第七話:「交渉の灯は、神に踏み潰された」
焚き火の灯りが揺れる頃、ロットが草を踏んで戻ってきた。
「ただいまー。ただいま俺! いや~、情報は拾えたけど、長老の昔話がもはや拷問だったわ……途中、3回くらい意識飛んだ」
そう言って、肩をぐるぐる回しながらクロードの隣に座り込む。
クロードは振り向きもせず、短く問うた。
「……もう飯、食った?」
ロットは水筒を受け取りつつ、吹き出した。
「なにその“お袋の晩ごはん確認”みたいな台詞。俺たちもうそんな仲だったっけ?」
「うるさい」
「ツンが過ぎるんだよ、もっとこう『おかえり。無事でよかった』とか……なに、照れてんの? もしかして――」
「うるさい。二度言わせるな」
「はいはい、こわいこわい」
ロットの冗談に、焚き火がパチリと弾ける。
少し離れた岩陰からそのやりとりを眺めていたレティが、ため息混じりに肩をすくめた。
「……仲良くやってるじゃない」
ロットが肩越しに振り返り、どや顔で親指を立てる。
「ほらね? クロードってば、見た目ツンツンだけど、実はデレ待ちタイプだから」
「意味がわからん」
「そういうとこだよ!」
レティはぷっと吹き出す。
「ま、悪くないんじゃない? “友達”くらい、ひとりいても」
そう言ってレティは踵を返す。歩きながらも、くっくっと小さく笑っていた。
ロットは気恥ずかしそうに頭をかきながら話題を変えた。
「そういや、長老の息子が明日、聖団の野営地に行くってさ。朝霧が出る頃に森へ向かうらしい」
クロードはしばらく黙って焚き火を見ていたが、ふとつぶやいた。
「こんなふうに話せる奴……初めてかもしれない」
ロットの手が止まる。だが次の瞬間、わざとらしく咳払いしながら答えた。
「は? 今なんて言った? もっかいお願いしまーす!」
「……わかったから、もう寝ろよ」
「いや今の録音しときたかったなー! 一生ネタにできたのに!」
クロードは焚き火の薪を一つ足すと、ロットの方を一瞥しながら呟いた。
「次に笑ったら、飯抜きな」
「わー、ほんとに仲良くなった証拠だぁ~!」
笑い声が夜の静寂に溶けていく。
***********************************
翌朝、朝霧の立ちこめる渓谷の森を一人の青年が進んでいた。
青年の名はゼノ。共鳴の地を守る村の長老――グラトの一人息子。
魔族と人間の血を引く証として、褐色の肌と尖った耳を持つ。
けれど、その瞳に宿るのは混血ゆえの迷いではない。
村を背負う覚悟と、静かな決意だった。
彼が向かうのは、峡谷の尾根に設けられた聖団の宿営地。
先日の奇襲――村の急進派〈紅角派〉による突発的な襲撃によって、聖団と村の関係は緊張の極みに達していた。
それでも、長老である父グラトは言った。
「話せば分かる者もいる。共鳴の真実を、聞く耳を持つ者がいると信じたい」
その言葉を、ゼノは胸に刻んでいた。
聖印旗がはためく宿営地の手前で、ゼノはゆっくりと手を挙げる。
「敵意はない。話がしたい」
聖騎士たちが即座に反応し、弓を構えたまま警戒を緩めない。
視線の交錯の中、一人の男が陣幕から姿を現す。
銀の鎧を纏った屈強な戦士――アベル・ラインハルト。
聖団副将にして、リシアの盾と呼ばれる男だった。
「貴様、あの村の者か。何をしに来た」
「交渉を。これ以上の血を流させたくないだけだ」
ゼノの声は穏やかだったが、その芯は揺るがなかった。
アベルは鼻を鳴らす。
「ならば最初から、斧など振り上げなければよかったものを」
「それは一部の暴走。私たちは共鳴の封印を守るため、誰とも争ってこなかった」
アベルは視線を逸らす。
その先――白と金の帳の奥に、勇者リシアの姿があった。
彼女は、まるで聖母の偶像のように静かに座していた。
「入れ。お前の話を、リシア様に通してやる」
幕屋に入ると、静謐な空気が流れていた。
神官たちの祈りが低く響き、白と金に彩られた帳の中に、リシアが座している。
ゼノは膝を折り、慎重に口を開いた。
「共鳴の地は、我々にとって命のようなものです。
それは古き盟約であり、大地の鼓動でもある。
どうか、封印を壊すことだけは――」
リシアは静かに首をかしげ、ゼノの言葉を遮った。
「……あなた、“母”というものをご存じ?」
唐突な問いに、ゼノは言葉を失う。
だがリシアは構わず、淡々と続けた。
「私はね、十五年、我が子に会えていないの」
「この命が、誰のために捧げられたのか――考える時間は山ほどあったわ」
その瞳は焦点が合っていない。
けれど、その奥には確かに光があった。
――正しさという名の狂気。愛という名の神意。
「それでも祈ってきたのよ。
あの子のために。神のために。世界のために。……でも、順番を間違えていたのかもしれない」
彼女はゆっくりと立ち上がる。
小柄な体から放たれる重圧が、空間そのものを歪ませるようだった。
「共鳴の封印がある限り、あの子は戻ってこない。私が“世界”を終わらせれば――きっと、始められるのよ。私たちの、新しい世界を」
