第6話 そして

『……あの後はごめんな』

『辛かったよな』

『……もちろん大丈夫とは言えないけど』

『――それ以上に幸せだったから』



「――落ち着いたか?」

「後は校長先生に任せて帰ろうか」


「うん……」

 くしゃくしゃの顔を隠す仕草も何だか良いものだな。

 もっとちゃんと知ればよかった。

 ――いや、これからは笑顔にさせないとな。



 *


「……ふふん♪」

 帰り道、楓はさっきのことが夢だったかのように鼻歌を歌っているな。


「ん?」

「ご機嫌みたいだけど、どうしたんだ?」


「あ……」

「ご、ごめんなさい……」

 ……少しは俺に慣れたのかと思ったが一日でそうなるわけないか。


「謝らなくていいよ」

「ただ、良いことがあったのか気になっただけだから」

 これは純粋な謝罪。

 俺はまだこの子をよく知らない。

 何気ない言葉で傷ついていたら嫌だからな。


「えっと……」

「うれしくて……」


「そんなに顔を赤くするほど嬉しいことってなに?」

 むしろ嫌なことしかなかったと思うんだがな……。


「あのね……!」

「かっこよくて……!」

「一緒に帰れてうれしいな……ってぇ……あ……ぅぅ……」

 ……何がかっこよかったのかはわからない。

 最後なんてどんどん声が小さくなって聞き取れなかった。

 でも、一緒に帰れたことをこんなに嬉しそうにしてくれるなんてな。


「俺も楓と帰れて嬉しいよ」

「これからもバイトとかはあるけど時間が合えば一緒に帰ろうか」


「っ……!」

 ……?

 首を縦に振ってるってことは良いことなんだろうけど……。

 なんだこのなんとも言えない表情は……。

 喜んでる……んだよな……?



 *


 ――ガチャ。


「おにい……」

「えっと……お先どうぞ……!」

 今日は少しでもおにいの役に立ちたいな……。


「ありがとう」

「でも、レディファースト」

 うぅ……。

 私、レディなんてものじゃないのに……。

 それに私が何かしてあげたいのに。

 いつもこうやって優しくしてくれる。


「えっと……」

「じゃあ、お先に……し、失礼します……」


「うん」

「俺はちょっと荷物置いてくるから先にリビングでゆっくりしてて」

「楓のカバンも部屋にもっていくね」


「あ……それは私が……」

 行っちゃった……。

 おにいはなんでもひとりでやっちゃうな……。


 とりあえずリビングに――。


「楓」


 ……。

 そうだ……。

 私は何も解決してない……。

 今、ソファに座っている人……。


「こっちきなさい」

 怖い……怖い……。


「早く」


「は、はい……」

 いつもよりも怖い顔……。


「学校から連絡があった」

「――問題起こしたんだって?」

「しかも傷害」


「ち、ちがっ――」


“バチィィィン”

 痛っ……。


「相手の子は折れてるんだって?」

「あんたはそれくらいで泣くの?」

「人様に迷惑かけて気分良いのかしら?」


「わ、私は襲われそうになってて……!」

「連れていかれたくなくて押しちゃっただけなの……!」

 おにいも校長先生も信じてくれた。

 お母さんだってきっと――。


“バチィィィン”

 ――っ!


「だからなに?」

「私は何度も口酸っぱく言ったわよね?」

「“お兄ちゃんに迷惑かけるな”って」

 わ、私が悪いの……?


「で、でもね……」

「おにいも“守ってくれる”って言ってくれたの……」

 だめ。

「それに私はヒドイことされそうだったんだよ……?」

 やめて。

「お母さんは私がヒドイことされてケガとかしたら……」

 聞くな。

「――悲しいよ……ね……?」


「――はぁ」

「お兄ちゃんのそれは“建前”って言うのよ」

「本気で頼ったら普通は嫌がられるわ」

 違う……。

 おにいはそんなんじゃ……。


「それに」

「あんたがどうせ相手の子に嫌なことしたんでしょ」

「あんたが悪いのに――」

 いわないで……。


「悲しいわけないでしょ」


 ――あれ?

