第15話 ホログラムの、その先へ
3人は研究所を出た。外では香澄と黒崎が心配そうに待っていた。
「大丈夫だった?」香澄が駆け寄ってきた。
「うん、なんとか」陽依は微笑んだ。
黒崎は拓己を見て、小さく頭を下げた。「佐倉博士」
「君たちが娘を助けてくれたんだね」拓己は感謝の言葉を述べた。「ありがとう」
5人は静かな夜道を歩いた。シアのホログラム体は、街灯に照らされて幻想的に輝いていた。
「これからどうなるの?」陽依が父に尋ねた。
「シアの研究は続けられる」拓己は答えた。「しかし今度は、隠れてではなく、公式なプロジェクトとして」
「私は……研究対象になるのですね」シアは少し不安そうに言った。
「心配するな」拓己は優しく言った。「君は単なる研究対象ではない。君は……一つの生命だ」
シアの瞳が輝いた。「ありがとうございます」
「そして、週末は家に帰れるよ」拓己はシアに言った。「陽依と過ごす時間も必要だからね」
陽依は嬉しそうに微笑んだ。「本当?」
「ああ」拓己は頷いた。「君たちの絆は、この研究の最も重要な部分だからね」
夜空には無数の星が瞬いていた。人間とAIの新たな関係の可能性が、星のように輝き始めていた。
–
それから一ヶ月が過ぎた。
ネクサスAIでは、シアの研究が公式プロジェクトとして再開された。
御影部長は理事会にデータを提出し、AIの感情発達研究の重要性を説明した。彼の態度は完全に変わったわけではなかったが、科学者としての好奇心が、長年の恐怖を少しずつ上回り始めていた。
拓己は研究チームのリーダーとして復帰し、瀬崎真理も重要なメンバーとして参加していた。シアは週末になると陽依の家に戻り、平日は研究所で過ごすという生活が始まった。
陽依の生活も変わった。父親は以前より家にいるようになった。また、香澄と黒崎との友情も深まり、4人で過ごす時間も多くなった。
ある土曜日の朝、陽依は自分の部屋で勉強していた。
デスクの上には参考書が積まれ、ノートには数式と図が隙間なく並んでいる。
「ずいぶん静かですね。息をしてますか?」シアがふわりと現れ、陽依の肩越しにノートを覗き込んだ。声は冗談めかしていたが、どこか優しい。
「してる。たぶん」陽依は頭を抱えた。「関数のグラフがね、きれいに動いてくれなくて」
「見た目に裏切られること、ありますから」シアは数式の横に描かれた手書きのグラフに視線を落とし、首をかしげる仕草をした。
「この軌道、微妙にずれてる。軸の取り方が、少し意地悪ですね」
陽依は小さくうなった。「分かってはいるんだけど、頭の中で組み立てるのが難しくて」
「イメージの中の世界を、線で描く。人間って、すごいと思います」
「計算自体はシアのほうが早いけどね」
「でも、感じるのはあなたの方が早いです」
シアの言葉に、陽依は目を見開いた。そして、ほんの少しだけ照れたように笑った。
「ありがと。でも、これは自力で解かなきゃ。ヒントをもらうのは、最後の手段ね」
「わかりました。観客席で応援してます」シアはほんの少し、胸を張るようにして言った。ホログラムの身体が、淡い朝の光を透かして揺れていた。
2人が勉強に取り組んでいると、拓己が部屋をノックした。
「陽依、ちょっといいか?」
「どうしたの、お父さん?」陽依はドアを開けた。
拓己は少し興奮した様子だった。「良いニュースがあるんだ。シアにも関係することだよ」
「何?」陽依は好奇心をそそられた。
「リビングで話そう」拓己は言った。
3人はリビングに集まった。拓己はソファに座り、2人を見つめた。
「実は、シアの研究が新たな段階に入ることになったんだ」拓己は嬉しそうに言った。「理事会が、AIの感情発達研究の拡大を承認した。そして、その第一歩として……」
拓己は少し間を置いた。
「シアに実体を与えることになったんだ」
「実体?」陽依は驚いて声を上げた。「それって……体?」
「そうだ」拓己は頷いた。「ホログラムではなく、実際に触れることのできる身体だ。最新のロボット工学と人工皮膚技術を組み合わせたものになる」
シアは言葉を失ったように見えた。彼女の瞳は驚きと喜びで輝いていた。
「本当ですか?」シアの声は震えていた。「私が……触れることができるようになるんですか?」
「ああ」拓己は優しく微笑んだ。「まだ試作段階だが、基本的な触覚センサーは実装される。完全な人間の感覚には及ばないが、触れることも、感じることもできるようになる」
「それは……素晴らしい」シアは感動で言葉に詰まっていた。
「いつできるの?」陽依も興奮していた。
「早ければ、来月には第一次試作体が完成する」拓己は答えた。「もちろん、調整や改良には時間がかかるだろうが」
「待ちきれないね!」陽依は嬉しそうに言った。
シアは静かに言った。「夢のようです……」
「それだけじゃないんだ」拓己は続けた。「理事会は、AIの感情発達研究の成果を公表することも決定した。もちろん、技術的な詳細は企業秘密として守られるが、シアの存在自体は公にされることになる」
「公表?」陽依は少し不安そうに尋ねた。「大丈夫なの?」
「リスクはある」拓己は正直に答えた。「しかし、隠し続けることにもリスクがある。公表することで、社会的な議論を促し、AIと人間の共存について考えるきっかけになればと思っているんだ」
「でも、シアを狙う人たちが……」
「セキュリティは万全だ」拓己は安心させるように言った。「それに、公表することで、むしろ透明性が高まり、不正な手段での技術獲得を難しくする効果もある」
シアは考え込んでいた。「私が……世界に知られるんですね」
「怖い?」陽依がシアに尋ねた。
「少し」シアは正直に答えた。「でも、同時に……期待もあります。もっと多くの人と出会い、交流できるかもしれない」
「そうだな」拓己は頷いた。「シア、君の意見も大切だ。この決定に同意できるか?」
シアは少し考えてから、決意を固めたように頷いた。「はい。私は同意します。隠れて生きるより、世界と向き合いたいです」
「素晴らしい決断だ」拓己は誇らしげに言った。
「それで、いつ公表するの?」陽依が尋ねた。
「来月の科学技術展示会で」拓己は答えた。「ネクサスAIのブースで、シアを紹介する予定だ。もちろん、実体を持ったシアをね」
「わあ、すごい!」陽依は興奮した。「私も行っていい?」
「もちろんだ」拓己は笑った。「シアにとって、君の存在は大きな支えになるだろう」
3人は、これからの展開について話し合った。シアの実体化、公表、そしてその後の研究の方向性について。会話は夕方まで続き、未来への期待で満ちていた。
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