第10話 鋼鉄の師

 ボーダーゲートの埃っぽい路地裏で、僕とキーシャは壁にもたれて荒い息をついていた。ここ数日、日雇いの力仕事やガラクタ修理でわずかな日銭を稼いでは、その日の食料と粗末な宿(という名の廃墟の一角)を確保するだけで精一杯だった。体だけでなく、心も確実にすり減っていく。絶望的な喪失感を抱えたまま、先の見えない日々を生き延びる。その重圧が、僕たちの肩に鉛のようにのしかかっていた。


「……今日も、これで終わりか」


 日が傾き始め、汚れた顔で空を見上げる。隣のキーシャも、ローブの袖で額の汗を拭いながら、力なく頷いた。彼女の灰色の瞳には、以前のような強い光はなく、深い疲労の色が浮かんでいる。


 その時、背後から低い、嗄れた声がかかった。


「おい、ヒヨッコども。まだこんな掃き溜めでウジウジしてたのか」


 振り返ると、ドズドさんが腕を組み、忌々しげな顔で僕たちを見下ろしていた。顔の傷跡が、夕陽を受けて陰影を濃くしている。彼の姿を見るたび、キーシャは反発心を露わにするが、今の僕たちにはその気力さえなかった。


「……何か用ですか」


 僕がかろうじて答えると、ドズドさんはふん、と鼻を鳴らした。


「見ていられん。そのザマは何だ。そんな顔で、どうやってあの化け物と戦うつもりだ」


 彼の視線が一瞬、遠くを見るように揺らいだ気がした。まるで、僕たちの姿に、何か別の、失われた誰かの影を見ているかのように。


「……割りのいい仕事がある。人手が足りん。貴様ら、手伝え」


 彼は有無を言わせぬ口調で言った。


「ボーダーゲートの外れ、旧市街区画だ。『黒の組織』とフラグメントの戦闘に巻き込まれて、住民が取り残されている。俺は避難誘導を請け負った。危険だが、報酬は悪くない」


 表向きは仕事の依頼。だが、その目には、ただの打算だけではない、何か複雑な感情が読み取れた気がした。断る理由はなかった。僕たちは、頷くしかなかった。


 旧市街地は、想像以上に荒廃していた。崩れかけた建物、瓦礫の山。そして、遠くで響く断続的な爆発音と、この世のものとは思えない咆哮。緊張が走る。


「いいか、状況は最悪だ。俺の指示には絶対に従え。勝手な行動は死を招くぞ」


 ドズドさんの声が飛ぶ。僕たちは頷き、彼の後に続いた。建物の中に怯えて隠れている住民を見つけ出し、比較的安全な避難経路へと誘導する。その最中も、黒の組織とフラグメントの戦闘は激化していた。流れ弾がすぐそばを掠め、建物の壁が崩落する。


「ガスト、右! 瓦礫が来るぞ!」


 ドズドさんの叫びに反応し、間一髪で飛びのく。


「キーシャ、あの親子を! 『防御障壁』で援護しろ! マナは最小限だ、効率を考えろ!」


「は、はいっ!」


 キーシャは指示に従いながらも、ドズドさんの魔法への無理解な物言いに唇を噛む。だが、彼の指示は的確で、その言葉には有無を言わせぬ実戦の重みがあった。僕も、彼の指示に従いながらハンマーを振るい、瓦礫を砕き、避難経路を確保する。


 恐怖はある。だが、それ以上に、ここで死ぬわけにはいかない、キーシャを守らなければ、という思いが僕を突き動かした。ドズドさんの指示で、僕たちは確実に、生き残るための術を叩き込まれていた。


 その時、路地の向こうから、黒い戦闘服に身を包んだ集団が現れた。黒の組織の兵士だ。彼らは、一つ目の異形――フラグメント――を、特殊なエネルギーフィールドで捕獲しようとしていた。フラグメントは苦しげに咆哮し、周囲に無差別にエネルギー波を放つ!


「まずい! 伏せろ!」


 僕たちは咄嗟に遮蔽物の陰に隠れる。エネルギー波が壁を抉り、衝撃が地面を揺るがす。


 「あの黒い兵士の動き…! 人間じゃない!」


 戦闘の最中、黒の組織の兵士がフラグメントの反撃を受け、大きく吹き飛ばされた。その衝撃で装甲が剥がれ落ち、内部の構造が露わになる。それは、肉や骨ではなく、銀色の金属骨格と複雑なケーブル、そして青白い光を放つ動力炉のようなものだった。


「アンドロイド……!?」


 キーシャが息をのむ。僕も信じられない光景に目を見開いた。組織の兵士は、人間ではなかったのだ。


 さらに衝撃的な事実が判明する。吹き飛んだアンドロイドの胸部、動力炉の中心に埋め込まれていたのは、見慣れた形状の部品だった。冷たい金属光沢、中心で淡い光を発する水晶……僕たちがゼヒラ・シグから与えられた護符と酷似したエネルギーコア!


