第6話 好き

「かっこつけちゃって」


 私は顔が熱くなり、ぷいっとそっぽを向いた。


 手を繋いで歩く家族の姿が脳裏に焼き付いている。

 星夜祭でも、建国祭でも何でもない夏の夜だった。

 小さな兄妹を両手に引いた母親は、大きな荷物を肩にかけて菓子店に並び、首筋に汗が滴っている。


「お手伝いしましょうか?」


「ありがとうございます! 今日は子供たちのお誕生日会をするんです!」


 疲労困憊だと思っていた彼女は、百点満点の笑顔を浮かべていた。

 彼女の両隣には天使のような男女が二人、同じポーズでショーケースの中のケーキに釘付けだ。


 目が離せなかった。

 孤児院のみんなも好きだけど、少し違う。私は体験験したこのとのない、彼女たちだけの世界だった。

 春の日差しのように暖かく、冬の手袋のようにぬくもりにあふれている。


「いいなぁ……」


 心がキュッとなった。




 ガチャガチャッ

 ドアノブが乱雑に回された。


「ひぃっ!」


「大丈夫だ。防御魔法をかけているから入れないようにしてある」


 怯えて肩を震わすマティアスの背中に、ノーマンはそっと手を当てた。


「ノーマン・ヴァルザー! そこにいるんだろう! 返事をしろ」


 男たちは扉をドンドンと叩きながら声を上げている。


「素直にするヤツがいると思う? ねぇノーマン」


「ここにいる。要件はなんだ」


「いたよ」


 ノーマンは私たちを抱きしめながら、低く冷たい声色で応じた。


「仕事を放り出して何をしている。持ち場に戻れ」


「……申し訳ありません。戻ることはできません。俺が戻ったらあなた方はを始末するでしょう?」


 扉をノックする音が止み、代わりに男たちの笑い声が響いた。


「そうだ。良く知ってるじゃないか。なら話は早い。そのゴミをどうする気だ? まさか、お前のDNAから作られたのを知り情が湧いたのか?」


「……だったら何です」


 男は乾いた笑いをした。


「あの方とて、長い年月を費やした研究の末にようやく意思を持った生命体を作り出せたのだ。本当は処分したくなどなかったのだよ。だがな、あまりの出来の悪さに誰もが皆お手上げだったのだ」


「なっ……」


 思わず立ち上がった私に、ノーマンは口をふさいで首を横に振った。


「魔法省は国唯一の魔法研究機関にして、最高のレベルを維持している。だが、近年研究が停滞しているのは知っての通りだ。研究員の質の低下が著しい」


 心臓がドクンと波打つ。

 私のことだ。


「皆がお前のような優秀な研究者ならば、お前を量産できれば、魔法省、さしてはこの国がもっと豊かになるだろう。そう考えて、我々は新たな研究に賛同したのだよ。“ノーマン・ヴァルナー生成プロジェクト”のね」


「……っ!?」


 ノーマンは目を丸くした。顔色が真っ青だ。


「始めは優秀な女性職員の精神核と結合させようとした。だが結合核は初期段階から全く成長しなかった。実験には失敗は付き物とは言うものの、さすがに堪えたね。あの方が泣くの何度見たことか。そんなとき現れたのがオリヴィエという女だ」


「わ、私……」


「出来損ないのクズだ。すぐにクビにしようと思っていたが、遊び半分で結合させたら実験が成功したじゃないか。いやぁ、笑いが止まらなかったね。マティアスの知能が犬以下だと知るまでは」


