『魔女がいるなら、それでいい。〜剣を捨てた元王のスローライフ〜』

アモーラリゼ

第1話 「剣を捨てた日」

燃えていた。

 城も、街も、誇りも。

 空を覆う黒煙が、かつての栄光を呑み込み、夜のように世界を覆っていく。


「……ずいぶん派手にやられたもんだね」

 かすれた声が、すぐ傍で聞こえた。


 赤黒く染まった石畳を踏みしめて、魔女——アイリが肩をすくめる。

 彼女のローブは破れ、長い髪には煤が絡んでいた。それでもなお、その瞳には強い意志が宿っている。


「……僕は、間違ってたのかな」

 健司は、そう呟いた。


 足元には、信頼していた部下のひとりが倒れている。

 裏切ったのは彼だった。あんなにも忠義を誓っていたのに、迷いなく剣を向けてきた。


 それでもなお、健司は彼の安否を気にかけていた。


「武力で従えてたんでしょ? そりゃ、力が傾けば裏返る」

 アイリは淡々と告げる。

 だが、その声には非難ではなく、どこか悲しみが混じっていた。


「……僕が築いたのは、結局……誰のためでもなかったんだな」

「それに気づけたなら、まだ間に合うよ」


 アイリが手を差し出す。

 その掌は、煙と血に濡れたこの地にあって、唯一穏やかだった。


「ここはもうダメ。だから、一緒に逃げよう」

 その言葉に、健司は小さくうなずいた。


 


    ◇ ◇ ◇


 それから数日、ふたりは馬車も使わず、森を抜け、山を越えた。

 健司の身体には矢傷が残っていたが、アイリの魔法で応急処置されている。だが、心の傷はそうもいかない。


 夜、焚き火のそばで、健司はぽつりと呟く。


「……皮肉だな。かつて国を動かしていた僕が、今はリスに干し肉を盗まれてるなんて」


 木の上で干し肉をむしゃむしゃ食べている小動物を見ながら、アイリは吹き出した。


「似合わないよねぇ、やっぱり健司には。動物に食料奪われるなんてさ」


「……ひどいな、アイリは」


「でも、そういうところも好きだけどね。不器用で、がむしゃらで……でもほんとは、優しい」


 アイリの横顔が、炎の揺らめきに照らされる。

 どこか、切なげな笑みだった。


「アイリは……どうして、こんな僕についてきてくれるんだ?」


「ん? そりゃあ、好きだからに決まってるでしょ」


 さらりと、天気の話のように言うその言葉に、健司は一瞬、言葉を失った。


「なに驚いてるのさ。あたしがずっとそばにいた理由、わかってなかった?」


「……僕は、剣を振るうことでしか、誰かを守れないと思ってた。あの頃は、力しか信じてなかった。だから……」


 健司は言葉を切って、焚き火を見つめる。


「信じてた部下が裏切ったのも、僕のせいだと思う。彼の中にある“愛”を、僕が見ようとしなかったから」


「……やっぱり優しいよね、健司って」


 アイリは小さく笑い、そっと薪を足した。火がパチパチと弾け、あたたかな光を広げる。


 


    ◇ ◇ ◇


 山を越えた先にあったのは、のどかな村だった。

 鳥のさえずりと、羊たちの声。子どもたちの笑い声。


 そこに“王”は存在せず、ただの“旅人”としてふたりは迎えられた。


 その夜、丘の上でふたり並んで星を見上げる。


「ここ、どう?」

 アイリが聞く。


「……静かで、いい場所だな」


「じゃあ、ここに住もう。畑作って、パン焼いて……ちょっとずつ、普通の暮らししようよ。ね、健司」


 風に揺れる草の音が心地よい。

 健司は、ふと気づく。


 ——魔女が、いる。それだけで、十分だ。


 剣を捨てた日。

 それは、すべてを失った日じゃない。

 すべてを手に入れ直す、始まりの日だった。


 


    ◇ ◇ ◇


 だが、穏やかな日々はそう長くは続かない。


 数日後。

 村の外れに、懐かしくも忌まわしい顔が現れる。


 それは、かつての配下——

 健司を裏切った部下たちのひとりだった。


 炎の記憶が、ふたたび心を揺らす。

 けれど——


「今度は、僕が守るよ」


 隣にいる魔女を見つめ、健司は静かに剣を握りしめた。

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