴスペースに積み込む。

「よし、他は大丈夫か?」

「うん、あとはトートだけだから」

早坂の返事にハッチバッグを閉じる。それから早坂に向けて一つ頷くと、早坂も「うん」と頷き、助手席に乗り込む。

「車、乗り換えたんだ?」

 運転席に戻った僕に、早坂が車内を見回しながら訪ねてくる。

「ああ、三年くらい前かな? といってもこれも中古だけど」

「それもそっか。だって前に村瀬の車に乗せてもらったのって、もうずっと昔だもんね」

そう言って視線を落とした早坂には「だな」とだけ答えると、ギヤをドライブに入れウィンカーを上げる。

「とりあえず出すぞ?」

「うん」

答えた早坂はゆっくりと顔を上げると、静かに前を見つめていた。


「ねえ、これって今どこに向かってるの?」

 信号を一つ、二つと通り過ぎ、心なしか交通の流れがよくなってきたあたりで早坂が口を開く。

「いや、特にどこにも」

ウィンカーを上げてハンドルを切りながら僕も答える。

「とりあえず、来た時に通った道を戻っているから、このままいくと十六号に出るな」

「そっか」

呟く早坂が一度目を伏せる。

「そういえば、村瀬ってご飯食べたの?」

「まだだな。会社からまっすぐ帰って、そのあとはすぐに出てきたから」

「……そっか」

再びの呟きに、早坂は小さく「ごめんね」と付け加える。その謝罪の言葉は、今日の一連の流れを考えればごく自然なものに思える。だが、その当然とも思える自然さにこそ、僕は不自然さを感じてしまう。僕の記憶にある早坂ならば――会話の途切れた行間に、そんなことを考えてしまう。そこはきっと、「ごめんね」ではなく「ありがとね」ではなかっただろうかと。

 十六号に出る交差点で信号につかまり、一時停止したところでこちらから話しかける。

「早坂は何か食べたのか?」

「私? 食べたよ、とはいってもつまむ程度だけど」

右手の親指と人差し指で隙間をつくり、ちょっとだけとそれを示す。

「どうする、どこか店入ろうか?」

「私はどちらでも。村瀬こそ何も食べてないんでしょ? お腹空いてないの?」

「俺か? 俺は、そうだな……」

言って手を当てながら腹具合を探ってみるも、意外や空腹感は感じていない。

「特に空いてるって程ではないな。まあ食べようと思えばいけるんだろうけど」

「なにそれ?」

早坂は呆れ顔で言うと、流し目気味にこちらを見てはクスリと笑う。

「それじゃとりあえずコンビニ寄ろうよ。飲み物くらいはあった方がいいだろうし」

その提案に同意した僕は、程無くして見つけたコンビニに車を滑り込ませる。すると、停車するが早いか早坂がベルトを外し、「村瀬は待ってて」と僕を制してドアを開ける。

「ねえ、飲み物何がいい?」

「コーヒー系の少し甘いやつ。ペットボトルの方がいいな」

「了解。それじゃ行ってくるね」

 バタンと閉まるドア越しに見送る早坂の背中は、どうしたってかつての僕らを想起させて、そうして浮かんできた記憶はどれもがどこかむず痒い。そしてそれは、記憶の中の僕らがいずれも若すぎるからなのかもしれない。


 ものの五分ほどで買い物を済ませた早坂が戻ってくる。

「はい、これ村瀬の分」

レジ袋からサッと取り出し差し出されたそれに、受け取りつつも思わず顔をしかめてしまう。

「俺、コーヒーって言ったよな?」

「うん、言ってたね」

「じゃあ、これはなんだ?」

「炭酸だね」

返事よりもため息が勝った僕は、もはや何も言わずにギヤをリバースに入れる。そのままするすると車をバックさせて切り返すと、やはり何も言わずに車道へと走り出す。

「私の中で、村瀬といったら炭酸なんだよ」

悪びれるどころか自信たっぷりにそういう早坂には、やはりため息をくれてやる。と、同時に、確かに二十代も前半の頃までは飲み物といえばやたらと炭酸ばかりを飲んでいたことを思い出し、そんな過去の自分に小さな笑みが浮かぶ。

 赤信号に引っかかったタイミングで、ドリンクホルダーに収めたペットボトルを手に取り、蓋を開け一口を大きく煽る。喉奥まで一気に流し込んだそれは途端に弾け、胃に辿り着くまでにこれでもかと刺すような刺激を与えてくる。

くぅ、としかめた後に、遅れた爽快感がそれらをさらっていく。

「ね、炭酸でよかったでしょ?」

そんな僕を見透かした早坂がふふんと鼻を鳴らすのだが、当の僕はといえば、不思議と気分が悪くない。むしろ、見透かされたこと自体を僅かではあるが不覚にも嬉しいとすら思ってしまっている。

 なんだかな。思いつつも蓋を閉め、ペットボトルをホルダーに戻しがてら早坂に視線を送る。対する早坂は「ね?」とばかりに僕を見返している。

「さすがだよ」

素直な賞賛を送ると、その返事は目を細めての笑顔だった。

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