「なんでそんなこと言うの!?」


 我慢できず、私は内側から扉を開いてしまった。


「あっ、何やってんだ……!」


 ノーマンが慌てて扉を押したが、強い力で押し戻される。

 純白の白衣を着た男たちが仁王立ちして私たちを見下ろしていた。


「やぁ、オリヴィエ・フランソワーズ。お前に会えるのも待っていたよ」


 男は不気味に口角を上げた。


「え?」


 瞬間、球体形に幾何学模様の蛍光色の捕獲網が張られていく。


「最も処分しなければいけないのはお前だったな。オリヴィエ」


「──!!」


「オリヴィエ! 俺に捕まって破壊しろ!」


 ノーマンは腕を広げた。白衣が魔法陣の衝撃波でパタパタと舞い上がる。

 彼の差し出した腕に私は飛び乗るように抱きつき、逆の手で素早く破壊魔法をなぞる。

 瞬時に転移魔法を使用し、ノーマンは外へ転移しようとした。だが私とマティアスを抱えているせいで効果が限られ、ほんのわずかな距離しか移動できない。


「下ろして。走った方が速い」


 私は飛び降り、ノーマンと共に駆け出した。


 長い廊下にバタバタと足音が鳴り止まない。

 いったいどこへ逃げようと言うのか。逃げた先に望むものがあるというのか。


「ごめんね、僕のせいで……」


 マティアスはノーマンの背におぶられ、か細い声を出した。


「お前のせいじゃない。悪いのはアイツらだ。お兄ちゃんが何とかする。だから辛抱だ」


 ノーマンは小規模の転移魔法を繰り返し肩で息をしている。


「……お兄ちゃん……」


 マティアスはノーマンをじっと見つめた。


「お兄ちゃん、ノーマンていう名前なんだよね。お兄ちゃんが、僕を作ったの? お兄ちゃんは僕のパパなの?」


「え……あ、それは……」


 ノーマンが言葉を詰まらせると、マティアスは分かっているかのように目を伏せた。


「……お兄ちゃんがいい。お兄ちゃんが、僕のパパになってくれる?」


「え……」


「さっきみたいな男の人が、たまに僕のところにやってきてたの。でも、あんまり笑ってくれなかったんだ。“似てるのは顔だけだな”“失敗作だな”って。誰がパパかなんてどうでもいい。僕は、お兄ちゃんとお姉ちゃんと一緒にいたいの!」


 マティアスはノーマンの背から降りると、私の方へ走って来た。

 大きな身体をしたサラサラの髪の少年は、思い切り私を抱きしめた。


「マティアス……」


 私は彼に頬ずりした。

 思えば、魔法省に入職してこんなに求められたことがあっただろうか。

 仕事も出来ず、女の子たちには睨まれていた。家族が待つ帰る家も無くて、置かれた状況を変える勇気もなかった。

 ずっとそうだったし、私は死ぬまでこんな生活なんだと諦めていた。


 けれど、今私の隣には大好きな二人がいてくれる。


 私はノーマンとマティアスの顔を順に眺め、深く頭を下げた。


「私の方こそ。よろしくお願いします!」


「うん!」


「誠心誠意努力するよ。お前たちの喜ぶ顔が俺を幸せにするんだ」


 ノーマンが微笑んだ瞬間であった。


 キーーーン

 高周波の音が耳を貫き、マティアスはしゃがみ込んで耳を塞いだ。


「くっ……誰だ」


 ノーマンは顔を歪め、辺りを警戒する。

 モスキート音のような音は彼の集中力を低下させ、弱い防御膜を張ることがやっと。

 上から他の誰からの防御膜で真っ黒に書き換えられていく。防御魔法は自分でかける分には自分を守るが、相手にかけられた場合は相手に閉じ込められてしまうのである。


「何よぉ、その言い方」


 塔の廊下の向こうから、アイボリー色の白衣を着た女が歩いて来る。


「あなたは……」


 女の顔には見覚えがあった。

 サラと一緒に散々私を見下してきた、ノーマンの部下の女だ。

 女が歩きながら指をパチンと鳴らすと、アイボリーの白衣はみるみるうちに白く変色した。白、それも純白の白だ。


「誰……?」


「誰、ですって。アハハハ!」


 女は手を叩いて甲高い笑い声を上げた。


「アタシはリサ……というのは偽の名前。ヴィクトリア。防御魔法の最高責任者よ」


 リサ……もとい、ヴィクトリアは大きな胸を反らして告げた。

 ハッとして目の前に張られた真っ黒の魔法柵を叩いてみるが、軽く力を入れただければビクともしない。


「部下たちを守るのも責任者の仕事でしょう? 普段はか弱い乙女のフリをしていたの。その方が、末端の末端のことまで知ることができるでしょう?」


 ヴィクトリアは、魔法柵越しに私を指差した。長い指は黒いネイルで染まっている。


「オリヴィエ・フランソワーズ。アタシ、あなたが大嫌い」


 指の先から強い光が私へと走った。


「きゃあああ!」


「オリヴィエ!!」


 ノーマンは咄嗟に自分の白衣を脱ぎ、私の前へピンと張った。


「ぐっ……っ!」


 白衣に重い衝撃光がのしかかり、ノーマンの腕がプルプルと震える。


「お兄ちゃん! お姉ちゃん!」


 マティアスは隅っこでうずくまって、目に涙をためている。


「お前はそこにいろ! こっちへ来るな!」


「……っ」


 ノーマンの怒声に、マティアスは唇を噛み締めながら頷いた。

 光が落ちた白衣は黒く焦げ、焦げ臭い匂いが漂う。

 私は腰を抜かして、座り込みながらヴィクトリアを見上げた。


「アタシとの子供を作るはずだったのよ!!」 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る