第45話 閑話

「犬を飼うのに憧れてるんですよ。私」


 平日の昼下がりのこと。


 俺が勤めている会社の元後輩である水瀬このみが、また妙なことを宣い始めた。


 てか、なんでこいつ、雇い主の食事を片肘ついてガン見してるんだ?


「へぇ。そうなんだ」


 水瀬が作ったチャーハンを食べながら、そっけなくそう答えると、彼女が不意にバンッとテーブルを叩く。


「『そうなんだ』じゃないんですよ! 先輩!」

「お、おう……」


 感情を昂らせているんだろうか。


 彼女が感情のままにそう言うと、今度は俺をキッと睨みつけた。


「犬を! 飼いたいんです! 私は!」

「……うん。聞いたよ、今しがた」


 チャーハンもさぞびっくりしたんだろう。机の上には、何粒かの黄金色をした米が飛び散っている。


「違うんです。違うんです! 先輩!」

「えっと、何が違うんだ?」

「私は、今! 犬を飼いたいんです!」

「うん。だから、飼えばいいじゃん。内のマンション、ペット可なんだし」


 トーハラが借り上げている現マンションは、母の欲望が詰められた居住空間と化しており、ペット可はもちろんのこと、楽器演奏可、BBQ可、家具備え付け、いつでもゴミだしOK、家賃に水光熱費込みという最強物件となっている。


「私はそんな当たり前なことを言いたいんじゃないんですよ!」

「じゃあ、一体何が言いたいんだよ……」


 感情の起伏が激しい家事代行員の要望を聞いてやる。


 すると、水瀬は「ふふん」と自信有りげに鼻を鳴らした。


「犬をんですよ!」

「犬を、つくる?」


 嫌な予感がした。


 ただ、彼女の暴挙を止めることはできそうになかった。



「お手!」

「……わん」

「おすわり!」

「……わぅ」

「じゃあ! チンチン!」

「……あのさぁ」


 リード付きの首輪を着けられた俺は、彼女のコマンドを聞く度に憂鬱さを募らせていた。


「あ! こら! 犬語以外は使っちゃだめですよ!」

「……わん」


 いい年こいた大人が、真っ昼間から何をさせられてるんだろう。


 家族に謝りたい気持ちでいっぱいだ。


「じゃあ、もう一度! チンチン!」

「……」


 座りながらつま先立ちすると、水瀬は「優越感」に浸るようにして、ニマニマ笑う。


「いい子ですね〜! いい子、いい子!」


 水瀬は俺に覆いかぶさるようにして、わさわさと頭を撫でた。


 ふにふにした胸部が当たるのはいいが、いつまでこの暴挙に付き合ってやらねければいけないんだろうか。


「いやぁ、やっぱり本物の犬を飼うのは仕事上、無理がありますからね。これなら一生飼えそうです」

「一生付き合わなきゃいけんのか」

「あ、だめですよ! 人語をしゃべっちゃ! これはちょっとお仕置きが必要みたいですね!」

「お仕置きってなんだよ……」


 このくだらない遊びに付き合ってやってるんだ。感謝こそされど、お仕置きとは一体どういう了見なんだろうか。


 水瀬の言葉を待っていると、彼女は徐ろに俺のズボンに手をかけた。


「お、おいっ!」

「めっ! 大人しくして!」

「……くぅん」


 抵抗虚しく俺が水瀬にズボンを脱がされると、何故か知らんが、彼女は満足げな笑みを浮かべた。


「人語を使う度に、罰として服を脱いでもらいます!」

「……なぜに?」

「あ、今も使いましたね? じゃあ、パンツを脱いでください」

「いや、だからなんでだ――」


 バチンっ!


「いてぇっ!」


 反論しようとした俺に対し、水瀬が平手打ちを食らわせた。


「言うことを聞かない子は、徹底的に暴力で打ちのめします」


 董卓かよ……お前は。


 暴君となった水瀬が、俺に再度平手打ちを食らわせたところで、俺はしぶしぶパンツを脱いだ。


 屈辱である。


「あははっ。いい感じにわんちゃんに近づいてきましたねぇ! 先輩!」

「……ばう」


 俺はこいつを怒らせるようなことをしたんだろうか。


 下半身丸出しのまま彼女を見つめていると、水瀬がストッキング越しに俺の下腹部に触れた。


 すりすり。


「んっ……!」

「どうですか? 気持ちいいですかー?」

「……わんっ」

「くすくす。情けないですねー。先輩。ところで、どうして私がこんなことしてるか分かりますか?」

「……くぅん(わかりません)」

「あははっ。馬鹿なわんちゃんにはわかんないですよね? じゃあ、教えてあげますね。これに心当たりはないですかー?」

「……ばうばう!?(なんでそれを!?)」


 水瀬が懐から取り出したのは、先日、営業部長といったキャバクラでもらった名刺だった。


 ど、どこからそれを?


「スーツの内ポケットから出てきたんですよねー。ところで、この間、私が担当の日に、夜帰ってくるのが遅くなった理由って、まさかこれじゃないですよねー?」

「……」

「あれ、喋らなくなりました? じゃあ、口を割らせる必要があるみたいですねー」

「ば、ばうっ?(な、なにする気だ?)」


 水瀬が持っていたのは、大人の――――だった。


「さて、今日はたくさんあげますからねー」

「ば、ばうわうーっ!(や、やめろーっ!)」


 悲鳴っていうのは、何語だろうと虚しく消えるもんだ。


 水瀬を怒らせた俺は、その日、一日を彼女の玩具ペットとして過ごしたのだった。

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