イレギュラー Ⅰ




「――こんなトコで、死んでたまるか……! 相手になってやんよ!」



 奏星が自らを奮い立たせるような叫び。

 それとほぼ同時に、グレーホブゴブリンが動いた。


 地面を蹴り、人間の速度のそれを超えてくるような、まさに魔物らしい凄まじい身体能力を有した動き。

 奏星から見れば一瞬にして距離を詰めてきたグレーホブゴブリンが、血の滴った長剣を振るう。



「――ッ!」



 反応できたのは、ある意味では運が良かった。

 グレーホブゴブリンはその身体能力とは裏腹に、剣術に特化しているという訳ではない。そのため、動きが大雑把で、無駄があったからだ。


 咄嗟に身体を反りながら魔装を振るい、どうにか切っ先をずらした奏星が、どうにか初撃をやり過ごす。

 コメント欄は阿鼻叫喚といった様相を呈しているが、そんなものに反応している余裕もなく、奏星は今の一撃で悟っていた。


 ――重すぎ……ッ! こんなん、ちょっと深く当たったら終わる!


 先端部分を横合いから弾いた程度。

 ただそれだけだったというのに、酷く重い砂袋か何かを押しのけるような力を込めて、それでどうにか動くという感覚だった。


 ただ、それは無理もないことだ。


 たとえば奏星が男で、身体を鍛えていたのなら、まだもう少し余裕を持てていたかもしれない。

 だが、奏星は女子高生に過ぎず、その腕力はまだ弱い。

 レベルアップによる大幅な強化の恩恵も受けていないが故に、身体能力は一般人のそれとなんら変わることはない。


 ギギギギと奇妙な音を喉から鳴らして、グレーホブゴブリンが奏星に振り返る。

 その口角はつり上がり、真っ赤な目がにんまりと歪んだかと思えば、次の瞬間に振るわれた長剣。

 咄嗟に細剣で弾きながら腕ごと引っ張られるように態勢を崩しかけつつも、奏星がたたらを踏む。


 直後に、再びギギギギ、と喉を鳴らしてグレーホブゴブリンが



「っ、お遊びで痛めつけるとか、最悪じゃん、おまえ。でもま、そうしてくれた方が時間稼ぎには都合もいい、かな」


『さっきの戦犯手伝えよ!』

『逃げやがったのか!?』

『カナっちも逃げて!』

『馬鹿言うな。逃げようとして背中を向けたら即斬られるぞ』

『コイツ、カナっち痛めつけて遊ぼうとしてやがる……』

『救援は!?』

『さっきお知らせ飛んだ! 多分今向かってきてる!』



 救助が向かってくるというのは、朗報だ。

 けれど、たとえ都合良くレベルアップの恩恵を受けた探索者がすぐに見つかったとしても、最上層とは言え数十分はかかるであろうことは目に見えている。


 それだけの時間を耐えきれるかと言われれば、奏星も自信はなかった。

 ただ、耐えれば耐えるだけ、生き延びられる可能性は高まるのだから、耐えるしかないのだ。


 ――攻撃は、無理。体力が保たなくなる。防御に徹して、回避を優先に。受けていいのは、先端を逸らす時だけ。


 はっはっと浅く呼吸しながら、奏星は集中力を研ぎ澄ませてグレーホブゴブリンを見やる。

 命のやり取りらしいやり取りは初めてのことだ。

 だからこそ、想像以上に体力が削られているのが自分でもよく分かった。


 それでも、集中力はいっそ研ぎ澄まされていた。

 僅かな身体の動きも見逃さないように、細心の注意を払う。


 グレーホブゴブリンが動き出して、攻撃を見てから避けるのはほぼ不可能だ。

 身体能力で劣る以上、ある程度は先読みして動き出し、離れた位置で攻撃を受け、力が入りにくい場所を叩いて凌ぐしかない。


 ――来る。


 グレーホブゴブリンが僅かに腕をぴくりと動かして、長剣を振りかぶる。

