第13話 プロに頼む仕事



 メネルウァの商業区、メインストリートからは遠いが治安が悪いという程でも無いあたりに、酒場と食堂が合わさったような良くある店の一つがあり、そこは仲買人達の集まる溜まり場になっている。


 仲買人とは、商品の権利を売り買いする事で、差額で利益を得たり、手数料込みで取引依頼を請け負う者達だ。流通に通じた中間業者であり、また時には相場の上下で利益を狙う投機家としての側面を持つ。その意味ではアリーチェとハルトが合名会社でやっていた事の同業者と言っても良い。


 日暮れ時の店に入ると、既に半分以上の席が埋まって賑わっていた。揚げ物と酒の匂いが混じり合い、一仕事終えてきた人間たちががやがやと雑談に花を咲かせ、給仕が忙しく歩き回っている。

 見回して商人らしい格好の人間が集まったテーブルを見つけ、近づいていった。



「こんばんは、少しご一緒させていただいてもいい?」


「なんだ、ハルトの野郎の女じゃねえか。一人か?喧嘩別れでもしてきたか?」


 アリーチェの方は個人としては彼らと面識はなかったが、こういった業者は耳が良い物だ。自分のことを知られていて不思議はない。


「ハルトとはそういった関係じゃなくて、ただの仕事仲間だけどね」


「ま、それはそうだろうよ。ヤツの好みはもっと年上だったからな。知ってるか、あいつ昔大損こいた時に恋人を寝取られてやがったんだぜ」


 ぶはははと周りから下世話な笑い声があがる。見た所、今この場に居る仲買人は5人。少し酒が入っているようだがいい塩梅の人数だ。


「前は箸にも棒にもかからないノロマだったくせに、嵐の後からバカづきしやがってなあ。運だけだろアイツは」

「今は流れに乗ってるようだがお嬢ちゃんもあんまりハルトを頼りにしない方がいいぜ。絶対またコケる。賭けても良いね。

 調子の良い時に手を引いておくのがいい。取引と同じこった」


 ぼろくそに言われているが、大当たりした相場師なんぞに対する反応としては正常だろう。むしろこれでも優しい方かもしれない。


「残念だけど、ハルトはちょっとしたトラブルがあって。今、彼とは仕事ができなくなっているの」


「なんだよ、あのヘタレ本当にまた女に見放されてやがるのか。こりゃ先は長くはねえな、ハッハッハ」


「それでね。私は自分だけでは動けないから、お兄さん達に仕事をお願いしたいのよ。

 お休みの所申し訳ないのだけど、話を聞いてはいただけないかしら?」


「ほー、いいぜ。言ってみな。

 ハルトなんかよりよっぽどスマートに回してやろうじゃねえの」


「ありがとう。では、お言葉に甘えて。

 テーブルを借りるわね」


 アリーチェは自分の帳簿の鍵を外して開き、書き上げて綴じておいた書類をテーブルの上の開けてもらったスペースに並べていった。




「おいおいおい、なんだこりゃ」


 明後日の昼には遅れていた内海東岸からの船団が入港する。その船荷には砂糖に香辛料、絹織物や陶器など、特に高価な品物が多く積み込まれている。そしてメネルウァの商人達の入荷の予測とは大きなズレがある事まで、アーテルの遠見の球によりわかっている。


 アリーチェが並べたのは、それらについての、今動かせる資産のほとんどを掛けた取引の注文書だ。


「いくらなんでも張り込みすぎだろ。元本足りてんのか」


「もちろん。こちらの証書、よく確認してくださいな」


 仲買人達は立ち上がって集まり、顔を突き合わせるようにして書類をまじまじと読み込んでいった。

 そして各々、何か不気味なものでも見るようにこちらに顔を向ける。



「今のハルトのやり方な、どうにもらしく無いとは思っていたんだ。金を転がしたがる癖に臆病で賭けるべきところで手を出せないのが前のあいつだった。

 だから誰か裏についてるんじゃないかという気はしていたんだが、まさかあんたみたいな子が──」


「そうね、ハルトとの協力関係になってからは私が主導していた。そしてその注文書にある通り、今回直接その取引に関わるのは私だけよ」


「いつもこんな事をしていたのか?最初から値動きを決め打ってるような内容じゃねえか。どうしてわかる」


「それは秘密。結果はどうあれ依頼の報酬は変わらないようになってるでしょう?」


「もう少し状況を話せよ。トラブルがあったと言うが、ハルトのやつとは実際どうなったんだ?」


「ハルトは今、彼の親戚のトンマーゾさんに捕まって軟禁されているわ」


「トンマーゾ?あのトンマーゾ・メルクリオか?」


「そう。昔のメネルウァ評議会の一人で、十年前の職人達の反乱騒動でメネルウァを出ていった人ね」



 アリーチェは仲買人達に対しては、素直に経緯を説明すると決めていた。

 どの道彼らの協力を得られないと取引を進められないのだし、ハルトとトンマーゾの関係、それにアリーチェの実家だったプレスティ商会の現状については少し調べればわかる事だろう。

