第185話-《スタビー陣営》赤色夜叉と冷笑教祖
「一応、拍動ログは聞いていたんだよ。僕がすることなんて一つもないから、何もしなかっただけで」
心外そうにしながらも、ハルは至って穏やかな様子で答えた。
元から拍動が視認できるフランジュは、このしあわせ拍が鳴り響く聖堂でしあわせを一切発していない目の前の男を警戒している。ビートフロートの弦に、すでに指は掛かっている。
ララムはどちらかといえばハルとの問答をスタビーとフランジュに任せ、周囲を注視している。
(こいつはカルトの教祖だけあって誘導のプロ……無拍の兵士だって下の方からBROとやりあってる音が聞こえるし、そもそも、この状態でパイセンが幽閉のままなわけないじゃん。シーエスちゃたち大丈夫かな……)
そもそも、肝心のディーの姿がない。ララムが案じる中、ハルは両手を柔らかく広げた。
「承認・安心・和解・性か……ああ、今は官能だっけね。人はしあわせに成るために生まれてきた。これほど、脳が喜ぶ拍動はないよね」
「おじいちゃんアピールかな? 中身がガワと違うことぐらい、もうお見通しだよ。他に言うことあるんじゃないの?」
フランジュが促すと、ハルは思い当たらないといった風で視線を右に持っていって、「あー」と気のない声を漏らしてからフレンドリーさを取り戻した。
「礼拝堂は上手くやったね。高出力でニルヴェイズ市民の共感を得やすい子と、ヘイトを引きやすい彼女を守れるだけの戦闘能力と拍動の持ち主。あとはレガを引きつける最適の役どころを拾ってきた……完品なら僕も欲しかったな~って思ってたの思い出すぐらいにはよかった! うん!」
飴を転がしながら、ハルは惜しそうにぼやいて、自分の腕で身体を抱く仕草をした。
「なんだっけ、ああいうの。感動的!みたいなものだよね……人道的な話って人を惹き付けないと思ってたけど、考え直さなきゃなって?」
「あのズタボロの兄妹を拍動越しに見て言ったのか? モブ同然にされた無拍の兵士を見てか? なあ、おい。お前が引き裂いたもの見て出た感想がそれだけか?」
スタビーは奥歯を噛む自分のデコに青筋が立ったのではないかと思った。
この教祖を名乗る男、顔は穏やかで悟っていそうなくせに、口から出てくる言葉はどれもペラくて人を馬鹿にした雰囲気が滲んでくる。
あの最悪なことをしでかしたフェローさえ、まだ向上心があっただけマシと思えるほどに。
「それだけじゃ、いけないの? 人の意見の多様性を尊重してほしいなぁ」
「いや、してないのはあんたなんだってば……だる……」
視線を合わせないララムの言葉に、ハルはきょとんとして、瞬きを何度かした。まるで何を叱られているのか分からない様子で。
「今は熱狂の拍動時代だよ。拍動で性格の傾向も変えられる。すごいのは神経だよね。
「……は?」
スタビーのいっそ呆気にとられた声が上がると、彼は眉を下げた哀れみの微笑を取り戻した。
「君たちぐらいだと……悩み事は~、失恋、絶交? 学校、とか~……あー、CoLだから企業勤めだっけ? いいよね? 考え方を変えれば。何にも気にしなくていい。でしょ? なんでしないんだろうって僕は思ってたんだ。なんで?」
ハルは口元に手をやって、まったく理解ができないといった様子を見せる。
まるで、情や人間の行動理念そのものが病的な偏りであるかのように、不思議そうにスタビーたちを眺めてあいまいに笑っている。
「ああ、まあ、確かに人間は失敗するものだよね。でも、何かなくしたとしても、それはなくしてしまうようなものを選んだことが悪かったんだ。執着が間違ってたってところだけ反省して、うん」
当代教祖様は、それはそれは、はっきり言い切った。
「記憶を消すなり何なりして明日から頑張ればいいじゃない」
フランジュの引きつり笑いした唇の端がひくついた。
「が、ガチで言ってる? ねえ、仮にも人を助けることを掲げた宗教の教祖サマだよね? それ言ったらもうさ、おしまいじゃん! 破綻だよ!」
「溶ける待ち時間の間は楽しいことしてればいいじゃない。踊ったり、食べたり? なんかあるでしょ? ちゃんと最後には望み通り咲かせてあげてるのに、ひどい言いようだなあ」
「その望みも拍動汚染で誘導したよね? 楽園、ぶっちゃけないでしょ? ねえ、ちょっと……えっ、ペラ……嘘でしょ……? ハリボテじゃん……!」
