第11話 敵影見ゆ
「手前から二、左から五、上から二段目の袋を出して下さる?」
「わかりました。お前ら2列の5の2段だ!運べ!」
広大な倉庫の中、一つが人間4人分程の重量がある大きな四角い麻袋の包みが隙間を詰めて規則正しく積み上げられている。
アリーチェに指定された物が人足達に力を合わせて運び出され、開けたスペースに置かれた。
包みにはヴェステリア島の都市の公的な封印がされており、厳重な梱包が解かれてアリーチェの目の前で倉庫管理官の手により封が破られ口が開けられる。
中身は羊毛で、ぎゅうと縛られ、丁寧に押し固められて詰め込まれていた。
色は白く変色は見られず、匂いは正常だ。手を触れれば柔らかくしっとりとした感触を返し、粘りも絡まりも見られない。ヴェステリア島が誇る高品質な羊毛の、輸入されてきて間もないまっさらで新鮮な物で間違いない。
「ありがとうございました、もう結構です。今日の検分はこれまでにいたします。
こちら少ないですが皆様に。また機会がありましたらよろしくお願いしますね」
羊毛袋が詰め直され、メネルウァの封印が押されて梱包しなおされていく。
管理官に一枚、人足達の為に三枚の大銀貨を心付けとして渡し、アリーチェは倉庫を後にした。
ハルトとの契約から20日が経った。
ここは港の一角にある倉庫街で、アリーチェは現物の検査に訪れていた所だ。
証券取引は順調で、毛織物工場で必要な材料は十分に確保し、更に確実な利益が見込める換金性の高い商品を多数保持している。ついでに紅茶も買い足せた。
この倉庫の並びに保管されている物の中にも既に金貨2000枚分は下らないだけの権利を持っている。
現場の作業員達にも、気を回しておいて悪い事は無い。
「次は……南区の埠頭ね。馬車に乗りましょうか」
午前の日差しは眩しく、カモメ達が陽光に暖められた上昇気流に乗って悠々と空を回っている。
明後日には内海東岸からの遅れていた船団が入港する。
大きく市場が動く事が予想され、ハルトと相談した通り、そこに最後の大きな取引に出るところだ。今日中に出来る限りの仕事を片付けておきたい。
《ねえ、アリーチェ。敵性体が接近しているよ》
「えっ?」
唐突にアーテルから警告が入った。
《通りの前方から二人、後方から二人、いずれも成人男性だ。一人は縄を持っていて、君を拘束しようとする意志があるみたいだ》
「こんな所で……?」
アーテルからはこれまでのメネルウァでの活動中にも何度かこういった危険の知らせを受けている。
予報は正確で、そのおかげで不審者を確実に回避、撃退していた。
だからこそアリーチェは警護の者など雇わず、身軽に行動していたのだが、このような目立つ状況で複数人に襲われるというのは初めての事だ。
メネルウァはそう治安の悪い都市ではない。
日中の倉庫街には人影があり、声を上げれば巡察官も駆けつけてくるだろう。
「その人たち、人種や身なりはどう?何か身分を示す印は身に付けてる?」
《身体的な特徴は、西大陸中央あたりに分布している民族のものがよく出てるね。ティニア周辺の出身じゃないかもしれない。服装はメネルウァの一般的な市民と同じ。所属を表すような装飾は見当たらない。栄養状態は良好で衣服は清潔だ。貧困層ではないみたいだね》
「うーーん、外国人?どこの奴らだろ?