 何でだろう。

 お母さんの声が遠く感じる。

 私は立ってるの?

 座ってるの?

 世界がぐるぐる回って……沈んで――。



 ――バン!


「あら!」

「おにいちゃんどうしたの?」

「お腹すいた?ご飯にしましょうか?」

「ほら、楓?」

「ぼーっとしてないでね」


「母さん」

「楓に何言ったんだ」

「ずっと大変な思いをしてきたんだ」

「ようやく前に進んで笑ってくれたんだ」

「それを――」

 楓。

 その顔をやめてくれ。

 その顔は今までの楓に戻っている。

 頼む。


「それをなんでこんな――」


「あらあら!」

「違うのよぉ!」

「私は楓に“自分で動けるように”少しお話しただけなの」

「そしたらこの子ったらネガティブ思考だからね」

「悪い方向で考えちゃったのよぉ」

「だからお兄ちゃんは気にしなくて大丈夫よ?」


 冷静にならないと……。

 でも……。


「……少しお話した?」

「ネガティブ思考?」

「じゃあ、楓のこの頬が赤くなってるのはなんだよ!」

「叩いたんじゃないのか!?」


「違うのよ!」

「その子が何でもかんでも人に頼ろうとしてたからなの」

「それともお兄ちゃんは“再婚相手なんか母親じゃない”って思ってるの?」

「だから私を追い詰めるのかしら……?」

「私は母親失格って言いたいの……?」

「そもそも私たちは必要ないってこと……?」

「“私も楓も”邪魔だったのかしら……?」


 ――なんなんだこの人は……。

 なんでそんなにすぐ泣ける……?

 泣くってことは嘘を言っていないってことか……?

 でも、楓のこととは関係ない。


「母さん」

「俺は邪魔だなんて思ったことはないよ」

 これは事実だ。


「そもそも今までふたりに対しては“優しい義兄”として接した」

「母さんが俺に期待してるのもわかってる」

「楓が甘えたくても甘えられない性格なのもわかってる」

「だから―― 「そうよね!」


「わかってるわよ!」

「お兄ちゃんは私の味方なんだって!」

「これからも期待しているわよ!」

「さーて、今日はお兄ちゃんの好きなもの作るわよぉ!」

 こいつ……。


 ――楓、大丈夫だ。

 そんな暗い目をしないでくれ。

 なんとかしてやるから。


「……母さん」

「楓にまずは謝ってくれないか?」

「俺だって今更関係を悪化させたいなんて思ってない」

「だから母さんも謝ってほしい」


「うーん……」

「わかったわぁ……」

「楓、ごめんねー」

「ふふん!これで解決ね♪」

「ほら、いつまでもふてくされてないで勉強しなさい!」

 ――は?

 ……待て。

 謝るってこういうことか……?


「母さん」


「まだ何かあるの?」

「やっぱり私“たち”は邪魔だったかしら……」

 ……なんで毎回楓を含むんだ。


「母さん」

「……どうして楓を大切にしてやらないんだ」

「血の繋がった家族だろ」


 ――ゾクッ。

 なんだ……?

 母さんの目が冷たい……。

 言葉を間違えたか……?


「はぁ……」

「何で大切にしないかですって?」

「お兄ちゃんには“関係ない”わよね?」

 否定しないってことは大切ではないということか……?


「関係ないわけないだろ」

「俺を大切にするなら楓も大切にするのが普通じゃないのか?」


「お兄ちゃん」

「人にはどんなものにも優先順位があるの」

「私にとってはお兄ちゃんが優先なだけよ」

「わかったらこの話は終わりよ」

 淡々と……。

 わからない……。

 この人の感情は何なんだ……。


「――そもそもね?」

「お兄ちゃんだってわかると思うわよ?」

「“大切にしていたものが憎しみに変わる”」

「出会ったときに同じものをあなたの目から感じたもの」

 俺が……?