普段は率先して煽ったり軽口を言ったりするフランジュさえ引いた。ハルは人間の魂や心とやらを守る気が一切ない。なんか、すごくそれっぽい理屈でリアルタイムで足蹴にしてくる。
比較的温厚なララムも、これには声のトーンが下がった。
「スタビー、これ、何も言わずにシバいていいタイプだよ。人として生きるつもりがない害獣だよ」
「分かってる。けど、
無益すぎて涙が出るありがたいお話を終わりにしたい気持ちはあったが、スタビーは堪えて、頭を掻き、最後に一つだけ訊ねることにした。
「あんた、全部隠してさ。勧誘もしてさ。悪趣味な人間リレー装置作ってまで、魂を溶かしてかすめ取ってきたんじゃん……こんな大それたことをした目的って、何なわけ? 聞く権利ぐらいはあると思うけど」
うんざりとした顔をしながらも、スタビーは拍動ログ越しに残ったディーの問いを引き継ぎ、背負った。
心情ではなく目的。あるいはニルヴェイズの人々がこれを知って、興味を示すだろう質問だった。ワンチャン、通信越しにCSたちにミリでも情報を届けられたらという期待も込めていた。
問いとは希望だった。
「あー……うん、うん。すぐ解消できそうな、いいこだわりだね。一人に一つの大切な拍動を大事にしすぎる、ニルヴェイズの人らしい質問だよ! みんな音もリズムも違う魂を、集めて、集めていって、何がしたいかなんて……簡単だよ」
とっておきの楽しみを訊ねられたかのように、ハルは笑みを大きくした。人によっては屈託のない子どものような笑みにさえ、見えたかもしれなかった。
「一斉に潰して鳴らすんだ。そうしたら面白いかなって。あー、ディーもそうしたら音楽が好きっていうこだわりに意味がないって納得してくれるよね! じゃあ意味はあるよ。よかったね」
スタビーは瞼を震わせた。ララムは大盾の持ち手を血管が浮くほど握り締め、フランジュは対話不能の現実にテンションがガタ落ちして浮遊高度が下がってしまった。
「……そんだけか」
「うん。それだけ。他に何かいるの?」
スタビーは、ゆっくりと息をついた。
虚無だ。救済は当然うそ。宗教性の欠片もない。驚くべきことに崇高な理念も科学的目的もない。ニルヴェイズはたった一人の馬鹿げた男の、クソガキでも思いつく薄っぺらい目的でここまで溶けた。
ディーはこの信じられないカスに執着されて、現在進行形でメンタルが崩壊している。なんなら
「まさか、だけど……」
何より東部にいる人間すべては、この半笑いの男にとって、溶かして固めて鳴らすおもちゃでしかなかった。
全自動の信者も、訳の分からない会話をしていた家族も、本気で幸せを信じて教えを実践しているかもしれない誰かも。
何の価値もないという点で、真に平等だ。
この身体と拍動が健康なだけの男には、希望も幸福も入っていない。
「カルトが本気で人を助けると思っていたの? 社会人なのに……常識ないんだね?」
『なんにもない』。
たったそれだけ。
それだけで、人は世界の敵になれる!!
(こんなくだんない理由のせいで何人が溶けて、引き裂かれて、おもちゃにされて――)
ある意味、スタビーはショックを受けた。拍動があれば分かり合えるというお題目は、この虚無の愉快犯を前に何の意味もなかった。
分かんないやつがここまで分かんないとは思わなかった。スタビーの歪む目元に己の未熟さの自覚と後悔が滲んだ。
(ああ、理由があれば納得できたかなって思っちゃったのがさ、くそ……!)
もう考えるだけであらゆることがキツくてダサくなってくる。気付けばスタビーは自分のワインレッドの髪をぐしゃっと片手で掴んでいた。吐き気も催す怒りで、頭の血が引くようだった。
「分かった。もういい――」
彼女は改めて決意した。髪から手を離し、憤怒に瞳孔をぐわっと開いて顔を上げた。
「なら、お前に同じ道理をぶつけても、文句は言わないよな?」
誰かがこいつをシメて、流れを変えなければならない。改心するかどうかなどは二の次だ。
同じになりたくないなどと言っている場合ではない。
こいつを、この場で、止めねばならない。
「……鳴かすッ!!」
スタビーの回答はシンプルイズベストの極地だった。無言でエレキの叫びをかき鳴らしたフランジュの支援を背に受け、彼女はナイフを抜いて、盾持つララムと一緒に駆け出した。
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