「まさか……!」


 全ての点が線で繋がった。黒の組織の技術、ゼヒラ・シグの知識、そして護符。組織の黒幕は、――


 その思考を読み取ったかのように、あの穏やかで、今は底知れぬ冷たさを感じさせる声が響いた。


『――興味深いデータ収集フェーズは、これで終了だ、ガスト君、キーシャ君』


 ゼヒラ・シグの声。僕たちが身に着けていた護符から発せられていた。 『君たちの行動は全て記録させてもらった。特に、その生存能力の向上は、私の予測モデルを裏付ける有用なデータとなったよ。だが、君たちの利用価値は、もうない』


 声と共に、僕とキーシャがかつて護符を着けていた首元に、微かな冷感が走った。機能が停止されたのだ。遠隔で。


『これ以上の自由行動は、私の『観測』のノイズとなりかねない。残念だが、ここで退場してもらおう』


 声が途切れると同時に、周囲のアンドロイド兵たちが一斉にこちらに武器を向けた。その動きには、一切の躊躇も感情もない。プログラムされた、冷徹な殺意だけがあった。状況は、絶望的だった。


「……チッ。最悪の状況だが、死んでる暇はねえな」


 ドズドさんは、カオス・フィールド・ディスラプター を地面に投げながら叫んだ。


「ヒヨッコども、泣き言は後だ。まずは、一時撤退だ!」


 彼の声には、絶望的な状況下でも揺るがない、鋼の意志が宿っていた。僕たちは、彼の指示に従い、アンドロイドの包囲網からの決死の脱出を開始した。


 ボーダーゲートに戻った僕たちは、ドズドさんが回収してきたアンドロイドの残骸――ゼヒラ・シグの尖兵だった機械の亡骸――を前に、重い沈黙の中にいた。ゼヒラ・シグの裏切り。僕たちの旅が、彼の壮大な「観測」の一部でしかなかったという事実。そして、命綱だった護符の喪失。怒りと絶望が渦巻いていたが、今は感傷に浸っている時間はない。失った仲間たちの顔が、そして託された想いが、僕たちを突き動かしていた。


「こいつらの正体を暴くためにアンドロイドのデータを引き抜くぞ」


  落ち込んだ僕たちをしり目に、ドズドさんが力強く言い、アンドロイドの胸部装甲を慎重にこじ開けた。剥き出しになったのは、複雑な配線とエネルギー導管に囲まれたコアユニット。旧時代の知識と経験を持つ彼の指先が、躊躇なくインターフェースケーブルを接続していく。モニターに無機質な文字列が流れ始めた。


「チッ、ガードが固え。物理ロックだけじゃねえな。AIによる防御システムだ」


 ドズドさんが舌打ちする。コンソールにはアクセス拒否の表示が点滅していた。


「…待ってください」


 キーシャが前に進み出て、杖の先端をそっとコアユニットにかざした。目を閉じ、集中すると、杖から放たれる淡いマナの光がコアを包み込む。


「…強い防御結界ですわ。力任せにこじ開ければ、内部データが自己消去するようにプログラムされています。それに…このパターンは、アカデミアでも失われたとされる古代の防御術式…? なぜゼヒラ・シグがこれを…?」


「古代術式だろうがなんだろうが、突破口はあるはずだ」


  ドズドさんはモニターに表示されたエネルギーパターンとキーシャの言葉を照合し、素早くコンソールを操作する。


「キーシャ、その結界構造、どこかに歪みや不安定な箇所はないか?」


 キーシャはさらにマナを集中させ、結界の微細な流れを探る。


「…あります! ほんの僅かですが、エネルギー循環に周期的な『揺らぎ』が…!」


「そこだ!」


 ドズドさんは旧式の、しかし強力な電磁パルス発生装置を構え、コアユニットに向けた。


「その揺らぎのピークに合わせてパルスを叩き込む! 歪みを強制的に広げるぞ、タイミングを合わせろ、今だ!」


 ドズドさんが引き金を引くと同時に、キーシャは杖を強く握りしめ、揺らぎの頂点に向けて凝縮したマナを一気に送り込んだ! バチッ!と激しい火花が散り、コアユニット表面の不可視の結界が、一瞬だけ大きく波打って穴が開いた!


