第21話 リュート試作品
リュートの試作品が完成し、ルーカスから受け取る。
……ああ、リュートを通じて木の温もりを感じるのは気のせいかしら。
私はそのリュートをじっと見つめたわ。この異世界で初めての弦楽器を手にしたという、得も言われぬ感動がまず押し寄せてきたの。
それにこのリュートも、思ったよりはよくできている感じかしらね。ただそれと同時に木目の不均一性が目に付くのも、仕方がないところかしら。
私はそーっと弦に手を伸ばす。弦が手に触れた瞬間に全ての弦が切れて、また私の手から弦楽器が失われるのを恐れるかのように。
月明かりが工房の木の床に淡い影を落としていた。
私は弦に触れた。「うん、大丈夫」と独り言を呟くと、そのままそっと弦を弾いた。
最初の弦を弾くと、透明な音が工房の空気を震わせる。ゆっくりと、だが確実に、音は私の指先から流れ出した。「うん、悪くない」そのまま二音三音と確認するように、弦を弾いてペグを回して調律していく。親方ハンスが、ルーカスが、カティが、私を見ていた。
しばらくそれらを繰り返した後、私はチューニングはこれくらいでいいかと一つ頷き、弦とリュートのボディを押さえ一度音を止める。
リュートの響きが止まり、夜でも騒々しい工房の音が再び辺りを支配する。
そして私は大きく深呼吸をすると、「いくよ」と弦を弾いた。
月光がリュートの木目を照らし、音はまるで命を宿したよう。今度は単音ではなく、まるで水面に波紋が広がるような旋律。
リュートの音色は、まるで古の詩人の囁きのようだった。
選んだ曲は、フランチェスコ・ダ・ミラノの「
(参考:https://www.youtube.com/watch?v=Tu9ZkZv-2vk)
その名は「探求」を意味し、まるで心の奥を彷徨うような旋律だ。最初の音が工房の空気を震わせる。控えめで、まるで問いかけるような単音。リーザの指は慎重に弦を辿り、音を紡ぎ始める。
曲の冒頭は、まるで迷いながら進む旅人の足取りのよう。響板のムラが弦の振動を乱したのか、それともフレットやナットの微妙なズレがあったのか、リーザの演奏は時々音が掠れた。もしかしたら、それに気付いたのは彼女だけだったかもしれない。それでも、彼女はその不完全さを愛した。この音は、彼女がこの異世界で初めて取り戻した聖地なのだ。旋律は徐々に動き出し、音が絡み合って小さな波紋を描く。リーザの指は、曲の探求的な流れに導かれるように、弦の上で舞い始めた。
工房は夜も更け、職人の数も昼間よりは減っていた。しかし、残った職人は皆いつしか手を止め、リーザの演奏に聞き入っていた。
リーザの指は弦を滑り、時にはためらい、時には情熱的に踊る。メロディは穏やかに始まり、徐々に複雑に絡み合う。「Ricercar」の調べの生命線は、その揺らぎにある。単純な繰り返しではなく、旋律が新たな道を探すように変化していく。リーザの心もまた、音に揺れる。彼女の心の揺らぎを映し出すかのようだ。一本の弦を作るのに何度も切れた弦、そして今も横に山のように積まれた割れた板、未だ影すら見えぬバイオリン――その全てが、弦の振動に溶け込んでいく。
彼女の思いが、音の一つ一つに滲む。ある瞬間、彼女は大胆に弦を弾き、思いがけない和音が響く。それはまるで、曲の即興のような自由さ精神そのものだった。
工房の壁に反響する音は、まるでリーザの内なる問いと対話しているようだ。旋律が高揚し、繊細なアルペジオが月光に溶け込む。彼女の指は、弦の振動を慈しむように動く。最後の音は、静かに、だが確かな余韻を残して消えた。
工房内が無音になる。
先程までのけたたましい作業音は、いつの間にか完全に止んでいた。工房内の全ての人間が、月光の下でリュートを愛おしそうに抱くリーザを見ていた。
――ぱちぱち
手を叩いたのは誰が最初だっただろうか、ルーカスだっただろうか。
――ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち
もう誰が叩き始めたのか分からなくなっていたし、そんなことはもうどうでもよかった。工房は拍手で包まれた。
リーザはリュートを片手にぺこりとお辞儀をした。鳴りやまぬ拍手がようやく鳴りやんだ時、ルーカスが声をかけた。
「お嬢。その演奏を聞けば分かる。このリュートはまだ未完成品なんだってことが。」
リーザはそれに対して何の反応もせずにじっとルーカスを見ていた。
「俺はもう十分だと思っていた。何をそんなに細かいことに拘っているんだ、もういいだろうって。
違った。今なら分かる。すまなかった。もう一回チャンスをくれ。次こそ、納得いくものを作ってみせる!」
――ドンッ!
そこを親方がルーカスの背中を思い切り叩いた。
「いってーな!」
「はっはっは。ようやくお前も少し分かってきたじゃないか、木工職人ってやつが。嬢ちゃんに感謝するんだな。ということで、嬢ちゃん。こいつにもう一度チャンスをやってやってくれないか?」
それに対してリーザは首を振った。
「別に不満だなんて思ってないわ。試作一号機にしてはよくできていると思うもの。これが完成品なんて言ったら引っ叩いてあげたけどね。」
月光の下でリュートを片手ににこやかに笑うお嬢様は、ミューズもかくやという美しさだった。
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