第47話 家族会議①
『明日の朝9時半に、家族で集まるから。分かったわね』
母さんからの連絡はいつも唐突だ。
というか、桃原家親族一同から来る連絡が常に急なものだ。
母さんから呼び出しのあった当日の八時過ぎ。俺は環状線に乗って、実家へと向かった。
見慣れた駅のホームから出ると、直ぐに迎えの「姉」の車がスタンバイしていて、それに乗り合わせる。
「よく起きれたな、次郎」
「当たり前だろ。もう何年、社会人やってると思ってるんだよ」
「ふん。言うようになったな。学生の頃など、遅刻して当たり前だったのにな。どうやら少しは成長したようだ」
一葉姉との会話は、大体いつも説教だ。
車を運転する姉さんの秘書も、「大丈夫かしら」というような不安げな顔をしている。
「で、今日は何の集まりなの? 急に呼び出してくれちゃってさ」
「知らん」
「知らんってことはないだろ。『家族会議』だなんて、じいさんが死んで以来なんだから」
「正確に言えば、祖母様の七回忌以来だがな。今日という今日は、私も知らん」
「なんだよそれ……」
乗り心地の良い車とは裏腹に、急に居心地が悪くなってきた。
親からの「理由のない呼びつけ」ほど怖いものもない。
こういう時は十中八九、怒られるパターンだ。
「まぁ、都合の良い休みだと思って気楽にいろ。最近、お前も休んでなかったんだろう?」
「お陰様で大忙しだよ。でもまぁ、ちょっとは落ち着いたけどね」
青家総裁との交渉以来、俺の頭を悩ませてきたプロジェクトの進捗は良好なものになっている。
このままいけば、プレリリースには余裕で間に合うだろう。
「ふんっ。課長ごときがてんてこ舞いになったところで、我が社は潰れんがな」
「さいですか。ところで姉さんの方はどうなんだよ。ちゃんと休めてるの?」
「盆休みくらいはとれた。なんせ優秀な社員が多いからな。我が社には」
それは俺も含まれてるってことでいいんでしょうかね。
ま、あえては聞かないけどさ。
姉さんと近況を報告し合いながら車内で過ごしていると、ようやく実家に着いたようだ。
姉さんの秘書が「車を止めて参りますので、お二方は降車なさってください」と声をかけてくれた。
「ご苦労。しばらくどこかで休んでいてくれ。帰りはまた連絡する」
「承知しました」
「あ、ども。ありがとうございます」
五葉さん以外の秘書を見るのは初めてだったが、今の人もかなり優秀そうな人だ。
「何ぼうっと突っ立ってる。早く行かないと、母上がうるさいぞ」
「分かってるよ。んなこと」
姉さんに連れられるように、母さんの待つ「本邸」へと帰る。
「ここに来ると、毎回腹が痛くなんだよななぁ」
「無理もない。住んでる人間が人間だからな」
一葉姉も実家へ帰るのは嫌らしい。
バカでかい庭を抜け、玄関の扉を抜けると、そこには見慣れた顔があった。
「やぁ。君たちも今着いたのかい? 姉弟そろってお出ましとは、仲が良いね」
「見たら分かるだろ。白々しい」
軽薄そうな笑顔を浮かべる穂兄が、一葉姉と俺を苛つかせる。そんな俺たちを縫うように、傍に控えていた「使用人」が俺に声をかけた。
「お帰りなさいませ、次郎さま。お召し物はこちらでお預かり致します」
「あ、お気になさらず」
「なんだ次郎。上着を着たまま過ごすのか? 家の中くらい脱げば良いだろう」
「いや、そりゃそうなんだけどさ」
「脱ぎたくないよね、『他人の家』で上着なんて」
「穂、お前は黙っておけ」
空気の読めない穂兄は、一葉姉に叱られると、「あはは」と誤魔化すように奥へと消えていった。
「次郎さま」
「あ、じゃあ、お言葉に甘えて」
催促を入れられ、仕方なくスーツの上を脱ぐ。
「おい次郎。早く行くぞ」
「分かってるよ」
「まったく、そもそもクールビズシーズンなんだから、なんで上着なんて着てくるんだ。まったく」
一葉姉にぶつくさ言われながら、俺は姉の後について行った。
◆
午前9時半ちょうど。
何十畳もあるダイニングの末席にちょこんと座っていると、母さんがようやく現れた。
「忙しいのに呼び出して悪いわね、一葉、穂、それに次郎」
母さんはそう言って席に着くと、俺たちを労うようにそう言った。
「急に呼び出しなんてどうしたのさ」
まっ先に口を開いたのは、大方の予想通り穂兄だった。
それに対し、母さんは「大事な話があってね」と詫びを入れた。
「大事な話というと?」
今度は一葉姉が母さんに質問する。
「ええ。あなたたちにきちんと話しておかないといけないことができたのよ」
「私たちに?」
言葉を発したのは一葉姉だったが、穂兄も俺も同じことを思ったはずだ。
あの豪腕で知られる母さんが、前もって話しておくことなどあるのか、と。
だとすればよっぽど大事な話に違いない。
各々の警戒心が高まると、母さんが俺に向かって言った。
「今日集まったのは次郎、あなたの結婚についての話をするためよ」
「結婚って……」
もしも、もしも俺絡みの話であるなら、そういう話であることは間違いないと思っていたのだが、残念なことにその予想は当たっていたらしい。
母さんがその性格上、もったいぶらずに言った。
「大方の予想通り、あなたの結婚は政略結婚です。この間、あなたも立ち会った通り、黄磊家と青家家の方々とお会いしたでしょう」
政略結婚。
この自由恋愛が一般化した社会の中で、まさか自分の身にそんな束縛が襲いかかるとは思いもしなかった。
「まじかよ」
「相変わらず軽薄な言葉を吐くわね。これは大真面目な話ですよ」
「いや、でも待ってくれよ。政略結婚っていうなら、普通は誰と結婚するか決められてるもんだろ? でも、実際は三人から選ばないといけないわけで」
「そうね。その辺りの話はあなたには理解しづらいところでしょう。でも、あえて言うなら、次郎。あなたはモテているのよ」
「……は?」
今、なんて?