とりあえず官憲じゃないなら捕まりたくない、逃げられる?」
《ちょっと走る事になってもいい?》
「いいわよ」
《じゃあ、前方二つ目左の路地に入って、駆け足で抜けて。
それで引き離せるから、そのまま倉庫街を出ればいい》
「了解」
倉庫の間の薄暗く細い路地に踏み入った。樽や木箱などの資材が積まれているのを避けながらアーテルと共に走り抜ける。
元居た通りの方から追手達の足音が聞こえてくるのを後に路地を出て、表通りの方に向かう。
な~~、と、猫みたいな声が響いた。
突然に海からの強風が吹きぬけ、辺りに立てかけられた材木がきしみ、張られた分厚い天幕があおられてばたばたとはためく。
路地の方からはがらがらと何か崩れるような大きな音がし、次いで男たちの怒声と悲鳴が混じったような声が遠く聞こえた。
◇◇◇
通りに出て、ひとまず辻馬車に声をかけて乗り込んだ。
行き先を御者に告げ、安全を確保して一息つき、襲撃について考える。
まず、単純な強盗だというのは考えにくい。
今のアリーチェはハルトとの合名会社の構成員として多くの資産を動かしているが、それは簡単に強奪できるという類の物ではない。
貨幣として持ち歩いているのは、何か目的が無ければ金貨にして十数枚程度。証書の換金は難しいだろう。後先考えない物取りの類ならばともかく、リスクの高い日中の複数人による計画的な犯行の目標とするには弱い。
つまり、アリーチェの身柄を抑える事が目的だったという事だ。
では、誰が何の目的でアリーチェを拘束しようとしたかというと、これは推測しづらい。大手の組織や商人との明確な対立は避けてきたつもりだったが、商売敵になりうる相手は無数にいるし、そこまで深刻な敵対をしていなくとも浅はかな考えをもつ事はありうる。
状況から類推できる要素があるとすれば、人目のある場所で強引に捕えようとして来たという事。
メネルウァの管理機構側の人間ではない様だが、咎められる事もないという事。
誘拐をパートナーのハルトが訴えても退けられるだけの立場か理由付けを持つ相手かもしれない。
「──そうだ、アーテル。ハルトの方は無事だかわかる?」
《ハルト氏は、えーと、今は毛織物工場でも証券取引所とやらでもなくてメネルウァの北の区画の住宅街の屋敷に居る。狭くて鍵のついた部屋でじっと座っていて、これは軟禁されてる様だね。外傷などは無いみたいだよ》
アリーチェは、うわっちゃーと額をピシリと叩いた。
「これはまずい……
御者さん、ごめんなさい!行き先を変更して!工業区、毛織物工場の並ぶ運河の方に、お願いね!」
◇◇◇
メルクリオ毛織物工場の敷地内の離れにある事務室には、金庫が置いてある。
これは魔道具になっていて、複数のボタンを特定の回数押すと開くよう任意に設定できる。
今これの開け方を知っているのはハルトとアリーチェだけであり、二人の合名会社の帳簿と、持ち出さない分の証書もここに収められている。
アリーチェが襲われハルトがさらわれた現状、できる事なら見知らぬ敵より先に書類を確保しておこうと工場まで急ぎ戻ってきた所だ。
「事務所の中、誰か居そう?」
《居るね。男性が二人と若い女性が一人》
「こっちも抑えに来るかあ。どんな人達?」
《男性二人は健康で頑丈そうな体つきだ。西大陸中央の人種の特徴があって服装はメネルウァの一般的な物。
女性の方は、これはハルト氏に似た形質を持っているね。血縁者と推定される》
「むう…………仕方ない、入りましょう」
少し考えたが、接触を避けても状況は良くならないと判断した。
現状を打開するのにおそらく書類は必要で、時間を置けば無理やり金庫が破られ奪われる可能性は高い。
そして何より、早急に少しでも情報を集めたい。
事務所の扉を開けると、茶色い髪を肩まで伸ばし、眼鏡をかけた女性が机で書き物をしていた。
男二人は立ったまま、部屋の脇に控えている。
女性は顔を上げ、アリーチェを見て手を止めた。
「こんにちは。あなたはアリーチェ・プレスティさんでしょうか?」
