第6話
明理は、詩織の部屋にひとりで入った。
昼間の光が差し込むはずの窓には、カーテンが引かれたまま。埃っぽい薄闇の中、そこだけ時間が止まっているようだった。
靴を脱ぎ、畳まれた制服の横をすり抜けるようにして、机へと近づく。
引き出しを開ける。中には、淡い花柄のカバーがかかったノート。
表紙には名前もタイトルもなく、ただうっすらと鉛筆で線が走っていた。
指先で触れると、ページの端がかすかにふるえた。まるで、まだ体温が残っているかのように。
ページをめくる。
文字は小さく、整っていた。
一行一行がまるで、自分の存在を紙の中に“刺繍する”かのような慎重さで綴られていた。
詩織の字は美しかった。
細く、均等に並ぶその筆跡は、まるで糸を紡ぐようだった。
彼女自身もまた、そんな風に生きていたのだと明理は思う。
背筋をまっすぐに伸ばし、口を開く前に言葉を測る。
白い肌に、深い色の瞳。長めの前髪はしばしば頬にかかり、それを手で払う仕草が癖だった。
華奢で、けれどその細い体の奥に、燃えるような決意と冷えきった諦めが共存していた。
「火って、何も言わないのに、全部を知ってる気がする」
「朝霧先生は優しいけど、たぶん私を怖がってる」
「お姉ちゃんは、私のことを“あの頃のまま”だと思ってる。だけど、私は今、全部わかってる」
「セナは、わたしを見てくれる。名前じゃなくて“わたし”として」
「この世界に、私の居場所があるなら、そこには名前も、炎もいらない」
「ただ、最後に──お姉ちゃんが私を見つけたって、思わせたい」
明理はページをめくる手を止めた。
胸の奥がじわりと熱くなる。けれど、それは怒りでも、悲しみでもなかった。
「……ずっと、見ていたのは、詩織のほうだったのか」
壁に書かれた言葉たちが、ノートの文字と重なる。
あの部屋は、詩織の中の“肖像”──彼女自身が作り出した舞台だった。
だとすれば、あの部屋はただの現場じゃない。
**物語の“冒頭”**だ。
明理はノートを閉じ、スカートのポケットにしまった。
まだ彼女はここにいる。
そう信じるように、指先をギュッと握った。
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