第50話
自由課題の提出期限は、あと三日。Re:Ariaの本部内では、あちこちのブースで録音や撮影が進み、スタッフも緊張感を帯び始めていた。
そんな中、Link Zeroのメンバーも各自の表現に没頭していたが、それぞれの“距離感”は少しずつズレを孕みはじめていた。
その日の午後、Link Zeroの専用控え室。扉が静かに開き、暁月ルイがひょいと顔を覗かせた。
「おっ、いたいた。響夜、ちょっといい?」
「……ルイ?」
一ノ瀬響夜は、ギターを抱えたまま振り向いた。
「悪いね、急に。ちょっと聞きたいことがあってさ。……今、時間ある?」
「うん、大丈夫。どうしたの?」
ルイはドアを閉め、軽い足取りで響夜の隣のソファに腰を下ろした。いつもの陽気な笑顔を浮かべているが、どこか様子がおかしい。その違和感に、響夜も自然と姿勢を正す。
「なあ、響夜ってさ……“自分の声”って、どう見つけた?」
思いもよらぬ問いだった。
「俺、今まで“盛り上げること”が自分の役目だと思っててさ。みんなを繋ぐ潤滑油みたいな? けど……オーディションが始まってから、それが“自分の音”じゃなかったかもしれないって思ってさ」
響夜は、すぐには答えられなかった。
ルイの声は、いつも明るくて軽やかで、それでいてどこか切なさを含んでいる。彼の歌には、彼にしか出せない“温度”が確かにあると、響夜はずっと思っていた。
「……俺も、見つけたわけじゃないよ。ただ、誰かに届いた“瞬間”を覚えてる。それが、手がかりだった」
「瞬間……?」
「《Promise Echo》のとき、ステージで燈と歌ったあのとき。たぶん、あれが“最初の答え”だったんだと思う。ちゃんと、誰かに届いたって、初めて思えたから」
ルイはしばらく黙ってから、ふっと息をついた。
「……なんか、羨ましいな。そういう“確信”を持てたってことが」
「でも、ルイはきっともう見つけてる。気づいてないだけで、もうその声で誰かの気持ちを動かしてるよ」
その言葉に、ルイは目を細めて、ようやくいつもの笑顔に戻った。
「……ありがと。やっぱ、お前ってズルいわ。なんでそんな“静かな言葉”で人の背中押せんの?」
「そんなつもりじゃ……」
「そういうとこがズルいんだって!」
ルイは軽く笑いながら、立ち上がった。
「よし、じゃあ俺も……ちゃんと向き合ってみる。“盛り上げ役”でも“繋ぎ役”でもない、“俺の声”ってやつにさ」
「うん。……応援してる」
その背中を見送ったあと、響夜は再びギターを手に取った。だが、心にはひとつのざらつきが残っていた。
――それぞれが、自分の“声”を探している。けれど、それは同時に“分かれ道”でもある。
響夜はその先にある風景を、まだ想像できずにいた。
一方、花霞燈は別の収録スタジオで、加々美凪月の立ち合いのもと、最終リハーサルを行っていた。
「……今の演出、もう少しだけ照明を柔らかくできますか?」
燈は、舞台のスタッフに向けて丁寧に頭を下げる。
「声のニュアンスと光が合わさったときに、もっと“余白”が生まれるようにしたくて」
凪月は、そんな彼女の姿を少しだけ遠くから見つめていた。最初は、頼りなささを感じさせた彼女。だが今、明らかに“自分の表現”に責任を持とうとしている。
「……花霞さん」
「はい?」
「あなたの声には、受け取る人の“感情の奥”を揺らす力がある。だからこそ、あなたはもっと“自分のために”歌ってください」
「自分の、ために……?」
「ええ。“誰かのため”ではなく。まず、自分の声を、あなた自身が信じてあげること。それが、伝える第一歩です」
その言葉に、燈はそっと瞼を閉じた。
――誰かのために歌ってきた。響夜のそばで、支えるように、寄り添うように。 でも、今ここで必要なのは、“自分自身の声”を信じること。
「……はい。やってみます」
その返事は、小さくても芯のある、確かな“決意”だった。
Link Zeroの五人が、それぞれの“音”と向き合う日々。交わらないリズムの中で、それでも少しずつ視線が重なり始めていた。