 俺が憎しみを……。

 出会ったとき……。



 ――【父さんが知らない人たちを連れてきた】時か……。

『すまないな』

『言うのが遅れたが今日からお前の家族になる人たちを紹介する』――



 確かに俺はあの時父さんを軽蔑した。

『死んだ母さんに申し訳ないと思わないのか』って。

 自分の父は一途だと思っていたからだ。

 でも、それは一時の感情。

 父さんも男だ。

 それなら女性と関係を持つのはきっと普通なんだと理解した。


 ――でも、それならこの人の楓に対する憎しみってなんだ?

 ……。


 楓を産んだ後に離婚……。

 父さんとの再婚……。

 もしかして――。


「楓の父さんが原因……?」

 俺はどうして考えをまとめずに口に出してしまったんだ。


 ――ちっ!

 背中を見せているが確かに聞こえた。

 母さんが舌打ちをした。

 きっと合ってるんだ。


「お、おにい……」

 え……?

 楓……?

 なんで黙って首を横に振るんだ……?


「お兄ちゃん」

「次そのことを口に出したら許さないわよ」

 冷たい声。

 きっとこれ以上言うのはすべてを壊すことと同じことだろう。

 でも……。


「ふざけるな」

「何があったかは知らない」

「でも、楓が何をしたっていうんだ?」

「何も教えてもらえず『これからもよろしく』なんて言えるかよ」


 ――――――あまりにも静かな間。

 背中しか見えない母さんがどういう気分でいるのかがわからない。

 少なくとも良いことにはならないだろうということはわかる。


「お兄ちゃんはさ――」

「もしも自分の彼女がさ――」

「自分のお父さんに欲情してたらどうする?」

 ――何言ってるんだ。

 意味が分からない。


「あくまでも例え話」

「立場とかは違うけどさ、もしもそういうことがあったらどう思うかしら?」


「……たぶん彼女のことが嫌いになると思う」

 きっと何か意味のある質問のはずだ。

 正直に答えていけばいい……はず……。


「そうよね?」

「きっとお父さんのことも嫌になるわよね?」


「……状況によるかな」

「父さんが何もしていないなら嫌いになる理由はない……」

 ……この質問まさか?


「だって、楓」

「お兄ちゃんはあんたのこと嫌いなんだってさ」

「お兄ちゃんは私の味方ってことになるわね」

 な、なにを言って……。


「ち、違う……!」

「お父さんが叩くから怖くて……!」

「だから私は……!」


 ――うっさい。

 母さんの冷たい声が耳に響く。


「楓、理由はどうあれ私が愛した人を奪ったのはあんた」

「そもそも血が繋がっているのにあんなことして恥ずかしいとかないの?」

「本当に気持ち悪い女」


「違うの……違うの……私は……」


 ――夢か?

 一体何が起こってる……。

 楓は実の父親と……?

 いや……何か違和感がある。

 たった一年とはいえ、家族として過ごしてきたんだ。

 楓が自らそういうことをする子だとは思えない。


 ――落ち着け。

 俺が見てきた楓はどんな子だった?

 おとなしくて、暗くて……でも、とっても優しい子だ。

 むしろ今までの生活から自身を“女の子”として思っていないような感じだった。

 はたしてそんな子が自ら実の父親を誘うものか?

 それにさっき楓は『叩くから怖くて』と言った。

 つまり――。


「ふたりとも落ち着いてほしい」

 楓は泣きじゃくって、母さんは今にも楓を襲うかのような目だ。


「きっとこの話は解決できない」

「解決するにはお互いを信じていないと無理だと思うから」

「それに今から言うことは俺の妄想だ」

「楓は合ってたら首を縦に振ってくれると助かる」


 ――コクン。

 よし、楓は聞いてくれるな。

 母さんは……ずっと楓を睨んでる……。


「……まず、俺の考えを結果から言う」

「楓はたぶん脅されていたんじゃないかな」


 ――コクッ。


「きっと普段から楓は暴力的なことをされていたんだと思う」

「だから母さんが……何を見たかは知らないけどさ」

「その時には既に抵抗するという気持ちもなかったんじゃないか?」


 ――コクッ。


「もちろん母さんの気持ちもわかるよ」

「理由はどうあれ最愛の人を娘とはいえ他の女に奪われたんだから」

 ……楓、泣かないでくれ。

 まだ、終わりじゃないから。


「――俺の妄想だと楓は何度か母さんにも助けを求めたんじゃないか?」

「きっと、気づけないほど小さなサイン」


 ――楓の反応はない。

 助けは求めなかった……?