「ええ、そうよ。あなたはジーロさん?」
「はい。ハルト・メルクリオの妹のジーロ・メルクリオです、よろしく」
アリーチェが部屋に入ると、男性の一人が扉の前に移動し、塞ぐ位置に立った。
彼らはいずれも上背があり体が厚く、無言のままこちらに視線を向けている。
「兄がお世話になっていたようですね。その事について、あなたと少しお話したいのです」
「その前に、紅茶を淹れてもいい?今日は何故だか男の人達に追いかけられてしまって、喉が渇いてしまったのよ」
「勿論いいですよ、ご自由に」
アリーチェは勝手知ったるという風に炉に火を入れてケトルに湯を沸かし、紅茶の袋を取り出して必要な分を取り、沸いた熱湯を陶器のティーポットとティーカップに移して温め、一度湯を捨ててからまたティーポットに注いで茶葉を入れ、ティーポットを持ち上げて葉を踊らせ、数分待ってから、二組のティーカップに二度に分けて注いだ。
「はい、ジーロさんもどうぞ」
「ずいぶん慣れてるんですね」
「ハルトが毎日淹れてるからやらせてもらってね、見様見真似くらいにはできるようになったわ」
今回淹れたのはハーブの香りの強いもので、事務所の部屋に華やかな匂いが広がる。
「アリーチェさんが追いかけられたというのは、おそらく叔父のトンマーゾさんの部下の人ですね。
ごめんなさい、あの人はちょっと強引な所があるんです」
「びっくりして走って逃げてきちゃった。あなたもそのトンマーゾさんに言われてきたの?」
「そうですね。私とハルトはこの工場の共同経営者なのですが、ご存知でしたか?」
「ハルトから聞いてるわ」
「内海の悪魔に出荷した毛織物を乗せた船が沈められ、代金が受け取れず工場の資金が回らなくなりました。
そこでトンマーゾさんに借金を引き受けてもらい、工場の権利をお譲りするという話があったのです。
先日、トンマーゾさんから特に良い条件を出してもらって、親戚一同も賛成する形でこれを決めようという話になり、他所の街に出ていた私も呼び戻されました」
「それで、私とハルトとの合名会社が問題になるのね」
「はい、あなたとハルトが工場の資金を投入して証券取引をしていると聞いています。
トンマーゾさんとの契約の前に、これを清算していただかなければなりません。
なので金庫を開けて、帳簿を見せていただけませんか?
本当はハルトが居てくれれば話は早かったと思うのですけど見つからないんです。
作業は私も手伝いますし、アリーチェさんの方に不都合があるなら出来る限り対応しましょう」
「帳簿を見せるのにはやぶさかではないんだけど」
「何か、問題でも?」
「ええ、そうね──」
曖昧に返事をして、紅茶のカップを取り、ゆっくりと傾けた。
部屋の隅からどさり、どさりと立て続けに音がした。二人の男性が床に手をつき、顔を俯けている。
アリーチェは席を立って近づき、背中をなでながら耳元でささやいた。
「ほーら、楽にして……
息を吸って……吐いて……
あなたはだんだん眠ーくなーる、眠ーくなーる……」
ほどなくして男性たちは身を沈め、そのまま床の上で眠りについた。
「アリーチェさん、何をしているの?」
「この間、南方の砂漠地帯の商人と取引した時に、面白い香を見せてくれて少し譲ってもらったの。
紅茶を淹れるときにこっそり焚いておいたんだけど、閉じた部屋でこれを嗅いでいると意識が朦朧として言う事を聞くようになっちゃう。
紅茶に仕込んでおいた薬のおかげで、私とジーロさんには効かない」
「何の為に……」
「ハルトの事なんだけどね、今、そのトンマーゾさんに捕まって閉じ込められてるみたい」
「ハルトが?」
「この人達も、トンマーゾさんの部下のルーヴェランの人でしょう?
ジーロさんとは二人で話がしたかったから少し休んでいてもらいたくて。
今、金庫を開けて帳簿を見せるから、相談に乗ってね?」
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