そして、期限まで残された時間は――あと二日。
提出期限を目前に控えた夜。Link Zeroのメンバーたちは、それぞれの“最後の仕上げ”に取り掛かっていた。
Re:Aria本部にある深夜開放のスタジオは、わずかな照明と静寂に包まれていた。その一室で、明透咲夜は録音用のマイクの前に静かに立っていた。手に持つのは、原稿用紙一枚分の詩。
彼は、自由課題を“朗読”という形で表現することに決めていた。自分の感情を、音ではなく、言葉の響きそのものとして伝えること。それは、音楽家としてではなく、一人の表現者としての挑戦だった。
咲夜の声が、静かにマイクに乗る。
「――誰かの声に、心を預けてしまうことが、怖かった」
息を吸い、わずかに間を置いて。
「だけど、その声が、僕の中の“沈黙”を壊したんだ」
言葉に色を乗せることは苦手だった。けれど、この短い詩には、Link Zeroという場所で彼が得たものと、なお抱えている葛藤がすべて込められていた。
録音を終え、確認の音を聞き返す。それは不思議な“静けさ”を持っていた。派手ではない。けれど、確かに“残る”音だった。
「……これが、俺の声だ」
誰に聴かれるかではなく、自分自身に届くかどうか。咲夜は、かすかに笑い、機材の電源を落とした。
翌朝。Re:Ariaのロビーで偶然顔を合わせたのは、紅葉沙羅と加々美凪月だった。
「おはようございます、凪月さん」
沙羅が微笑みながら頭を下げると、凪月は短く会釈を返した。
「沙羅さん。最終提出、完了されたと伺いました」
「はい。朗読に少し、映像演出を加えました。声の余白に、少しでも“景色”を残したくて」
「さすがですね。“言葉”に意味を持たせる術を、あなたは知っている」
その評価に、沙羅は僅かに表情を崩す。
「……いえ、本当は怖かったんです。私が紡いだ言葉が、誰かにどう伝わるかなんて、最後までわからなくて」
「伝わることに保証はありません。ですが、あなたが“伝えようとした”事実が、最も重要です」
凪月の視線には、いつもの冷静さと、わずかな温かさがあった。
「Link Zeroは、もともと完璧なユニットではない。だからこそ、それぞれの“欠け”が、全体の輪郭を浮かび上がらせる」
沙羅はその言葉を胸に刻むように、ゆっくりと頷いた。
「……それでも、やっぱり五人でステージに立ちたいですね」
「それは、あなた方次第です」
言い切られた言葉には、どこか優しい“希望”の響きがあった。
その日の午後――。
花霞燈は、旧スタジオの隅で、録音の最終チェックをしていた。彼女の選んだ表現は、シンプルな弾き語りだった。飾らず、誤魔化さず。たったひとつのメロディに、ひとつの想いをのせる。
〈ありがとうって言えなかった 夜の淵で ただ声を重ねた〉
自分の声がどこまで届くのか、不安だった。でも今は、少しだけ、信じてみたかった。モニター越しに響く自分の歌声に、燈はそっと目を閉じた。
「……届くといいな」
その願いは、誰かへの祈りでもあり、自分への約束でもあった。
そして、夜。
控え室に一人残っていた響夜のもとに、短い通知が届いた。
【Link Zero 自由課題 提出:全員完了】
響夜は、画面を見つめたまま、小さく息をつく。五人全員が、それぞれの“声”を出し切った。それは、同じ舞台に立ちながらも、別々の道を選んだ証でもあった。
でも、心のどこかで響夜は願っていた。
――このすれ違いが、やがてまた“重なり”に変わることを。
彼はゆっくりと立ち上がり、録音ファイルをひとつだけ再生した。そこにあったのは、自分が奏でた旋律と、静かに紡いだ言葉。
「これは、俺の“音”だ」
その音は、まだ未完成だった。けれど、どこまでも真っ直ぐだった。
そして明日、選ばれる三人の名が、ついに発表される――。
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