🍎への応援コメント
初めまして。「哲学カフェ日記」を執筆しております海月と申します。
あなたの小説を拝読し、その簡潔で象徴的な表現に深く胸を打たれました。短い言葉の連なりの中に、「不平等」「欲望」「他者との関係性」「自己肯定」といった、人間が生きる上で避けて通れない普遍的なテーマが凝縮されており、非常に哲学的な詩のようにも感じられました。
物語の中心には、明らかに「平等と不平等」の問題が横たわっています。目の前に“皆に与えられるはずの”林檎があるにもかかわらず、それを手にできる者とできない者がいる。その違いは「賢さ」や「体の強さ」といった先天的な資質によって決まってしまい、弱い者は、ただ「止められる」だけの存在になってしまう。まさにこれは、ジョン・ロールズの「原初状態」や「公正としての正義」を想起させる問いです――なぜ、資源は平等に分け与えられないのか? そして、それは正当化できるのか?
また、林檎を取る者が、自分で手を伸ばすのではなく、「より弱い者に取らせている」という描写に、搾取の構造が浮かび上がります。強者が弱者を使役する社会。ここには、資本主義社会における労働力と価値の非対称な関係が重ねられているようにも思います。マルクス的観点から言えば、これはまさに「疎外」の瞬間であり、林檎=成果は、労働する者の手には戻ってこないのです。
そんな中で、「どんぐりの木を見つける」という選択に私は強く惹かれました。それは、与えられないなら、自ら探すという主体的な選択です。そして、そのどんぐりを「美味しいと感じた」という一文に、この物語が希望を孕んでいることが伝わってきます。他者から与えられるものではなく、自分自身が価値を見出したものによって生きる。これはまさに、ジャン=ポール・サルトルの実存主義――「人間は、自らが選択した意味において人間である」という思想の実践でもあると感じました。
最後に、「そんなもの」と嘲笑される場面があります。ここには、少数派の価値や選択が、社会的な主流や物差しにおいて否定されるという現実があります。しかし、その笑いは空虚でしかありません。なぜならその「どんぐり」は、自分の意志と選択によって見出された、生の意味だからです。他者の価値観で笑われようとも、自らの価値を信じて歩む姿勢は、真に自由である証拠です。
この短編は、力を持つ者と持たない者のあいだにある断絶、そしてそれに対する「怒り」「諦め」「希望」のすべてを描いているように感じました。そして何より、「自分の手で生きる」という選択の重さと美しさを静かに、しかし力強く伝えてくれる作品でした。
読後、しばらくのあいだ胸に残る問い――「本当に欲しかったのは、林檎だったのか?」という問いを与えてくれる、哲学的で詩的な作品をありがとうございました。
作者からの返信
お礼が遅れてすみません、コメントありがとうございます!涙が出そうなぐらい嬉しい応援コメントでございます。私が伝えたいことよりも更に感じ取るようなあなた様の感性が素晴らしいです。
🍎への応援コメント
あ、ここな丸さん。このお話よいですね。
一話完結の企画主さんなので、「どれ、どんな一話完結を書いてるのかな」って読みに来ました。リンゴとドングリを使った、社会の縮図のようなお話で、感心して拝読致しました。
物質の豊かさと、精神の豊かさは違うんですよね。
老婆心ながら、「食べれない」は、たとえば高校生の会話など、あえてそうする必要がないのであれば、「食べられない」にされた方がいいでしょう。文頭の一時下げもそうですが、それだけで読まなくなる方や、作品の完成度を一段下に見る方もいますので、せっかくよい作品が勿体ないです。
よい作品でしたので、お星様をパラパラしておきますね。
ご縁がありましたら、また。
作者からの返信
小田島匠さんこんにちは! コメントありがとうございます。 具体的で的確な御指摘です、後ほど修正させて頂きます。 星もありがとうございます、良い作品だと言って頂けて、嬉しいです。