「よし、経路確保!」


 ドズドさんが叫び、すかさずハッキングプログラムを流し込む。内部メモリへのアクセスが開始された。だが、すぐに次の壁にぶつかる。モニターに表示されたのは、人間には解読不能な、奇妙な幾何学模様と明滅する光のパターンが組み合わさったデータ群だった。


「なんだこの言語体系は…! 現代の暗号理論じゃ歯が立たねえぞ…」


 ドズドさんの解析ツールがエラーを吐き出す。


 キーシャは再び目を閉じ、今度はコアに残るデータ構造そのものに、より深く精神を同調させていく。額に汗が滲む。


 「…分かりました…この暗号、論理構造だけではありません…マナの流れそのものを織り込んでいる、いわば『魔法言語』です…! 解読の鍵は…エリア・ゼロの…あの崩壊時に記録された、特異なマナの奔流パターン…!」


 キーシャが杖を使い、マナパターンを変換キーとしてドズドのコンソールに送信する。ドズドがそれを解析ツールに組み込み、再実行。モニター上の意味不明なパターンが、徐々に解読可能なテキストや図形へと変換されていく!


『被験体G(ガスト)…マナ反応パターン記録…戦闘能力評価…特異点としての有用性…最終目的:シファーグの完全観測、及びその先にある『法則』への到達…』


「やはり…! 奴の狙いはシファーグの観測…そして、それ以上の何か…!」  ドズドさんが厳しい表情で呟く。


 僕たちは息を詰めて画面を見守る。さらに深層のデータへアクセスしようとした瞬間、モニター全体が赤く染まり、けたたましい警告音が鳴り響いた!


「まずい、気づかれたか!? いや、待て、これはカウンターハックだ! 自動迎撃プログラムが起動した!」


 ドズドさんの指が猛烈な速度でコンソールを叩く。画面上では、侵入者である僕たちを排除しようとするゼヒラ・シグの防御プログラムと、ドズドさんの操るハッキングツールとの間で、激しい攻防が繰り広げられていた。


「この動き…ゼヒラ・シグの思考パターンそのものですわ! 合理的で、冷徹で、一切の無駄がない…!」


 キーシャが杖を構え、戦闘に備える。だが、これは物理的な戦闘ではない。


「奴の合理性が仇になる!」


 ドズドさんは冷静だった。


「奴の思考には、効率を重視するあまりの『偏り』があるはずだ。人間のような非合理な手は読めない…そこを突く!」


 彼はキーシャに向かって叫んだ。


「キーシャ! お前の魔法で奴の思考ルーチンを一時的に攪乱しろ! 奴が『予測できない』ノイズを叩き込むんだ!」


「やってみます!」


 キーシャは杖を掲げ、詠唱を開始。それは特定の効果を持つ魔法ではなく、純粋な混沌としたマナの奔流、あるいは人の感情の揺らぎそのものを増幅してぶつけるような、AIにとっては理解不能なノイズだった。同時に、ドズドはAIの防御パターンの僅かな隙間を縫って、カウンタープログラムを潜り込ませる!


 AIの動きが一瞬、明らかに乱れた。予測不能なマナのノイズと、想定外のタイミングでのカウンター。そのほんの一瞬の隙を突き、ドズドは核心データ領域へのアクセスに成功した!


 モニターに、断片的ながら決定的な情報が次々と表示される。


『シファーグ:存在座標、超次元空間『大裂溝』深部』


『アクセス:高次元航行理論に基づく座標固定必須。『時空安定化コア』による保護フィールド展開が絶対条件』


『時空安定化コア:設計完了。生成素材、高純度フラグメント結晶。複数個体を捕獲、移送中…』


『移送先:研究施設座標 XXXX-YYYY-ZZZZ』


「これだ!」


 僕たちは思わず声を上げた。「


 シファーグの場所は大裂溝…そこへ行くには『時空安定化コア』が必要…そして、奴はそのコアを作るためにフラグメントを集めてやがった! 奴の巣の場所も分かったぞ!」


「時間がない! 本体に検知される前にずらかるぞ!」


 ドズドさんは素早く接続を切断し、コアユニットからケーブルを引き抜いた。


 僕たちは、疲労困憊だったが、互いの顔を見合わせた。アンドロイドの残骸と、モニターに残る断片的な情報。それらは、次なる戦いへの道標だった。


「…行くぞ、シファーグを倒したいんだろ」


  ドズドさんが、決意を込めて言った。


「AI野郎の巣に殴り込みだ。そして、『時空安定化コア』を奪い取る」


 僕とキーシャは、彼の言葉に強く頷いた。覚悟は、できていた。ゼヒラ・シグへの反撃が、今、始まる。

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