第6話 「君の愛は、村に咲く」

春の終わり、陽が長くなってきた夕暮れ時。


 健司は丘の上に腰を下ろし、小さな村の広場を見下ろしていた。そこには、笑顔の輪があった。


 子どもたちに読み聞かせをする赤毛の女性。その周りには村の主婦たち、若者、そして老人たちまでが集まり、柔らかく笑っている。


「……アイリ、すごいな」


 思わず口にした言葉は、独り言だったけれど、胸の奥から自然にあふれたものだった。


 昔のように、大声で指揮を飛ばすこともなければ、魔法で派手に場を治めることもしない。ただ、微笑みと温もりで、人々の心をほどいている。


「……僕にはできなかった」


 かつての王として、武力で国をまとめた自分には、そんなふうに誰かの心に寄り添う術がなかった。

 けれど、彼女にはできる。まるで、それが自然のことのように。


 



 


 日が沈むと、夜の静けさが村を包み込む。


 健司は、ふとんを敷いたままの縁側に座って、空を仰いだ。風に揺れる竹の音が、耳に心地よい。


「……ぼーっとしてると風邪ひくよ、健司」


 アイリの声がして、健司は振り返った。白い上着に肩までの赤髪。魔女というより、村の姉さんと呼ぶ方が似合う姿だった。


「ん……ちょっとだけ、夜風を浴びたくて」


「ふふ、珍しい。昔は夜なんて、警備以外で外に出なかったのに」


 アイリも隣に腰を下ろす。ふたり、並んで空を見上げた。


「……見てたよ。今日の広場」


「え?」


「子どもたちに本を読んで、村の女の人たちと花の手入れして……ああやって、自然にみんなと溶け合えるの、すごいと思った」


 アイリは少しだけ驚いたように目を丸くして、それから静かに笑った。


「……ありがとう。でも、私、そんなにすごくないよ。ただ、誰かの手助けになればって、それだけ」


「それがすごいんだよ」


 健司は素直にそう言った。


「僕には、できなかった。部下を守るのに必死で、ずっと一人で突っ走って……心を預けることなんて、考えもしなかった」


「そうだったね」


 アイリの声には、どこか懐かしさと切なさが混ざっていた。


「でも、そんな健司だったからこそ、私たちは……支えたくなったんだよ」


 健司はふっと目を細める。


「……昔から、アイリは僕のこと、全部わかってたな」


「当たり前でしょ。私、君の“側近”だもん」


「……お姉さん、じゃなくて?」


「うん、それも兼ねてるけど」


 アイリはくすくす笑って、健司の肩に頭を預けた。昔なら照れて立ち上がっていたかもしれないが、今は不思議と、それを自然に受け入れられた。


「ねぇ、健司。今、幸せ?」


「……幸せって、言っていいのかな」


「いいんだよ。私も、幸せ」


 アイリの声は穏やかだった。夜風のように、そっと寄り添ってくる声。


「君が生きてて、ここにいて……村の人たちに慕われて。私は、それだけで嬉しい」


「……ありがとう。僕、たぶん……君がいたから、生きていられた」


「うん、知ってるよ」


 


 *


 


 昔のことを、思い出す。


 まだ戦場にいた頃、健司が倒れ伏した時、真っ先に駆け寄ってきたのがアイリだった。


 彼女の魔法は、癒しと支援に特化していた。

 だが、何よりも癒されたのは、その声だった。


 『……大丈夫。君は、ひとりじゃないよ』


 ——そう、ずっと言ってくれていた。


 


 *


 


「……僕さ、これから、どうしていけばいいと思う?」


「それを私に聞く?」


「うん。君がいれば、僕は間違えないような気がするんだ」


 アイリはしばらく黙ってから、月を見上げた。


「私は、君が“愛”で生きるって決めたこと、正解だと思ってるよ。剣も魔法も必要だけど……君は、それをもう十分すぎるほど使った」


 健司はそっと、アイリの手を取った。


 彼女は驚いたように目を見開いたが、すぐに優しく微笑む。


「じゃあ、君と一緒に……ここで生きていく」


「うん、一緒に生きよう」


 星が一つ、空を横切って流れた。


 それを見上げながら、健司はもう一度、静かに言った。


「……ありがとう、アイリ」


「どういたしまして、健司」


 


 その夜、ふたりは月が沈むまで、何も言わずに隣に座っていた。

 言葉よりも、心が近くにある。そんな時間だった。

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