蛇たちの饗宴

GOG本部の地下深く、地上の光も音も、そして人間的な感情さえも届かない極低温の研究施設。Dr.神室は、巨大な円環状の質量分析計が吐き出すホログラムデータを、爬虫類のように瞬きもせず睨みつけていた。彼の目の前には、ヘリオス社工場の爆心地から回収された、高熱で歪み、黒く炭化した金属片が、厳重な反重力フィールド内に静かに浮かんでいる。


「……検出限界以下……だと? ありえん……ありえん! ありえんッ!」


分析計が示した最終結果――『異常エネルギー残滓、検出されず』――という無慈悲な文字列に、神室の堪忍袋の緒が切れた。彼は近くのコンソールを、骨が軋むほどの力で殴りつける。硬質な金属音が、聖堂のように静まり返った研究室に虚しく響いた。


「おい」


蛇のように冷たい声が、隣で息を殺していた白衣の研究員に向けられる。


「貴様の目は節穴か? このデータが何を意味するか、その飾り物同然の頭で説明してみろ」


「は、はい……! おそらく、爆発を引き起こしたエネルギーは、我々の現行技術では観測不可能な、未知の素粒子レベルで完全に相殺・消滅したか、あるいは……」


「あるいは、何だ!? 歯切れの悪い! 私の研究室に、無能は不要だと言ったはずだぞ!」


金切り声と共に、神室は研究員の胸ぐらを掴み上げた。成人男性を片手で軽々と持ち上げる、その細い腕には人間離れした力が宿っている。研究員の顔が恐怖と窒息で青ざめていく。


「ヒッヒッヒ……使えぬ駒は、分解して部品にするのが最も効率的で合理的だ。貴様の脳も、スライスして顕微鏡で覗けば、その無能の正体が解明できるかもしれんなぁ……?」


その狂気の実験が実行に移されようとした、まさにその時。


カツン、カツン、と、研究室の静寂を切り裂くように、甲高いヒールの音が響いてきた。音の主は、重厚な自動ドアが静かに開くのを待つまでもなく、悠然と歩みを進めてくる。濃厚な、それでいてどこか攻撃的なフローラル系の香水の匂いが、消毒液の匂いが支配する無機質な空間を侵食していく。

神室は忌々しげに顔をしかめた。この、彼の聖域である研究室の秩序を乱す、甘ったるく支配的な匂い。この匂いを纏って現れる人物など、一人しかいない。


「あらあら、可哀想に。神室クンのヒステリーに付き合わされるなんて、お給料と見合わないんじゃないかしら? ねぇ、あなた」


声の主――ヴァレリアは、怯える研究員に妖艶な笑みを投げかけ、その肩にそっと手を置いた。研究員は、目の前の狂気と背後の妖気、二つの理解不能な存在に挟まれ、声もなく震えるばかりだった。


神室は忌々しげに研究員を床に突き放すと、ゆっくりとヴァレリアの方へ振り返った。


「こんなところに何の用かな、ヴァレリア女史。下賤なゴシップの匂いを撒き散らしにきたのであれば、即刻立ち去ってもらおうか。ここは私の聖域だ」


「あら、つれないわね。せっかくとっておきの情報を持ってきてあげたのに」


ヴァレリアは、まるで傷ついた子猫のような仕草で唇を尖らせたが、その瞳は冷たく笑っている。彼女は肩をすくめると、神室の隣に立ち、長い爪で解析装置のガラスをコン、と軽く叩いた。


「そんなガラクタをいくら眺めていても、何も出てきやしないわよ。魔女はね、そんな間抜けな尻尾は残さないもの」


「……何を知っている」


神室の目が、蛇のように細められる。


「あなたが喉から手が出るほど欲しがっている、『魔女のねぐら』の場所。知りたくない?」


「……何だと?」


「魔女のねぐらよ」


ヴァレリアは、唇に毒々しい笑みを浮かべ、こともなげに言った。


「ターゲットは、ザ・ブロンク。ポート・モロウズの廃工場地帯に潜んでいるわ」


「魔女のねぐら……ヒッヒッヒ……! そんな情報、どこで手に入れた? 私の『アルゴスの目』でさえ掴めなかったものを」


神室は疑念を隠さず、低い声で問い詰める。ヴァレリアは、その反応を楽しむかのように、くすくすと喉を鳴らした。


「ハイテクな監視網よりも、瓦礫の中の子供の涙の方が、よほど雄弁に真実を語ることもあるのよ」


「……何?」

神室は眉をひそめた。「子供の涙だと? ふん、詩的な表現は結構だが、そんな非科学的で感傷的なものが、情報のソースだというのか。信用できるか」


「あら、疑うの? 私は情報のプロよ。複数の状況証拠から、このザ・ブロンク地区、ポート・モロウズの廃工場地帯にターゲットが潜伏している確度は、極めて高いと判断しているわ」


「信じる信じないは、あなたのご勝手よ」

ヴァレリアは悪びれもせずに続けた。

「ただ、あなたがこのガラクタとにらめっこしている間に、魔女がまたどこかへ飛んでいってしまうかもしれないけれど」


その言葉は、神室のプライドを的確に刺激した。彼はしばらく黙ってヴァレリアの顔を睨みつけていたが、やがて、苦々しげに、しかし決断を下した。


「……いいだろう。その情報を信じてやる。それで、ヴァレリア女史、貴女は何が望みだ?」


「話が早くて助かるわ」ヴァレリアは満足そうに微笑んだ。「この情報の確度を上げるために、もう少しだけ『裏付け』が欲しいの。あなたの科学技術部門のコンピューターリソースと、優秀な分析官を数名、私に貸してちょうだい。ターゲット周辺のインフラデータを、もう一度洗い直してみたいのよ。電力消費パターン、通信ログ、下水の流量までね。どんなゴーストでも、生きていれば必ず痕跡は残すものだわ」


「……ふん、好きに使うがいい」


神室は、吐き捨てるように言った。彼の心の中では、ヴァレリアへの不信感と、魔女を捕獲できるかもしれないという歪んだ期待が渦巻いていた。


「感謝するわ、神室クン」


ヴァレリアは誘うような、しかし有無を言わさぬ響きを残して、再び甲高いヒールの音を響かせながら部屋を後にした。


一人残された神室は、再び解析装置の中の残骸に目をやった。

「子供の涙、か……ヒッヒッヒ……。非合理、非科学、実に不愉快だ。だが、魔女を捕らえられるなら、利用しない手はない」


彼の歪んだ笑い声が、冷たく静まり返った研究室に、不気味に響き渡った。

蛇たちの饗宴の準備は、着々と、そして静かに進められていた。

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