実直な母さんからそんな単語が出てくるとは思いもよらなかった。
だからこそ、俺は「モテている」なんて単語を理解するのに時間がかかったんだろう。
そして、それをフォローしたのがこれまた意外なことに、穂兄さんだった。
「いやー。罪な男だよね、次郎くんは。日本を支える三大財閥の令嬢から求婚を受けるなんて」
「穂、事実を少しずつズラすのはお前の悪い癖だぞ」
「あは。悪いねぇ」
「正しい言葉で話そう、次郎。お前は、桃原の次男坊であるからこそ、各財閥からお声がかかっているんだ。つまり、お前が結婚するということは即ち、相手方の籍にはいるということだ。まぁ、ある家を除いてという前提付きではあるが」
一葉姉が話をまとめ終えると、チラリと母さんを見やる。
すると、今度は母さんが再度口を開いた。
「本当のことを言えば、穂と一葉がこの家を出た以上、あなたには桃原の名を継いでもらいたいの。だからこそ、母さんはあなたを水瀬さんと結婚させたいのよ」
「ちょっと待ってくれ。理解が追いつかないんだけれど、どうして母さんが水瀬を推してるんだ?」
「何故って、それは水瀬さんが赤口家の血を引いているからよ」
「なにぃ?」
三大財閥が云々言っていた話の全貌がようやく見えてきた。
水瀬が赤口家の人間。
ただそれは、俺にとってはやはり承服しかねる事実でもある。
「で、でも水瀬は赤口なんて名乗ってないだろう? そりゃさ、他の二人はなんとなく分かるっていうか、名前だってそう名乗ってるわけだし、そりゃそうなんだろうけど――」
「水瀬さんのお宅はお母様が赤口家の人間なのよ。これは青家さんのお宅とはまた違った事情と言えるわよね」
「なるほどぉ」
人が苗字を変えるタイミングって、結婚と離婚だけだもんな。てか、それならそうと始めから言っておいてくれればいいものを。
「他人の家の事情なんていうものを軽々しく話すべきではないだろう。母上」
「あら、それもそうね」
一葉姉がギロリと母さんを睨む。
間接的にではあるが、俺も釘を刺されたようだ。
「ま、いいじゃないか。そんなどうでもいい話は」
と、ここで登場するのが空気を読まない穂兄だ。
「で、誰と結婚するんだい? 次郎くんは」
本当、心臓に毛でも生えてるんじゃいかってくらいの、話の変わりようだ。
「そんなの決めてませんよ」
「いやいや、決めてないのはダメだろ。ここにいる家族全員の問題でもあるんだ。最低でも、いついつまでに、どのようにして、誰と結婚するかくらいここで決めて貰わないと。遊びじゃないんだから」
詰めるように言う時の穂兄は、大抵、自分の利益を確保しようというのが狙いだ。
「遊びじゃないのは、こっちもですよ」
「いいや、次郎くんはまだ何も理解していない。これは桃原の問題だけじゃなく、日本社会の利益につながる問題なんだ。となれば、畢竟、結婚相手は黄磊家一択になる」
「聞き捨てならないな。とくに日本社会全体というのであれば、黄磊家一択というのが不愉快極まりない」
「どれだけの人を動かせるかより、どれだけの金を動かせるかでしょ。何ら間違ってはいないね」
「人こそが金を生むんだ。これだから経済学を学んでこなかった人間は愚かなんだ」
「なにぃ?」
ヒートアップしそうなところで、ようやく母さんが「静まりなさい」と一喝を入れた。
「まったく、人だの金だの端ない。これだから、あなたたち二人にはこの家を継がせたくなかったんです。身の程を弁えなさい」
「……」
「……」
母は子より何倍も強い。
世界広しといえど、これほど醜悪な兄弟喧嘩を止められるのは、母さんだけだろう。
呆気にとられていると、母さんはそれを見逃さず、ここで一つ俺に提案をした。
「黄磊家と青家家との顔合わせは済んでるようですから、次郎。平等を期すために、明後日、赤口家のみなさまともお会いできるよう母さんが場をセッティングしておきましたから」
「それまた急な話で……」
どうやら、今日の家族会議の真の狙いはこっちだったらしい。
赤口家以外の財閥に通じる兄さんと姉さんを牽制しつつ、俺を囲おうというのが母さんの思惑だろう。
しかも、二人が口を挟めないよう、後の先で動くのだから、たちが悪い。
「いいですか、二人とも。このことは、周知してもよいですが、邪魔だけはしないよう母さんからも、くれぐれも言っておきますからね」
「承知」
「最初からそんなことするはずもない」
「では、この会はお開きにしましょう。あ、そうそう。次郎にはこの後も話がありますから、この場に残って頂戴。お昼でも食べながら、話をしましょう」
「……わかったよ」
姉弟三人とも煮え切らないなか、母さんだけが思い通りに事を進める会議となったのは、もはや予定調和としか思えなかった――
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