 もし彼らの内誰かがトンマーゾの側に付いて居場所をバラされたとしてもアーテルが居れば逃げる事は簡単で、取引注文の内容も持ち逃げは出来ない形にしてある。


 ジャンマルコへの借金にハルトとの契約、トンマーゾに自分が追われている事までかいつまんで話した。


「さて、それでこの私の注文なのだけど。

 手数料は5%で一件金貨20枚以上。相乗りは自由。受けてくれる人は居るかしら?」


 話を最後まで聞いた仲買人達は、唸るような声をあげながら書類を見返す。

 やがて一人が場を代表するようにアリーチェに向き直る。


「あんたの事情はわかった。ハルトはともかくトンマーゾの事は俺達も気に入らん。俺の親父はヤツの労働法で牛みたいに働かせられたせいで今でも左腕が動かねえ。ルーヴェランのカエル野郎どもに得をさせてやる事になるのもシャクだ。だがな──」


 仲買人はテーブルに並べられた書類を指し示す。


「はっきり言ってあんたを信用する理由が無い。なんであんたみたいな小娘が相場を当てられたのか、どうしてこんな捨て身みたいな大掛けができるのか、結局それを秘密とか言われちゃ話には乗れねえぞ」



 他の仲買人たちも同意するようにこちらを見つめる。

 ハルトには結果を見せて信頼を得るだけの時間があったし、ジーロは逼迫した状況での協力が得られたが、目の前の彼らにとっての自分は唐突に不自然に大きな話を持ってきた余所者だ。当然の話である。


「あなたの言う通りね。では、御覧に入れましょうか」


 アリーチェは手荷物から木箱を取り出し、机の上に置いた。こんな時の為にアーテルに頼んで用意しておいてもらった物だ。


「この街で見せるのはあなた達が初めてよ。できれば後一週間くらい、内緒にしてね?」


 そう言って、なにか秘密の宝箱でも見せるみたいに勿体ぶって、うやうやしく木箱の蓋を明けて見せる。


「これなるはオルニス・ヴィスタの天眼。かつてのティルセニア帝国の独裁官、ジュリオ・レオニスがあまたの属州を平定した際に使用したという、それと同種のものです」


 アリーチェが中から取り出したのは、木製のアマツバメの模型だ。

 仲買人達の視線の元、生きた鳥をそのまま型にとったような像は奇妙な光沢を放ち、独特の妖しげな気配を漂わせていた。





◇◇◇






 中天に登った日が差し込むメネルウァの裏通り。アリーチェは周囲を警戒しながら、入り組んだ道を迷いなく足早に進む。

 やがて裏路地から小さな広場に出て、小さな劇場に入った。

 劇場の中は催し物もなく、薄暗くがらんとしている。アリーチェの姿を見て、窓際のテーブルにたむろしていた仲買人たちが手を振った。


「よう、今日も無事だったみたいだな。よくよく悪運の強いこった」


「おかげさまでね。今更取引をふいにしてあなた達に損をさせたら大変だと思ったら逃げ切れたわ」


「ひひひ、いい心がけだ。ティニアの商人はそうでなくっちゃな」


 ここ5日間、アリーチェは毎晩宿を変え、日中は人混みに紛れて動き回りながら、仲買人たちとの接触を続けていた。トンマーゾの手先らしいルーヴェラン人達があちこちで網を張っていたが、居るのがわかっていれば避けるのは難しくない。



「それで、結果はどうだったの?」


「全て上手く行った。ついでにこちらも投機に参加して嵐での損を取り戻させてもらったよ」


 仲買人達の中で年かさの一人が言い、書類の束を差し出した。

 アリーチェは一枚ずつチェックし、指輪の印章を押していく。

 全て確認し終わり、手数料の受け取り証を兼ねた受領書をそれぞれの仲買人に渡した。取引の完了だ。

 すぐに換金できるという物ではないが、これでアリーチェの資産は概算で金貨一万枚分ほどになるはずだ。


「ありがとう、完璧な仕事だった」


「お大尽だな。これからどうするんだ?」


「メネルウァでの取引はこれでひとまず終わりなのだけどね。ジャンマルコさんに会って精算をしないといけない」


「メネルウァを離れるのか?なんなら船か隊商に渡りくらいつけてやるが」


「とりあえずその必要は無いわ。まあ、もしかしたらお願いすることがあるかもしれないけど」


「それならいいがな。ここに来てトンマーゾの野郎に持っていかれたりしてもつまんねえから上手くやれよ」


「ふふ、まあ任せといて」


 すでにジャンマルコには会見の予定を取り付けてある。明日には決着だ。

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