非武装地帯
無邪気な棘
第一話「暴君の死」
その島は黒い平和で保たれていた。
そこはメイホリア共和国。
南シナ海に浮かぶ島国である。
太平洋戦争中は大日本帝国の統治下にあったが、戦後、アメリカによる信託統治を経て1,956年に独立した国だ。
人口は約3,148万人といわれ、約52%がインスラール派(カトリック)であり、残りの48%が真正宗(仏教)である。
この異なる宗教が対立と戦乱を引き起こさない様に、上から抑え付ける形で国家を統治したのがドクチョイ=トンチー大統領であった。
彼自身は仏教徒であったが、非常に世俗的な人物であり、言うなれば俗物である。
この強権的な独裁政治を司る暴君は宗教の区別なく「平等に」人々を抑圧し、逆らう者らに罰を加えた。
ある民が言う。
「宗教対立で国が乱れないのは大統領のおかげだ。だから私達は貧困で苦しもうが、搾取されようが、『平和の』ために我慢するのです。」
と。
メイホリアの面積は約3万5,127平方キロメートルであり、これは台湾とほぼ同じ大きさである。
主要産業は農業と漁業であり、これらが人々の生活を支えている。
しかし、強権的な政策によって、人々は重税に喘いでいたのだ。
転機が訪れたのは1978年の事だった。
ドクチョイ大統領が死去したのだ。
それまでドクチョイ政権の下に宗教的な儀式や祭礼が禁じられていたため、人々は彼の死に歓喜した。
ある仏教徒の若い男がいた。
名をワンヤウ=ゲヤンという。
23歳の農民であった。大統領が死んだ翌日、彼は近くの寺に向かった。
和尚の説法を聞くためにだ。
彼は大変温厚で慈悲深い若者だった。
「いくら悪い大統領だからって人の死を喜んじゃいけない。」
彼はよく晴れた青い空に浮かぶ雲にそう呟きながら、寺に向かった。
寺には大勢の人々が集まっており、和尚の説法を待っていた。
やがて和尚が姿を現すと、静かに口を開き、一人一人の精神に語り掛けた。
「皆様方、国を覆っていた黒い雲が晴れました。意思に自由が戻ったのです。されど、人の死とは、如何なる人物であっても尊いもの。亡き大統領の死を悼むのもまた慈悲と寛容であり、御仏の教えに適うものです。」
人々は静かに説法を聞いていた。
ワンヤウは自分が和尚と同じ心である事に安堵した。
ところが、これを良く思わない一人の仏教徒の若い男がいた。
名をソイ=ヤンといった。
ソイは22歳の学生であり、地主の息子だった。
「何でだよ?!あんな悪辣な統治者は死んだ方が皆のためじゃないか。」
ソイは和尚の説法に批判的だった。
一方、同じく、大統領が死んだ翌日、教会に足を運ぶカトリックの若者がいた。
ホウサム=ゲヤンという名のこの男は、実に実直な25歳の弁護士見習いであった。
「例え悪に染まった人物であっても、愛する事こそ神の教えに適うものだ。」
そう自分の心に刻みながら教会を訪れた。
教会では大勢の信徒が集まっていた。
やがて司祭が厳かに説教を行った。
「いつ如何なる時も、憎しみと恨みを超えて、愛をもって死にゆく者を神の手に委ねなければなりません。大統領の安らかな眠りを、どうか皆さん、共に祈りましょう。」
ホウサムは、その内なる霊魂が浄化される様に感じた。
ところが、これを良く思わない一人の男がいた。
ガーン=ヤンという漁師であった。
彼は教会の祭壇に目を遣りながら
「あんな悪魔みたいな大統領の死を何で祈る必要があるのか?馬鹿げてる。」
そう呟いた。
彼は司祭の説教に疑問を感じていたのだ。
独裁者の死は様々な人々の心の動きに影響を与え、やがて、大きな動乱の渦に国を投げ込むのであった。
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