最上層攻略配信 Ⅱ
重厚な扉がゆっくりと開かれていく。
開かれた扉の先はドーム状にくり抜かれた洞窟のような広い空間だ。
壁や天井に生えた淡く青緑色に光る苔のおかげでしっかりと視界は確保できるが、相変わらずの薄暗い空間であった。
そんな部屋の中央部に佇む、ホブゴブリンの姿。
青緑色の光に照らされているホブゴブリンの身体の色合いは判然としにくいが、体表は緑がかっているようで、まさしく最上層3階層にいるゴブリンがそのまま大きくなったような、そんな見た目をしている。
立ったまま時が止まり、そのまま眠っていたかのようなホブゴブリンが、扉が開かれたことで目を覚ましたように奏星と流霞を見やると、威嚇しているつもりか、牙を剥いた。
魔装である銀の棒を握る手に力が込められた流霞の横で、先んじて奏星が口を開いた。
「悪いけどルカ、ここはあーしにやらせてくんね?」
「……ん、いいよ」
「さんきゅ」
『え?』
『まあきひ子ちゃんじゃ相手にならんわなw』
『上層まで温存はありだし、そもそもグレーホブゴブリンを倒せてるからなぁ』
『カナっちがんば!』
『良かった、きひ子ちゃんじゃ素直に応援できないところだった』
『草』
奏星の突然の申し出と、それをあっさりと受け入れる流霞の二人のやり取りに、視聴者たちからの軽口めいたコメントが流れていく。
しかし、流霞は気付いていた。
奏星の手が僅かに震えているということに。
イレギュラーであった、グレーホブゴブリンとの戦い。
あの時、奏星がどういう戦いをしたのか流霞は配信のアーカイブを通して確認している。
奏星は虚を突かれる形となって顔面に強烈な一撃を見舞われ、倒れ込んだところで腹部に蹴りを入れられた。
ホブゴブリンの見た目はあの時のグレーホブゴブリンに酷似している。
あの時の失敗体験が蘇っているであろうことは明白だ。
ダンジョン最上層の薄暗い空間では、ホブゴブリンの色合いの差も分かりにくいため、当時の記憶がフラッシュバックしているのだろう。
そんな奏星の心情を察して、流霞がドローンに聞こえないぐらいの小さな声で奏星の名を呼んだ。
「カナっち」
「ぇ、あ、なに?」
「いざって時は、私があれぶっ飛ばすから」
「……ありがと、ルカ」
流霞が言わんとしていることは、奏星には充分に伝わっていた。
そうして何故か、先程から身体の内側を雁字搦めに縛っていたような緊張感がふっと解けていることに気が付いて、奏星は笑う。
――ウケる。流霞の言葉を聞いただけで、なんなんこれ。
口角が上がった。
身体が軽くなったような気がして、トントンと跳ねるように片足ずつでリズムを取って、奏星が小さく呼吸する。
『てぇてぇ』
『なんだ、この、なんだ?』
『なんかもうガチで青春してる感すき』
『カナっちのきひ子ちゃんへの信頼か? 明らかに表情と身体の強張りが消えたぞ』
『もうホントてぇてぇが過ぎる』
『オタクくんとギャルよりこっちの方がいいわ』
次々と流れるコメント。
流霞の声も奏星の声も、そもそも奏星がつけた胸元のマイクから集音しているのだから、ドローンに聞こえなくても拾えてしまうというのに、流霞はそれを知らなかった。
だから、流霞の言葉も奏星の声も、しっかりと配信では拾われているのだ。
ドローンには聞こえないようにと配慮した流霞の気遣いを、気持ちを無視したようなコメントの無粋さに思うところはある。
けれど今は、そんなことに目くじらを立てるような、そんな気分ではないなと奏星は思う。
「――バーカ」
視聴者に向かって一言告げて、奏星が一気に駆け出した。
上体を低く、魔装である細剣を手に持って肉薄してくる奏星に気が付いたように、ホブゴブリンがその顔を奏星に向けて威嚇するように叫んだ。
だが、それを真正面から受けた奏星は――笑っていた。
「んなもんより、ルカの笑い声の方がよっぽど迫力あるっつーの!」
「っ!?」
『くっそww』
『それはそうw』
『ルカちゃん聞こえてんじゃねw』
『カナっち余裕綽々じゃん、かっけぇw』
『ここにタワー建てなきゃ』