「……わかってたわよ」

「楓があの人に殴られたりしてるのなんて」

 な……!


「でもね、助けられなかったのよ」

「私が醜い女なのはわかってる」

「あの人が楓を殴っていれば私は平和だったから」

 ……。


「楓にヒドイことをしている時だけは昔のように優しくしてくれた」

「私にはあの人の愛情が幸せだったのよ」


「そんなに酷い男ならどうしてすぐに別れなかったのか聞いてもいい?」


「単純よ」

「好きだったの」

「どんなに怖い顔でも昔の優しいあの人の顔がチラつく」

「きっといつか戻ってくれると信じてたから」

「そんな気持ちすらも“あの日”にすべて壊れちゃったけどね」

 ――あの日?


「私は仕事が残業で遅くなっていたの」

「家に帰ると電気がついてなくてね」


「お母さんもうやめて!」

「それ以上は言わないで!」


「嫌よ」

「私が奪われたんだからあんたからも奪うわ」

「……ふたりとも寝てると思ったからそっと入ったの」

「そしたら……」


「やめて!!!!!!!」


 *


 ――どれくらい時間が過ぎた?

 長い沈黙。

 楓の泣く声だけがずっと部屋に響く。

 何を言えば……あ。


「楓、それに母さん」

「辛いことを思い出させてごめん」

「そこで一つ確認をしたいんだ」


 ふたりともじっと俺を見つめてくる。

 楓は絶望って感じか……。

 母さんももうどうでもいいって感じ……。

 でも、これで終わりにはできない。


「まず楓」

「楓は母さんのこと好きか?」


「え……」

「……わかんない」

「たぶん……」

「私にも一応ごはん作ってくれてたから……」

 今の楓にはもう判断は難しいか。


「母さんはどう?」

「楓のことまた愛せる?」


「……無理ね」

「今日の話で自分のしてきたことが最低なのはわかってる」

「でもね、もう関係を修復していいほど私は“良い母親”にはなれないと思うわ」

 ……なんとなくこうなるのはわかってた。


「それで?」

「お兄ちゃんは何を望むの?」


「俺は――」

 この選択はきっと辛くなる。

 でも、こうするのが良いと俺は判断する。


「――楓とふたりでやっていく」

「もう俺たちのご飯を作ったりもしなくていい」

「俺が全部やるから」


「ふふっ……」

「やっぱりお兄ちゃんも私を捨てるのね」

「みんなで私を捨てるのよ……」


「違う」


「え?」

 まだだ……。

 なるべく全員が幸せになるにはこうするしかない。


「母さんは父さんのことどう思ってる?」


「えっと……良い人よ……?」

「寡黙だけど優しくて……たまにかわいくて……」

「私が傷ついて八つ当たりしても好きって言ってくれるし……」


「俺の父さんのことを一人の男性として愛してる?」


「え……!」

「そ、それはもちろんよ……?」

 ……赤いな。


「ならさ、母さんはあと少ししたら母さんを“やめて”」


「そ、それは私が親失格ってことでしょう……?」


「そうじゃない」

「俺は父さんにももう一度ちゃんと恋をしてほしいんだ」

「だから、母さんには父さんを親じゃなくて男として愛してくれないかな?」

「その……要はさ……」

「ふたりとも“親”じゃなくてただの”男女”ってことで……どうかな……?」


「そ……それは……」


「楓はどう?」

「俺とふたりで暮らすってのは……?」


「わ、私が決めるの……?」

「私は――」




 第7話へ続く

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