第2章「恋するように、歌えたら」

第11話 恋を歌う、その意味がわからなくて

「ねぇ、次の曲、また“恋の歌”にしない?」


 燈の提案は、まるで冗談みたいに軽やかだった。Link Zeroとしての活動が本格化し、次のユニット企画が動き出す中で行われた非公開の作戦会議。いつものように和気あいあいと始まった通話の中で、彼女はまっすぐにそう言い放った。


「……恋、ですか?」


 響夜は思わず訊き返した。彼の声には、戸惑いとわずかな警戒がにじんでいた。


「そう!いっそ“王道ラブソング”って感じの、甘酸っぱいやつ!」


「燈ちゃんらしいっていうか、ストレートすぎて逆に新鮮だな……」



 ルイが笑い混じりに相槌を打つ。


「ただ、“演技”として歌うには、それなりに感情の説得力が必要になるわよ」



 沙羅の指摘は冷静だったが、その目はどこか興味深げでもあった。


「……恋、か……」


 
咲夜がぽつりと呟いた声には、ほんの少しの遠さがあった。


 そんな中、響夜だけが、言葉を飲み込んだままだった。


 恋——。


 その言葉は、彼にとってあまりにも“遠い”ものだった。人並みに恋愛作品を読んだことはある。ドラマや映画でそういうシーンを見てきたこともある。けれど、自分自身が“誰かを好きになる”という感情を、しっかりと実感したことはなかった。それは、不感症なのではなく——ただ、他人と向き合うことに臆病すぎたのだ。


(そんな俺が、恋の歌なんて……)


「ね、響夜くんはどう思う?」


 ふいに、自分に向けられた声。響夜ははっと顔を上げる。燈のアバターが、画面の向こうからこちらをじっと見ていた。


「……俺は……前にも言ったけど、恋なんて、わからない。正直、それを“歌える”自信はない」


 それが本音だった。彼の声は少し硬かったが、誠実だった。けれど、燈はまったく動じなかった。


「わたしも、わからないよ」


「え……?」


「でもさ、“わからない”ってことを、ふたりでそのまま歌にしたらどうなるかなって、思ったんだ」


 その言葉は、予想外だった。彼女の中では、すでに“恋を知っている者”として完成された姿があるのだと思っていた。けれど燈もまた、“わからなさ”を抱えていた。


「恋って、経験がないと歌えないって、思ってたんだよね。でも、好きってなんだろう、って悩んでるときの方が、逆に素直に歌えることもあるかもって」


 その言葉に、響夜は言葉を失った。


 ——わからないまま歌う。——理解していないからこそ、本音が滲む。

そんな歌があっても、いいのかもしれない。



 後日、ふたりは再び音合わせの時間を設けた。今回のテーマは“まだ気づかない恋の始まり”。燈が提出した仮歌詞には、こんなフレーズが綴られていた。


《胸の奥が ふいに揺れたのは
 君の声が 少し近かったせい》


《好きなんて知らないけど
 君を見てると 苦しくなるよ》


 思わず、響夜は指を止めた。この歌詞を、燈は本気で書いてきたのだ。ふざけるでも、狙うでもなく、彼女なりの“まだ見ぬ気持ち”を、正直に言葉にしていた。


「……すごいな、これ。……なんていうか、誤魔化してないんだな」


「えっ、褒めてる?」


「うん。……俺には、まだこういう言葉、出てこないかも」


「じゃあ、それはわたしの担当! 響夜くんは、“わからないままに歌う”担当!」


 まるで役割分担を決めるような調子で、燈はけろりと言った。それが、なんとも彼女らしかった。


 音合わせが始まった。今回は、より距離の近い感情を求められる内容だったため、響夜にとっては挑戦だった。


 ——君の声が、少し近かったせい。


 そのフレーズを歌うとき、イヤモニ越しに燈の息遣いが微かに混ざった。


 一瞬、心臓が跳ねた。


“これは、演技じゃないかもしれない”と、思ってしまった。その一秒に込められた違和感が、どこかリアルだった。


(これが、恋……?)


 わからない。けれど、彼女の声を聞いていると、歌っているときとは別の感情が芽吹いている気がする。それは、歌だけでは処理できない“なにか”だった。

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