第8話 読者誘拐プロトコル
木曜の深夜一時。
〈IFRB〉臨時分室のモニターには、闇市フォーラム〈eXchange/IX〉の新規スレッドが滝のように流れていた。
題名は 《BookMark Project β》。
“観客総移送”と銘打たれたその告知は、十万字を超えるQ&Aを添付しながら要点をたった一行に要約している。
参加者の「読書履歴」と「感情メタデータ」をリアルタイムで商品化し、
ノンストップで“物語の神”へ投資するインデックス・ファンドを組成──
僕――一瀬蒼真は顎に手を当て、ぞっとする寒さを腹の底で転がした。参加者はアプリを入れて物語を“読む”だけで、余白を切り売りする投資家に変わる。
朝霧灯花の描いた夜桜エフェクトは冴子の闇配信を上書きしたが、その読者数が翌朝までに二万を超え、IXは彼ら全員を「βテスト対象」としてリスティングしていた。
◆ ◆ ◆
「読書行為の“タグ”だけ奪い、読者の心を空洞化させる――」
二階堂律がコーヒーを煮詰めた声で呟く。「いわば人格のマイクロ分割IPOだ。タグを束ねた“ファンド”が帳簿の餌になる」
灯花はスケッチブックを抱え、指先でページをめくる。「好意を光に変えただけじゃ足りない。読者の名前と物語を“相互署名”にしなければ引き剝がされる」
百花が生徒会のバックエンド端末を叩き、校内SNSのログイン数を示した。
「IXのBookMarkβアプリ、今だけで三百人がDL済み。放置すれば週末までに千単位よ。止めきれない」
◆ ◆ ◆
金曜放課後。図書準備室の長机に紙とデジタルが並ぶ。
灯花はA1ケント紙へ**〈余白の城壁図〉**の下絵を引き、慧斗は暗室から持ち出した赤外写真をプロジェクタで重ね合わせる。
「読者がアプリへ入る前に、“名前と光”を結ぶ壁をくぐらせる。二要素認証みたいなものだね」
彼が示す写真には校章を模した楕円光が浮かんでいる。
僕は万年筆を手に取り、キャップを外しかけて逡巡した。休筆解禁を宣言して一日半、数値は十五・七%まで戻ったが、書くたびに墜ちる危険は残る。
「今回はインクを使わず、点描の“署名ピクセル”で結ぶ。光壁は読者自身のデバイスで完成させるんだ」
「ピクセル署名……?」灯花が眉を上げる。
律がうなずく。「行ではなく画素単位のパーソナライズ。タグを“個別鍵”へ再分散できる」
◆ ◆ ◆
土曜、午後九時。校舎屋上は薄い霧雨。
LEDスクリーンに灯花の城壁図が投影され、スマホのフラッシュが読み取り用ガイドマークを照らす。
百花のアナウンスが響く。
「これから配布する壁紙は“物語とあなたの名前をリンクする刊行記念スタンプ”です。読み取り後はデバイス再起動不可十五分間。ご了承ください」
生徒たちが半信半疑でQRを読み、スクリーン下に自分のハンドルネームを入力する。入力が確定した瞬間、画面の一角に白点が灯り、城壁図の石畳が一ピクセル増えた。
モニタは光を断続的に受信し、欠損率十五・三%。相関フラグが上がるたび、冴子側のBookMarkサーバは404リダイレクトを返していた。
成功かに見えた、その時。
校庭側のフェンスにノイズ混じりのホログラムが現れる。冴子結城。黒いペンが光を吸い、バッテリーのように脈動していた。
「素敵な城壁。けれどピクセルは“砂”にもなる」
彼女は宙を走るスクロールバーを指で引き、BookMarkβのUIを屋上スクリーンに重ねる。
「参加者6300名……ここから“光子分割”をかければ、一人につき十ビットの余白が剥がれる」
◆ ◆ ◆
LEDスクリーンにノイズが走り、城壁図の一部が砂嵐化。読者の名前がじわじわと“記号化”し始めた。
灯花がキャンバスを掲げるが、粉雪のような砂エフェクトが絵肌を侵食していく。
僕は万年筆を握り、インクタンクを一滴だけ開放した。
――これが許される最後の液体インク。赤域に触れれば二度と戻れない。
ペン先で“0”の中を小さく塗り潰し、次に“1”を点で刺す。二値だけの署名、つまりバイナリ鍵。
《もし城壁の画素が砂になれば、砂は“1ビット鍵”へ昇格し、書き手の許可なしに移送できない》
LEDが深紅を灯し、欠損率十六・二%にわずか上昇。だが城壁の砂嵐が止まり、0と1の点が石畳に散った。
冴子のホログラムが揺らぎ、歯車ピンが軋む音を立てる。
「バイナリでロック? 面白い。でも一行は書いた。残りの余白は削れるわね」
そう言い残し、彼女は砂粒とともに消える。
◆ ◆ ◆
成功の拍手は起きなかった。皆、スマホ画面の名前が無事か確認するのに必死だったからだ。
百花がA/Bテスト結果を読み上げる。「剥奪ビットは二%未満で止まりました。成功です!」
灯花がようやく息を吐き、胸にスケッチブックを抱える。「でも冴子さん、こちらが書くたびに“残余白カウント”を突きつけてくるね」
「次は、読者の“物語中毒”を逆手に取るだろう」律が呟く。「読む行為を止められない者から優先してタグを抜く」
僕は万年筆を見下ろした。インク窓はほとんど空。補充には〈Rev.0〉封蝋の再開が必要だ。しかし開けば欠損上限を超える。
「インク以外の書き方を模索する。灯花の絵と二値鍵だけで、読者の余白を守り続ける道を」
雨は止み、雲間に夜桜祭で見た金の桜がうっすら浮かぶ。白いLEDは緑へ戻り、胸の鼓動も落ち着いた。しかし冴子の囁きは消えない。
“物語中毒者”をさらう章。
まだ見ぬ第九話の扉が、闇の配信スタジオで静かに開く気配がした。
◆ ◆ ◆
(第三章 第八話 了)
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