第3話

8


「いたのよねー

消毒用アルコール飲んじゃって大騒ぎになったアル中のじいさんが。」


太ったナースは俺を見てケラケラ笑った。

「そんな事したら死んじゃうからねー」



ベテランの看護師は凄い、


「はい、右足踏ん張ってえ、

せーの、それ!」

と言って、

180センチの俺を1人で持ち上げると、ベッドまで運んできた。


後から入ってきたドジャースが、

俺の足を見て、さっと布団を掛けてくれた。


(あ、助かった、

あれ、今はピンクのニット帽被っているんだ。)


「ありがと、あなたはもういいのよ。」

と言われたのに、

ベッドの下の消毒液のボトルを、ドジャースがモップでかき出して、床を拭いてくれた。


「どれだけ手間のかかる子だろうね。」

ビニール袋にティッシュを詰め込みながら看護師はそう言うと、慣れた手つきで俺の頭と顔に氷嚢を乗せた。


「あの、ありがとうございます」

俺はようやく声が出せるようになった。


「具合悪くなったら、

へんな手招きしてないで、

ちゃんとナースコールするのよ。」

お袋くらいの年齢の看護師はそう言って、ドジャースと一緒に出て行った。


廊下から大きな声が聞こえた。


「消毒用アルコールに酔って、

腰が抜けちゃうなんて、まだまだカワイイわねえー」


おばさんのナースはガハハと笑った。


これは絶対、明日言いふらされるやつだ。



9


俺はアルコールに弱いらしい。

以前、西村のうちのスナックで、ジュースだよ

と騙されて酒を飲んで、ひっくり返った事がある。


あそこに集まる兄ちゃん達は、陽気で楽しいのだが、時々たちの悪いイタズラをする。


その度に、いかにもスナックのママという感じの西村のお袋に、こっぴどく怒られるのだが、

彼らにはそれがまた楽しいらしい。


西村には最初から父親がいない。

西村のお袋はひとりでこの小さな店を切り盛りしている。


ザ・スナックのママの西村のお袋と、ザ・庶民の主婦のうちのお袋が、なぜ友達なのか分からないが

西村は小さい頃から、よくうちで一緒に晩ごはんを食べていた。

同じ釜の飯を食って育った仲だ。



10


翌朝、検温に来た看護師は

「あら、もう顔色はいいわねー」

と、クスクス笑いながら氷嚢を片付けた。


(やっぱり、あいつは告げ口したな。)


最悪の気分のところに

「コウノさーん、おかげんはいかがですかー」

と声がした。


(ドジャースだ、何の用だ?)

「ああ、昨日はどうもー」

ピンクの帽子のドジャースは小さなハンドスプレーとバッグを持っていた。


「あなた、ギプスの落書きを消そうとして、アルコールひっくり返しちゃったんでしょう。」

俺はウンウンと面倒くさそうに頷いた。


「こんな狭いとこじゃダメよ

バルコニーあるの知ってる?

そこへ行こ。」


えっ、わざわざそのために来てくれたのか?

なんていいやつなんだ。

俺の気分はV字回復した。


「ホラ、車椅子押してくから。」

「ありがとうございます、助かります。」


「ギプスに色々書いている人なんて結構いるから、気にしなくてもいいのに。」

そう言って、掛け布団をめくり、俺のギプスをじっと見たドジャースは、


「しょーもな」

と、片目を細めて、大野と同じ顔をした。



11


タオルでギプスを隠して、

廊下に出た。


「あら、杏奈ちゃん、今日は島田さんじゃないのねー」


「ふふふ、手間のかかる大きな子供ができちゃいましたー」

(杏奈ちゃん、杏奈ちゃんていうのか。)



バルコニーは入院患者とその家族専用だった。

日曜の朝はまだ人がいない。


少々行儀は悪いが、テーブルの上に足を乗せて杏奈ちゃんの持ってきたアルコールを吹きつけた。


「あれ、あんまり落ちなくなってる。」

「一晩置いちゃったからねえ

乾いちゃったんだわ。」


「んー、アルコールよりやっぱりこっちね。」


バッグから小さな化粧ポーチを取り出した。

細々した化粧品の中から、マニキュア除光液を取り出してマジックの落書きに塗った。


「やっぱり、こっちの方が強力だわー」


確かにアルコールよりずいぶん綺麗になった。

殆ど目立たなくなったところで

「はい、仕上げね、」


と言って、落ちきれない所には白いマニキュアを塗って隠してくれた。


「ありがとう、助かったー、

白いマニキュアなんてあるんだ。」

「いろんな色があるのよ」


そう言って見せてくれた彼女の指先には、

様々な動物が描かれていた。


「うわ、すっげ細かい、

器用だなぁー」


俺はその絵の繊細さにも驚いたが、

彼女の指の細さにはもっと驚いた。


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