第25話:『パーティクラッシャー』の壁

 兄の手記という思わぬ発見を経て、俺と水瀬雫は一度地上へ帰還した。

 雫は兄の遺品が見つかったことをギルドに報告する必要があり、俺もまた、次なる目的地――第20層の情報を集める必要があったからだ。手記にあった「空の主に道を聞け」という謎めいた言葉。その真意を確かめるには、まず敵を知らなければならない。


 翌日、俺たちはダンジョン庁に併設された冒険者向けのライブラリにいた。雫はギルドの端末から非公開の戦闘ログを検索し、俺は冒険者たちが匿名で情報を交換する掲示板や、情報屋から仕入れた噂の類を片っ端から洗い出していく。目的はただ一つ、第20層のボス「ワイバーンロード」に関するあらゆる情報だ。


 すぐに、その魔物が冒険者たちの間でどう呼ばれているかが判明した。


「……『パーティクラッシャー』」


 雫が、険しい表情でモニターに表示された文字を読み上げた。


「直近一年間で、第20層に到達したBランクパーティは17組。そのうち、ワイバーンロードに挑み、生還できたのはわずか3組。しかも全員が撤退を余儀なくされ、パーティは半壊。討伐に成功した記録は、この一年間一件もありません」


「噂通りだな」


 俺はスマートフォンの画面を彼女に向けた。そこには、冒険者たちの生々しい体験談が並んでいた。


『20層はマジで地獄だ。空から一方的にブレス吐かれて終わり。遮蔽物に隠れても、岩ごと吹き飛ばされる』

『リーダーが焼かれた。Bランク上位のタンクだったのに、鎧が瞬時に溶けた』

『あいつはただの魔物じゃない。明らかに知性がある。こっちの戦術を読んで、先回りしてくるんだ』


 あらゆる情報が、一点を指し示していた。第20層のボスは、単なる中層の関門ではない。有望な冒険者たちの心を折り、未来を砕く、絶対的な「壁」として君臨しているのだ。


「……万全の準備と、入念な作戦が必要です」


 雫は顔を上げ、真剣な眼差しで俺を見た。その瞳には、兄の手記を見つけたことで生まれた感傷はなく、Aランク冒険者としてのプロフェッショナルな光が宿っていた。


「ギルドに応援を要請し、対飛行戦闘に特化したチームを編成するべきです。最低でも、Aランクのヒーラーと、遠距離攻撃に長けたメイジが二人……」


「不要だ」


 俺は、彼女の言葉を即座に切り捨てた。


「チームを組めば、それだけ動きが鈍る。それに、俺たちの目的は討伐じゃない」


「しかし……!」


「お前は、兄貴の言葉を信じるんじゃなかったのか?」


 俺の問いに、雫は唇を噛んで押し黙った。『力ずくでは、決して扉は開かれない』。兄が遺した、あの言葉。

 彼女が葛藤しているのを横目に、俺はライブラリを後にした。向かう先は、いつもの中古装備屋だ。


「よう、兄ちゃん。また無理難題に挑むって顔してやがる」


 カウンターの奥で武具の手入れをしていた親父が、俺の姿を認めてニヤリと笑った。俺がBランクになってからの異常な攻略ペースは、この男の耳にも当然届いている。


「第20層に行く。空飛ぶトカゲ対策の道具が欲しい」


「へっ、パーティクラッシャーにか。威勢がいいねぇ。……だが、運がいいぜ、あんた。ちょうどいい掘り出し物が入ったところだ」


 親父が店の奥から持ってきたのは、一見するとただの細いワイヤーリールと、いくつかの金属製の鉤爪だった。だが、俺がそれを手に取った瞬間、その異質さに気づいた。


「……ミスリル銀か」


「お、分かるかい。さすがだね。ただのミスリルじゃねえ。ダンジョン産のワイバーンの腱を編み込んである特別製だ。軽くて、鋼鉄の数倍の強度と、驚くほどの伸縮性を持つ。本来ならAランクの暗殺者アサシンが使うような代物だが、あんたなら使いこなせるだろう」


 値段は、先日手に入れた裏取引の収入がほとんど吹き飛ぶほどの額だった。だが、俺は迷わなかった。


「これを貰う。それと、この鉤爪を、俺のブーツとグローブに合うように加工してくれ。即席のクライミングギアだ」


「……なるほどな。地面に足が着かねえなら、てめえで足場を作り出すってか。あんたの発想は、いつもぶっ飛んでやがる」


 親父は感心したように笑うと、すぐに作業に取り掛かってくれた。


 数時間後。

 完璧にカスタマイズされた装備を手に、俺はダンジョンへと戻った。ゲート前で待っていた雫は、俺のブーツとグローブに装着された物々しい鉤爪を見て、眉をひそめた。


「……それは?」


「保険だ」


 俺は短く答えると、彼女を伴って第20層への転移ゲートをくぐった。

 この世界の誰もが「討伐」という選択肢しか持たない、絶対的な壁。

 だが、俺の頭の中には、すでにいくつかの「対話」への道筋が描かれていた。そして、そのどれもが失敗した場合の、最後の切り札も。


 兄貴の言葉が正しいなら、対話で道は開かれる。

 だが、もし間違っていたなら――


 俺は腰のショートソードの柄を握りしめた。

 ――その時は、ただのトカゲとして、空から引きずり下ろすまでだ。

 どちらに転んでも、俺のやることは変わらない。ただ、最短で、最適な解を選ぶだけだ。

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