唐突な流れ弾を喰らったような気分の流霞を他所に、奏星は止まらずにホブゴブリンへと間合いを詰める。
まずは速度を乗せた細剣の突き。
武器を持たないホブゴブリンに対して、間合いを取れる奏星の方が有利なのは間違いない。ただ、流霞のような一撃の重みは足りないため、突きの一撃はあくまでも牽制――の、つもりだった。
だが、奏星の視点で言えば妙にホブゴブリンの反応が遅く、その突きがあっさりとホブゴブリンの肩口を突き刺し、その身体が後方に押し出されるように、ホブゴブリンの態勢が崩れた。
『えっ』
『なんか今ズドンって音した』
『はや』
『まさかレベルアップしてる!?』
『きひ子ちゃんが乗り移った!?』
『おいwwww』
『やめろコーヒー噴いたわwwww』
流れるコメントに意識を割く余裕まではないが、それでも。
奏星は確信した。
細剣を引き抜き、右足を軸に急制動をかけてそのまま回転しつつ、奏星は告げる。
「あーしの因子、ちょーっと熱いよ? ――【
ぐるりと回りながら細剣を振るう奏星が、スキル発動を命じるように力強く叫ぶ。
途端に、奏星の細剣の刀身がオレンジ色に輝いて炎を纏ったまま、空中に軌跡を残しながらぐるりと円を描き、ホブゴブリンの首を斬り飛ばした。
胴体と泣き別れとなった首も、そしてその場に仰け反った態勢のまま動かなくなり、頭を失くしたホブゴブリンの胴体も、直後に炎に包まれ、炭化するように消えていき、奏星が自分の細剣に付着した血を振り落とすように振るった。
つい先程の眩いほどの炎が完全に消え去り、奏星がまじまじと己の細剣を見つめてから鞘へと剣を納めて、振り返る。
「――は? ヤバない? なにコレ、え、ヤバ」
「や、ヤバいと思う……」
『なんだよそれええええ』
『えええぇぇぇ!?!?』
『え、ちょ、カナっちのスキル!?』
『カッコ良すぎ惚れた』
『自分でやっといて驚いてるしww』
『まさか初めてのスキル発動!?』
『スキルは知っていたかのような感覚に陥るからホント不思議』
『魔法剣!? え、カナっち【魔法剣】とかって因子なの!?』
スキルは獲得すると同時に、まるで当たり前に昔から存在していたもののように、手足を動かすようにその使い方と威力が〝理解したもの〟として表れるのだ。
それはレベルアップのタイミングであったり、あるいは戦いの中であったり。
奏星の今のそれは、まさに後者であった。
「え、っと……。え、因子言ってなかったっけ? あーしの因子、【太陽】なんだけど」
『は?』
『なにそれつよそう』
『ちょっと待って』
『聞いたことない』
『未発見因子やんけ!?』
『最近の十代ヤベェな……』
『何それカッケェ』
『隠してなかったん!?』
「え? あー、まあ珍しいし、隠してたっつーか。つか、慣れなかったんよ。なんかあーし、そんな元気いっぱいって感じじゃないっしょ? なのに【太陽】とか言われてもさー。でも、まあいっかなって。だって、ルカもいるし」
「え? なんで私……?」
「だってルカも【月】とかいう意味分からん同士じゃん? 一人だったら変かもだけど、〝
『は? は????』
『月……? あのお星さまの?』
『わー、うさぎさーん』
『あっ、ルナティック……』
『あっ(察し)』
『そりゃそうだわ』
『すげぇ納得しちゃった』
『いやいやちょっと待って太陽と月とか、なんかめっちゃ相性良さそうじゃん!!』
『なんかすごい』
『うん、なんかすごそう。何がかは分からんけど』
『ただ、ルナティックってすっごいしっくりきた』
『正直【狂化】とかかなって思ったけど、なんかいきなり神秘性高めでわろた』
「……ねえ、ルカ。ルカのきひってるアレってルナティックとかの効果なの?」
「え? …………あっ、そ、そう、かな? そう、かも!」
「あっ、絶対違うヤツじゃんこれ」
「っ!?」
直後、コメント欄が大草原になったのは言うまでもない。
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