第19話:効率的な殲滅
沈黙の行軍から一夜が明け、俺たちは第15層のボスエリアへと続く、巨大な洞窟の入り口に立っていた。洞窟の奥からは、地響きのような低い唸り声と、空気を圧するほどの濃密な魔力が漏れ出してきている。
水瀬雫はレイピアの柄に手をかけ、表情を引き締めた。昨夜の感傷的な雰囲気は消え、Aランク冒険者としての鋭い眼光を取り戻している。
「ここがボスエリアですね。情報によれば、内部には一体の『サイクロプス』がいます。巨大な一つ目から放たれる魔力光線が脅威ですが、動きは鈍重。セオリー通りの戦い方で、問題なく対処できるはずです」
彼女は俺の方を向き、確認するように言った。その口調には、もはや命令の色合いはなく、対等なパートナーへの提案の響きがあった。
「私が正面から攻撃を仕掛け、光線を誘発させます。あの巨体では、一度攻撃を放つと大きな硬直が生まれる。その隙に、あなたが背後から弱点である踵の腱を狙ってください。Aランクパーティでは定石とされている戦術です」
それは、Aランク冒険者であれば単独でも数分で討伐可能な、教科書通りの最適な戦術だった。リスクが少なく、確実性が高い。彼女の判断は、何一つ間違っていない。
だが、俺は静かに首を横に振った。
「時間がかかりすぎる」
「え……?」
「5秒で終わらせる」
俺の言葉に、雫は息を呑んだ。
「5秒……? 無茶です! サイクロプスの皮膚は岩のように硬く、並の攻撃では傷一つ……」
彼女が反論し終える前に、俺はもう動き出していた。雫の制止の声も聞かず、洞窟の暗闇の中へと一人で突き進んでいく。
洞窟の最奥は、ドーム状の広大な空間になっていた。その中央に、奴はいた。
身長10メートルはあろうかという、筋骨隆々の巨人。そして、顔の中心に一つだけ存在する、不気味に輝く巨大な目。中層の最初の関門、ボス「サイクロプス」だ。
俺の侵入を察知した巨人が、唸り声を上げてこちらを振り向く。その巨大な一つ目が、俺の姿を捉えた。
「グ……ォ……!」
サイクロプスの目が、眩いほどの光を放ち始める。周囲の魔力が、その一つ目に急速に収束していく。雫が言っていた、魔力光線の予備動作だ。まともに喰らえば、骨も残らないだろう。
後方から追いついてきた雫が、「危険です! 回避を!」と叫ぶ。
誰もが、俺が回避行動を取ると思っただろう。だが、俺は止まらなかった。むしろ、さらに加速し、光に向かって正面から突撃する。
自殺行為――雫の目には、そう映ったはずだ。
サイクロプスが光線を放とうと、一つ目に魔力を最大まで集中させた、そのコンマ数秒の瞬間。
俺の右腕が、鞭のようにしなった。
放たれたのは、銀色に輝く一本の投げナイフ。
それは、ダメージを与えるためではない。
巨大な一つ目が、高速で飛来するナイフを異物と認識し、一瞬だけ瞼を閉じる――その、生物としての根源的な生理的反応を誘うための、完璧なタイミングで計算され尽くした一投だった。
ピタリ、と魔力の収束が止まった。
眩い光が消え、光線が強制的にキャンセルされる。ほんの一瞬、サイクロプスが怯み、その動きが完全に停止した。
その隙を、俺は見逃さなかった。
懐に飛び込み、巨人の足を蹴り台にして壁へと跳ぶ。壁を蹴って反転し、放物線を描いてサイクロプスの頭上を取った。
無防備に晒された、巨大な一つ目。
そこへ向かって、俺はショートソードを突き立てた。
グシャリ、という生々しい感触。
刃が、躊躇なく巨人の弱点を貫いていた。
「グ……ギ……アアアアアアアアアッ!!」
洞窟全体を揺るがす、断末魔の絶叫。
サイクロプスは巨大な両手で顔を覆い、その巨体がゆっくりと後ろに傾いでいく。そして、地響きと共に、仰向けに倒れ込んだ。
静寂。
Aランク冒険者が数分かけるボスを、俺は文字通り5秒で、「処理」してしまった。
俺は巨人の死体から剣を引き抜き、その場に音もなく着地する。雫は、洞窟の入り口で立ち尽くしたまま、目の前で起きた出来事が信じられないというように、ただ震えていた。
彼女は、蓮の戦いを初めて「理解」した。
彼の戦い方は、単なる戦闘能力の高さではない。敵の生態、習性、果ては生理現象に至るまでを完全に把握し、戦場の全てを支配する、異次元の戦闘理論。ギルドが何年もかけて蓄積してきた「データ」や「セオリー」を、遥かに凌駕する、個人の「経験」と「洞察」。
雫は、自分の立てた「最適な作戦」が、いかに陳腐で、回りくどいものであったかを思い知らされた。彼女は、生まれて初めて、自分以外の誰かに、完全な敗北を喫したのだ。
「……行くぞ。任務は、第15層周辺の調査だろ」
俺は雫に背を向けたまま、淡々と告げた。
彼女は、しばらくの間、何も言えなかった。やがて、か細い、しかし決意の滲む声で、一言だけ返した。
「……はい」
その返事には、もはやAランク冒険者としてのプライドは微塵も残っていなかった。
ただ、規格外の存在を前にした者としての、絶対的な敬意だけが込められていた。
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