第46話
《Promise Echo》のリハーサルが始まった。
バーチャルとは思えないほど精緻に再現されたシミュレーションステージ。広がる光の海、揺れる客席の影。五人の立つ舞台は、すでに“その日”の空気をまとっていた。
イントロが流れ出すと、Link Zeroの表情が静かに変わっていく。緊張と覚悟、そしてほんの少しの高揚――すべてが、音に込められる瞬間を待っていた。
トップバッターは、暁月ルイ。
「――誰かに届くって、信じてみたかった」
軽やかな声。だが、芯のある熱が宿っていた。彼の内側に潜む“孤独”を知っているからこそ、この言葉は観る者の心を震わせる。
続いて、紅葉沙羅が静かに紡ぐ。
「響き合う声の中に、私自身を見つけたの」
彼女の透明感のある歌声は、どこか祈りのようで。誰かに手を差し出すような優しさがそこにはあった。
そのまま、明透咲夜の低音が空気を切り裂くように響く。
「答えなんてなくても、歩いてみたいと思った」
理論で構築された彼の声は、それでも今では感情を帯びている。理屈ではない、“衝動”を言葉に変えた咲夜の歌は、確かな変化を感じさせた。
そして、花霞燈。彼女のパートが始まった瞬間、会場の空気が柔らかく色づいたように思えた。
「あなたがいたから、私は歌になれた――」
その一節だけで、Link Zeroという存在が持つ“物語”の全てが浮かび上がる。過去の傷も、失った自信も、それを超えて前に進もうとする彼女の姿が、音に乗って広がっていく。
そして、ラストを担うのは、一ノ瀬響夜。
彼の歌は、かつてのような迷いを含んでいなかった。まっすぐに、けれど決して押しつけがましくない温度で、観客席の向こうへと放たれる。
「この声が届くとき、僕はきっと、ここにいる――」
重なるコーラス、交錯する旋律。Link Zeroがひとつの音として“まとまっている”ことが、ただの理屈ではなく“実感”として確かにあった。
クライマックス。五人の声が、緩やかに、けれど確かに重なり合う。
「Promise Echo――」
その言葉とともに、光が溢れるように広がった。それは、約束の残響。誰かの心に届くことを信じて発された“未来への音”。
リハーサル終了の合図と共に、音がふっと消える。
スタジオに訪れる静寂は、ただの“終わり”ではなく、何かを超えた“到達”のようなものだった。
「……今の、すごかった」
ルイが真っ先に口を開いた。
「自分で言うのも変だけど、今日のLink Zero、マジで良かったよ」
「うん。ちゃんとひとつになれてた」
燈が目を潤ませながら笑う。
「いや……“ひとつ”じゃない」
咲夜が、静かに補足する。
「五人がそれぞれの声を保ったまま、同じ場所を見ていた。それが……“Link Zero”なんだと思う」
「その言葉、録音しておけばよかったわ」
沙羅が冗談めかして笑う。
その笑い声が、スタジオの天井高くまで届いたとき、響夜は密かに息を吐いた。
今日の歌は、間違いなく“今の自分”の声だった。かつては、誰かの影に隠れていた自分。言葉にすることを怖れていた過去。でも今、彼は“音”でそれを越えていた。そして――その声を、誰よりもそばで聴いてくれた存在がいる。
ちらりと横を向くと、燈がじっと彼を見ていた。何も言わなくても、伝わっている。そう思えることが、ただ、嬉しかった。
リハーサルを終えた翌日、Link Zeroのメンバーには一日だけのオフが与えられた。本番前の英気を養うため、各々が自分の時間を静かに過ごしていた。
燈は、午前中から静かなバーチャル図書室にこもっていた。お気に入りの場所――大型ウィンドウから空を模した演出が流れ、ほんのりと陽の気配を感じる一角。彼女はそこに腰掛け、ノートを開いたまま、ペン先を軽く揺らしていた。
書いているのは、次の配信用に考えていた“朗読”の原稿だった。ライブ終了後に響夜と行う予定の、ふたりだけの配信。そのための、彼女なりの準備だった。
「音楽で話すのもいいけど、言葉にすることも、やっぱり大事だと思うから」
そう、自分に言い聞かせるように。
ふと、メッセージの通知音が鳴る。差出人は――一ノ瀬響夜。
一ノ瀬響夜:今、少しだけ話せる?
花霞燈:うん、大丈夫。どうしたの?
一ノ瀬響夜:……今、ちょっと歩きたくて。図書室の屋上、来られる?
そのメッセージに、燈の胸が少しだけ跳ねた。
花霞燈:うん、すぐ行く
図書室の屋上は、バーチャル空間とは思えないほど自然の感覚に近い。風が髪を揺らし、空の青がやさしく広がっている。そこに立っていたのは、黒いパーカーに身を包んだ響夜だった。
「……ごめん、急に」
「ううん。いいタイミングだったよ。集中してたから、少し気分転換したかったし」
燈が隣に立つと、響夜は静かに目を細めた。
「……ライブのこと、考えてた」
「不安?」
「ううん、違う。……ただ、ちゃんと終わったとき、何かを残せるかなって。観てくれた人の中に、ひとつでも“何か”が響いてくれたらいいなって、そう思ってる」
その言葉は、響夜が初めてLink Zeroとしてステージに立ったときとは、まったく違うものだった。 “うまくやらなきゃ”ではなく、“伝えたい”という純粋な思いが、そこにはあった。
「きっと、大丈夫だよ」
燈が静かに言う。
「だって、響夜の声って、ちゃんと届いてる。私にだって、そうだったんだから」
響夜は、少しだけ目を伏せたあと、何かを決意するように顔を上げた。
「……ねえ、燈。あの配信、本当に“ふたりだけ”でやっていい?」
「え?」
「演出も、台本も、スタッフも最小限にして……ただのLink Zeroじゃなくて、“一ノ瀬響夜”と“花霞燈”としてやりたい。今の自分たちの声を、もっと……本当の意味で届けたいんだ」
燈は少し驚いた表情を浮かべたあと、すぐに頷いた。
「……いいと思う。それ、すごく響夜らしいし、すごく、私も“やってみたい”って思った」
しばらく風がふたりの間を通り抜ける。言葉は交わされていなくても、確かな思いがそこにあった。バーチャルの空の下で交わされる、現実以上に確かな“約束”。それは、ステージの上とはまた違う形で、ふたりの関係を静かに進めていた。
その日の夜、響夜はまたひとつ、新しいプロジェクトファイルを開いた。タイトル欄にはまだ何もない。だが、前回よりも手は迷わなかった。
ピアノロールに置かれる最初の音。それはまるで、“ふたりで歩き出す”ための一歩のようだった。
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