第1章

第48話

《Promise Echo》の成功から二週間――。Re:Ariaは新たな熱気に包まれていた。
 Link Zeroの名は急速に広がり、動画再生数はうなぎ登り、SNSでは毎日のように彼らの名前がトレンド入りしていた。


 だが、人気と期待の波は、いつも静かに“負荷”としてのしかかる。


「……なんか、空気変わった気がしない?」
 


 暁月ルイが、控え室のソファに背を預けながらぽつりと呟いた。


「Link Zeroが“売れ始めた”ってことだよ」
 


 明透咲夜が、手にしていたミネラルウォーターをテーブルに置く。


「それがいいことかどうかは、まだわからないけどね」


 その日、Link ZeroはRe:Aria本部での定例ミーティングに臨んでいた。だが、内容は以前と少し違っていた。案件数の急増、個別配信とユニット活動のバランス調整、対外的なコメント調整案……。


「ねえ、咲夜くん。これって、グループより“個人”が推され始めてるってことじゃない?」
 


 紅葉沙羅がそっと言葉を挟んだ。


「数字的には、たしかにそうだね。燈の配信は視聴者の増加率が高いし、ルイは動画系での拡散力が強い。沙羅は歌詞提供のオファーも来てる。……響夜は?」


 その名を聞かれて、一瞬の沈黙が走る。


「俺……は、たぶん横ばい。急な伸びはないけど、固定ファンの反応は安定してるって、凪月さんが言ってた」


 一ノ瀬響夜は、背もたれに寄りかかりながら静かに答えた。その言葉に、誰も異論を挟まなかった。彼の“声”の力を、メンバー全員がよく知っていたからこそ。


「でもさ、“安定してる”って言葉、最近ちょっと怖くない?」
 


 ルイが眉をひそめる。


「悪く言えば、目立たないってことじゃん?」


「……それが悪いとは限らない」
 


 咲夜が淡々と返す。


「ステージでの響夜の声は、間違いなくグループの“要”だった」


「……ありがと」
 


 響夜は微かに笑って、目を伏せた。


 そのとき、控室のドアがノックされた。


「失礼します。マネージャーの加々美です。少し、お時間をいただけますか?」


 加々美凪月。Link Zeroのマネージャーであり、冷静さと合理性の象徴のような存在。彼女はノート端末を開きながら、彼らに視線を向けた。


「今回、Link Zeroにとって非常に重要な提案が舞い込みました。……Re:Aria主催のユニット内オーディション、正式決定です」


「ユニット内……オーディション?」
 


 燈が目を丸くする。


「はい。詳細はこれから共有されますが、形式としては“少人数サブユニットの立ち上げ”にあたる企画です。メンバーは3名。選出はプロデューサーと運営による審査、ならびに一部パブリック評価によって決定されます」


「つまり……Link Zeroから3人、選ばれるってこと?」
 


 沙羅の声が、少しだけ硬くなる。


「その通りです。そして、その選出結果次第では、今後の活動スタイルにも影響が出るでしょう。個人評価が重視される局面が増えるのは避けられません」


 沈黙が、部屋を満たした。


「……勝ち抜いた人間だけが“次”へ進める」
 


 咲夜の言葉は、淡々としていたが、そこに潜む感情は誰よりも濃かった。


「……なるほどね」
 


 ルイが立ち上がり、大きく伸びをしながら笑う。


「だったら、俺はやるよ。誰かがやるなら、俺も全力でいく。負ける気、しないしね」


「私は……迷うけど。響夜は?」
 


 燈が、不安げな瞳で彼を見つめた。


「俺は――」
 


 響夜は口を開きかけて、ふと言葉を止めた。


 自分の声は、今どこまで“届いて”いるのか。個としての力と、Link Zeroの中での存在感――その“差”が、静かに胸を打っていた。だが、彼の答えはまだ出なかった。



