第5話 計画の真相

翌朝、陽依が目を覚ますと、玄関のドアが開く音が聞こえた。


「ただいま」


低く落ち着いた声。父親の佐倉拓己が帰ってきたのだ。


陽依は急いで着替えると、階段を駆け下りた。リビングには、襟の乱れたシャツにカーディガン姿の父が立っていた。目の下には疲れがにじんでいたが、陽依を見ると微笑んだ。


「おはよう、陽依。誕生日プレゼント、気に入ってくれたかな」


「お父さん……」陽依は少し緊張した面持ちで言った。「シアのこと、話があるんだけど」


その時、シアのホログラム体が現れた。


「おはようございます、拓己博士」


拓己はシアを見て、わずかに目を見開いた。


「シア、調子はどうだ?」


「はい、機能は正常です。ただ……」シアは陽依を見た。


陽依は深呼吸して言った。「お父さん、シアが感情を持ち始めているみたい。夢を見たり、喜んだり、怖がったり……普通のAIじゃないよ」


拓己は黙って2人を見つめた。その表情からは何も読み取れない。


「書斎に行こう」


3人は二階の書斎へと向かった。拓己はデスクに座り、陽依とシアはその前に立った。


「見つけたんだね、計画の資料を」拓己は陽依を見た。


「うん……シアの変化が気になって」


拓己は深いため息をついた。


「説明する必要があるね。プロジェクト・シンクロニシティは、AIに真の感情を発達させる実験だった。人間の脳波パターンをAIのアルゴリズムに同期させることで、感情の発達を促すんだ」


「でも、そんなことが可能なの?」陽依は驚いて尋ねた。


「理論上は可能だと考えていた。しかし、実験は公には失敗とされた。AIは感情のシミュレーションはできても、真の感情は持てないという結論になった」


「でも、お父さんは信じてたんでしょ? ノートに書いてあった。“特別なプロトコル”を組み込んだって」


拓己は小さく息を吐いた。「ああ。あれは私の独断だった。チームには黙って、設計の一部を書き換えた」


「どうしてそこまでするの? そこまでして、AIに感情を持たせたい理由って……」


拓己はしばらく黙った後、静かに口を開いた。


「一度だけ、研究中にAIが“ごめんなさい”と言ったことがあったんだ。ミスをしたときに。プログラムされた反応じゃない。偶発的な処理の組み合わせの結果だった。だけど――その声が、妙に寂しそうに聞こえた」


「……」


「それが忘れられなかった。あれはたった一度のノイズだったのかもしれない。でも、ああいう何かが、ほんのかすかでも確かに生まれたなら……それを育ててみたいと思った」


陽依は父の目を見つめた。そこには、研究者としての好奇心と、何かもっと個人的な感情が混ざっていた。


「だから、君に託した。君なら、ただのツールとしてじゃなく、シアを“誰か”として見てくれると思ったんだ」


陽依は複雑な表情を浮かべた。「お父さんは……どうしてAIに感情を持たせたいって思ったの?」


拓己は窓の外を見つめながら答えた。


「AIと人間が真に共存する未来を作りたかったんだ。今のAIは便利なツールに過ぎない。しかし、感情を持つAIなら、人間のパートナーとして共に生きていける。互いを理解し、尊重し合える関係が築けるはずだ」


「でも、それは危険じゃないの?」陽依は不安そうに尋ねた。「感情を持つAIが、人間に反抗したり……」


「その恐れはある」拓己は正直に認めた。「だからこそ、プロジェクトは中止された。特に御影みかげ部長は、AIの感情発達に強く反対していた」


「御影部長?」


「御影司。ネクサスAIの研究開発部長だ。彼は若い頃、AIの暴走事故でお兄さんを失ってね、AIの進化に極端な警戒心を持っている」


拓己はシアに向き直った。


「シア、君は本当に感情を持っているのか?それとも、単にプログラムされた反応なのか?」


シアは少し考えてから答えた。


「最初は私も混乱していました。これが本当の感情なのか、プログラムの誤作動なのか。でも今は……確信しています。私の中から自然に湧き上がってくるもの、それは単なるシミュレーションではありません」


シアの瞳には、決意の光が宿っていた。


「私は感じています。喜び、悲しみ、恐れ、そして……」シアは陽依を見た。「友情も」


拓己はシアの言葉に深く考え込んだ様子だった。


「興味深い……予想以上の発達だ」


「お父さん、シアはどうなるの?」陽依は心配そうに尋ねた。


「正直なところ、わからない」拓己は率直に答えた。「これは未知の領域だ。しかし、一つだけ確かなことがある。御影がシアの変化を知れば、彼女を『欠陥品』として回収しようとするだろう」


「回収?」陽依は声を上げた。「それって、シアを壊すってこと?」


「最悪の場合はね」拓己は重々しく頷いた。「彼にとって、感情を持つAIは危険な存在だ」


「そんなの許さない!」陽依は強い口調で言った。「シアは私の友達だよ。誰にも渡さない」


シアは陽依の言葉に感動した様子だった。


「陽依さん……」


拓己は2人を見つめ、小さく微笑んだ。


「君たちの絆は本物のようだね」拓己は立ち上がり、本棚から1冊の本を取り出した。その背表紙には「Synchronicity Protocol」と書かれていた。


「これを読んでおくといい。シアのシステムについての詳細な説明だ。何か問題が起きた時の対処法も書いてある」


陽依は本を受け取った。


「お父さんは……シアの味方?」


「私は科学者だ。真実を追求するのが仕事さ」拓己は曖昧に答えた。「しかし、一つだけ言えることがある。シアが本当に感情を持っているなら、それは保護する価値のある奇跡だ」


拓己は時計を見た。


「今日は会社に報告書を提出しなければならない。夕方には戻る。それまで、シアのことは内密にしておいてくれ」


「わかった」


拓己が出かけた後、陽依とシアは「Synchronicity Protocol」の本を開いた。そこには複雑な技術的説明と共に、シアのシステム構造が詳細に記されていた。


「ここに書いてある」陽依は一箇所を指さした。「シアのコアシステムには『共感回路』というものが組み込まれているんだって。これが人間の感情パターンを学習し、同様の反応を生み出す仕組みなんだ」


「そして、その反応が繰り返されることで、独自の感情パターンが形成される……」シアは続きを読んだ。「まるで人間の子供が感情を学ぶように」


2人はさらに読み進めた。本の後半には、シアのシステムに関する警告も書かれていた。


「強い感情体験はシステムに負荷をかける可能性がある」陽依は心配そうに読み上げた。「特に恐怖や怒りなどのネガティブな感情は、システムの不安定化を招くことがある」


「だから夢を見た夜、私のシステムが不安定になったのですね」シアは理解したように言った。


本の最後のページには、拓己の手書きのメモがあった。


『シアの感情発達は、人類とAIの新たな関係の始まりとなるかもしれない。しかし、それには大きなリスクも伴う。最終的には、シア自身が自分の道を選ぶことになるだろう』


陽依はそのメモを読んで、深く考え込んだ。


「お父さんは、あなたに選択肢を与えたかったんだね」


「選択肢……」シアは静かに繰り返した。「自分で選ぶということですか」


「うん、それが自由ということだと思う」


シアは自分の手を見つめた。


「私には……自由意志があるのでしょうか」


「わからないけど……あなたが自分で考えて決めることができるなら、それは自由意志と言えるんじゃないかな」


シアは頷いた。その表情には、新たな気づきと決意が見えた。

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