9話 ヨロイさん「楽器に触ってみよう」

 さて、暇な俺とアムとは違い、グレゴリーさんはとても忙しい身のはずだ。


 そのはずなのだが、彼は朝っぱらから集合場所であるマリウスさんの工房に来ていた。


《あの、お忙しいんじゃ?》

「なに、この時期は大祭に向けて大きく時間を空けてある。独演の構想を練る必要があるからな」


 ああ、そういえばマリウスさんにもそんな事を言っていたな。

 ……なら、なおさら暇がないんじゃないの?


 まあいい、彼の好意はありがたく受け取っておこう。


「今日は何するんや?」

「うむ、とりあえず貴様らには音を出すことに慣れてもらう必要がある」

《楽器を弾くんですか?》

「それが一番ではあるが……」


 彼はアムの方を見て、悩ましげに鼻を鳴らした。


「流石にそのちっこいのに適したものは、私の手持ちの中にはない。せめて呼吸をしてれば笛を吹けるのだがな」

「ゴーレムやからなー」

「まあ、そういう訳だから今日は私もあまり行かない場所に行く」

《普段行かない場所?》


 どこだろうか、工房や音楽堂ということではなさそうだ。

 グレゴリーさんは颯爽と身を翻し、目的地を端的に告げた。


「公園だ」



 昨日登った丘とはまた別の坂を登り、たどり着いたのは若い学生が多い場所だった。

 景観としても、大きな建造物がよく目に付く。

 学校や、そこに通う生徒が暮らす寮だろうか?


「もう気づいたかもしれんが、この区域は主に学業を担っている場だ。名はソルフェージュ・ヒルという」

「そる…へーじ?」

「ソルフェージュ、だ。まあ、音楽教育を意味する単語だな、覚えんでもいいぞ」


 学校に向かう学生達の姿を見ると、身なりのいい子ばかりだ。


《やっぱり、学校に通う子は裕福な子ばかりなんですかね》

「ん? いや、そうとも限らん。確かに稀だが、パトロンを獲得して通う者も居る」

《ああ、そういう方法もあるんですね》

「うむ、私自身がそうだったからな」


 その思わぬ告白に、足を止めるほどに驚いてしまった。

 尊大な態度から、てっきり貴族とかそういう家の生まれかと思ってた。


「何を驚いている。俺は己自身に絶対たる自信を持っている、そこに生まれは関係ない」


 俺の心を見透かされたようだ。

 いや、過去を説明する度に同じような反応をされたのかもしれない。


 グレゴリーさんは、俺が思っていた以上にずっと誇り高い人なようだ。


「さあ、着いたぞ、目的地だ」


 案内された公園は、かなりの広さを持っていた場所だった。

 方々に屋外ステージと観客席があり、今が朝でなければ、ここが音で溢れていたであろうことがよくわかる。

 しかしグレゴリーさんの目的は別なようで、そうした場所とは別の方向へ歩いていく。


「うむ、あったな」

「なになに? なにがあるんや?」


 グレゴリーさんが探し物を見つけ出すと、アムもすぐに飛びついた。

 昨日から、アムはずっとワクワクしっぱなしだ。

 音楽を教わることというよりも、何かを知ることが楽しいという感覚だろうか?


「ここら辺は遊具として太鼓などの楽器があってな、今の状況に相応しかろう」

「わー!」


 早速アムがポコポンと太鼓を叩いている。

 ……この光景、ミアさんに見せたかったな。

 彼女、結構アムのことを可愛いものとして見てる節があるし。


「お前は…そうだな、あれとかどうだ」


 彼が指差した先にあったのは、大きな弦楽器だった。


「ハープだ。無論、本格的なものと比べるべくもないが、基本的な機能は変わらん」


 そう言いつつ、彼の指がハープに触れた。


 その瞬間、ハープは公共の物だとは到底思えないほど、繊細な音を奏で出した。

 ハープ自体の優しい音色と、奏者が生み出す音律が影響し合い、人気のない公園中に優雅なメロディを響き渡らせた。


 アムも太鼓を叩くのをやめてハープの方を見たほどに、彼の音楽は魅力的だった。


 時間にして1分にも満たない演奏だったが、俺たち濃密な体験を送った。


「すごいなぁ兄ちゃん! 綺麗やったで!」

「まあ、俺にかかればこんなものよ」


 素直な賞賛は嬉しいらしく、鼻高々な様子がよく分かる。


 しかし専門でないハープでこれなのだから、ヴァイオリンでの本気の演奏はどれほどの物なのだろうか。


 見よう見まねで、俺も挑戦してみよう。


 弦に触れ、弾くと、ポロンと音が飛び出た。

 ……そういえば音を出そうとして鳴らしたのって、これが初めてなんじゃないか?


 声を出せない俺が、音を出すことができた。

 これだけで、結構楽しい。


 もし、グレゴリーさんのような演奏ができれば、もっと楽しいのだろうか?

 一度あふれた好奇心は、そのまま行動につながった。


 再現できる限り、グレゴリーさんの動きを真似る。

 一つ一つの動作にかかる時間の差で、彼がどれほどの高みにいるかを少しだけ理解できた。


 2分はしっかりかかった頃に、やっとモノマネが終わった。


 コンコンと音がしたと思ったら、アムが拍手をしてくれていた。


「兄さんもかっこよかったでぇ!」

《ありがとう、アム。嬉しいよ》


 褒められるのは嬉しい、先ほどのグレゴリーさんの気持ちがよく分かる。


 そのグレゴリーさんはというと、興味深げな視線を俺に投げかけていた。


「ふむ……なるほどな」


 何か、彼の中で一つの決定が下されたのだろうか。

 グレゴリーさんは一度瞑目したあとにその白銀の瞳を見開き、唐突な宣言を下した。


「よし、ヨロイよ、お前には俺が直々にヴァイオリン教えてやる」


 ……んん?


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