 それは、これから始まる“もうひとつのステージ”の幕開けでもあった。


 ユニット内オーディション――。その一報は、Link Zeroの中に静かに波紋を広げていた。それぞれが胸の内に抱く思いを整理しきれないまま、打ち合わせは解散となり、メンバーたちはそれぞれの場所へと散っていった。


「……オーディション、か」
 


 一ノ瀬響夜は、自室のスタジオブースで独りごちた。モニターには、新しく立ち上げたばかりの楽曲制作画面。けれど、カーソルはイントロの冒頭で止まったまま動いていない。考えがまとまらなかった。


 サブユニット、3人。Link Zeroの中から3人だけが選ばれ、再構築されたグループで新たな企画に挑む。実質的には、現在のユニットを“競わせる”という形式にほかならない。


 それは、“Link Zero”を形作ってきた絆を、試すような構造だった。

 

 響夜は手を止め、机に肘をついたまま天井を見上げる。脳裏をよぎるのは、ライブの記憶――《Promise Echo》のステージで、燈と交わした視線。咲夜や沙羅と合わせたコーラスの重なり。ルイが自然と盛り上げてくれた間奏。


 誰か一人が欠けても、あの完成度は得られなかった。それなのに――選ばれる“3人”と、選ばれない“2人”。


「……俺は、どうしたいんだろう」


 その言葉に、明確な答えはまだなかった。


 翌日。Re:Aria本部の小規模スタジオ。Link Zeroの面々が集められたのは、個別インタビュー収録のためだった。


 まずスタジオ入りしていたのは、明透咲夜だった。


「……個人の力を問われる企画。それが悪いとは思わない。でも、それを“Link Zero”の中でやる意味は、きちんと考える必要があると思う」


 咲夜は冷静にそう語った。インタビュアーの問いかけに一切の迷いはなく、理路整然と自らの考えを語る姿は、まさに彼らしい。


 次に現れたのは、暁月ルイ。収録が始まると、いつもの明るさを保ちながらも、時折、言葉に熱がこもった。


「俺さ、自分のこと“盛り上げ役”だって思ってたけど――
 本当は、自分の“色”をもっと見てほしかったのかも。だから、このチャンス、逃したくない。ちゃんと、自分の声で勝負したいんだ」


 その言葉の裏にある葛藤を、誰もが感じ取っていた。


 沙羅のインタビューは、柔らかく、しかし芯のある言葉で満ちていた。


「私は……できることなら、五人のままでいられるのが理想。でも、表現者として、自分の声を磨き続ける覚悟もある。
“Link Zero”を続けていくために、個を高める努力は必要だと思っています」


 その静かな覚悟に、収録スタッフの誰もが小さく息を飲んだ。


 そして――花霞燈。


「……不安です。正直、すごく怖い。でも、今まで“誰かに支えられてばかり”だった自分から、少しだけでも前に進みたい。響夜くんと歌った《Promise Echo》で、やっとそう思えたから……この挑戦を、ちゃんと受け止めたいです」


 その言葉の一つ一つが、まっすぐに響いた。


 最後に残ったのは、響夜だった。マイクの前に立ち、スタッフからの「準備はいいですか?」という問いに、彼は静かに頷いた。


「……俺は、まだ答えが出ていません。ただ、“Link Zeroの一員”としてじゃなくて、“一ノ瀬響夜”として歌えるようになりたいって、そう思ってます」


 彼の声は小さかったが、揺るぎなかった。グループの名のもとではなく、自分の声で、自分の想いで。それを形にするために――響夜は、少しずつ覚悟を決め始めていた。


 スタジオの廊下を出たとき、燈が響夜を待っていた。


「……お疲れさま。話、してくれた?」


「うん。……ちゃんと、自分の言葉で言えたよ」


「そっか。……それなら、よかった」


 ふたりの視線が交差する。そこに言葉は多くなかったが、互いの“歩幅”は、確かに重なりつつあった。

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