「それを邪魔する者は、“何者”であれ、許さないわ」
ゼノの背に冷たい汗が伝う。
その声の隙間に、まるで“神の声”が混じっているような錯覚を覚える。
この女は本気で、“神意”と“母性”を同一視している――。
「……なら、せめてこの地の民だけでも、殺さずに済む道を――!」
「あるわよ?」
リシアは微笑んだ。
それは赦しにも似ていて、しかし――断罪そのものだった。
「あなたたち全員が、神のもとに跪き、祈りを捧げ、共鳴の力を差し出すなら――殺しはしない。
ええ、ちゃんと育ててあげる。従順で、清らかな信徒として」
ゼノの拳が震える。
それは救済ではない。征服だった。
そしてリシアは、本気でそれを“善行”だと信じていた。
「――お引き取りを」
アベルが進み出て、ゼノに背を向けさせる。
「リシア様はお情けをかけた。これ以上、礼を失するな」
幕屋を出る直前、ゼノは一度だけ振り返った。
そして、静かに思った。
(この人は、敵でも味方でもない。ただ――止まらない。それだけだ)
村の門が静かに開いた。
ゼノが戻ってくる。
その顔には、疲労と――抑えきれない憤りが滲んでいた。
出迎えたロットが、冗談を封じた声で肩に手を置く。
「どうだった?」
ゼノは短く息を吐いた。
「……ダメだ。話は通じない」
「彼女は、自分の選んだ“救い”以外を、全部“悪”として見ている。……狂ってるよ」
その拳が、ゆっくりと震えていた。
怒りか、恐怖か、それともその両方か。
自分でももう、わからなかった。
すぐに長老グラトと、村の幹部たちが火を囲んで集まった。
ゼノはすべてを語った。
リシアが語った“信仰の救済”。
それがいかに残酷で、歪んだ正義であったかを。
グラトは黙ってすべてを聞き、やがて、低く呟いた。
「……やはり、会わねばならんな。最後の言葉を、交わすために」
「父さん……!」
「このまま戦えば、憎しみしか残らぬ。
ならば一度、正面から向き合い、“我らが人である”ことを示そう」
ロットが静かに口を開く。
「なら、クロードたちにも声をかける。
あいつらが傍にいれば――話し合いで済まなかったとき、必ず力になる」
ロットの言葉に、グラトは静かにうなずいた。
「……お前の“人間の友”か。ならば尚のことだ。今は、心から信じられる味方が、一人でも多くいてくれるに越したことはない」
焚き火の揺らめきが、ゼノの影を長く伸ばしていた。
(リシア……本当にあなたは、神に祈っているのか?
それとも、自分の願いを、神の名にすり替えているだけじゃないのか?)
*********************
そして――会談の朝が来た。
渓谷の南端、古木に囲まれた広場。
そこに、村と聖団、二つの勢力が集う。
日差しは穏やかだったが、空気は凍りつくように張り詰めていた。
村の戦士と住民が、広場を半円に囲む。
その手には、槍、剣、鍬。
数にして百――すべてが村の誇りだった。
一方、聖団はわずか二十にも満たない。
だが、誰一人として怯えていなかった。
その中心に立つリシアが、まるで“すでに結果の決まった儀式”のように、その場を支配していたからだ。
長老グラトが、一歩前に出る。
「この地の封印は、争いを止めるための楔だった。
かつて人と魔が殺し合うことをやめるため、我らは共鳴を“守る”と誓った。
それを、あなたが壊そうとしている――なぜだ?」
風が、リシアの白いローブを静かになびかせる。
彼女は、ゆっくりと口を開いた。
「その誓いは、神が与えたものではない。
……ならば、それは無価値です」
ざわめきが走る。
グラトは眉をひそめ、なおも問う。
「あなたにとって、神とはすべてか?
民の声も、命の価値も、届かぬのか?」
リシアはふと微笑んだ。
「問います。村の兵力は、これで全てですか?」
一瞬の沈黙。
グラトは、真っ直ぐに答えた。
「そうだ。ここにいる者が、我らの盾であり、誇りだ」
リシアは満足げにうなずいた。
「そう。ならば、裁きを下す準備も整いましたね」
そして、天へ向けて――腕を、ゆっくりと掲げる。
「これは、あなたがたに与える最後の機会でした。
神のもとに帰るのか、それとも――」
その瞬間、グラトが目を見開いた。
巨漢の斧戦士――バルナス・グレゴールが、前へと無言で進み出る。
「やめろ――!」
だが、声は間に合わなかった。
その斧が振り下ろされた瞬間、誰もが理解した――これは、始まりではなく“終わり”なのだと。
斧は果実を割るように、グラトの頭蓋を叩き潰した。
その音を皮切りに、静寂が崩れた。
血が弾け、脳漿が地に跳ねる。
次の瞬間――
「グラト様ァ!!」
「殺せ! 聖団を殺せ!!」
怒号と悲鳴が爆発した。
村の戦士たちが一斉に武器を構え、殺到する。
だが、聖団の兵たちは、まるで“それを待っていた”かのように――すでに、陣形を組んでいた。
リシアは、ただ静かに呟く。
「これが、神のご意志です」
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