 同時に奏星は後方に跳んで距離を作りながら、再び細剣を斜めに構えて長剣の先端を受け流すように身体の外へと受け流した。


 そうして奏星がどうにか攻撃を凌いで着地し、改めてグレーホブゴブリンへと顔を向けた。



「――ぇ」



 奏星の視界には、すでにグレーホブゴブリンが自分に向かって再び飛びかかり、長剣を持った右手ではなく、左手の拳を自分の顔目掛けて振るっている姿が目に入った。



「――が……ッ!?」



 たった一撃で、身体が吹き飛ばされ、意識が飛びそうになる。

 視界が揺れて、頬が熱を持ったように熱くて、ビリビリと痺れているような感覚を味わいながら、奏星の身体が力なく倒れ、細剣が手から離れた。



『カナっち!?』

『あぁ、終わった』

『救助まだかよ!』

『やばいってこれ!』



 瞼が下りていても、ARレンズにはコメントが映り込む。

 その数々を、ぼんやりとした意識の中で認識する。


 声を出そうとして、口が動きにくいことに気が付き、力を入れて喋ろうとしたその瞬間、奏星の腹部に鈍い衝撃が走り、吸い込んだ息が一気に吐き出された。



「が、ふ……っ!?」



 グレーホブゴブリンが、倒れ込んだ奏星の腹部を容赦なく蹴り上げたのだ。

 ギヒギヒと、先程よりも興奮しているらしい笑い声のようなものが聞こえる中で、奏星が酷く咳をしながら腹部を押さえて背を丸めた。


 目を閉じていても、ARレンズのコメントは視界に入った。

 そのどれもが奏星を心配していたり、絶望していたりといったコメントで溢れている。


 同時視聴者数は、4桁。

 それはこの異常事態で注目を集めたおかげのもの。

 無様な自分を恥ずべきか、それとも、注目を集めたことに喜ぶべきか、ぼんやりとした意識の中で奏星は迷いつつ、目を開けた。


 笑い声はいつの間にか止んでいて、けれど、グレーホブゴブリンの足は奏星が手を伸ばせば届く位置にあった。

 どうにか顔の向きを変えて顔を見上げれば、にんまりと嗤ったグレーホブゴブリンが、長剣を振り被っているのが見えて、思わず目を剥く。



『コイツ、振り向くの待ってやがった……』

『ぶっ殺せ、コイツ!』

『フザけやがって!』

『あああぁぁ、カナっち!』

『救助頼むよ、救助……!』



 流れるコメントと、グレーホブゴブリンの表情で、奏星はこの状況を初めて理解して、苛立ちと怒り、それと同じぐらいの諦念が浮かぶ。


 ――こんなんで、終わり、かぁ……。


 そんなことを考えたところで、グレーホブゴブリンが嗤いながら長剣を振り下ろして――――



「――きひっ、隙だらけ」



 ――――グレーホブゴブリンが横合いから突然飛び出してきた何かに、ズガン、と激しい音を立てて頭を殴られ吹き飛ばされる瞬間を、奏星は見た。


 唖然とした様子で、奏星は倒れたまま見上げる。

 ジャージ姿のまま、どこか爛々と輝いた目を大きくして、喉から漏れるような笑い声をあげる、その少女の姿を、奏星は、知っていた。



『おおぉぉぉ!?』

『救世主!』

『ジャージ!?』

『え、ってことはこっちもニュービーじゃ!?』

『いや、ニュービーがグレーホブゴブ殴り飛ばせる訳ねぇだろ』



 コメントが凄まじい速度で流れる中で、ただただ奏星はぼんやりとその少女を――流霞を見上げたまま固まっていた。



「――あは……っ、一発で、壊れない。おまえ、強いね」



 ゆらゆらと上体を揺らして、銀色の長い棒を手にしながら流霞が静かに呟いて、そのまま獣のように上体を低くして身構える。



「多分、おっきいってことは、レア、だよね。きひっ、お小遣いゲット……!」



 その姿はしっかりとドローンで撮影、配信されていることに、気付きもしないで流霞は喜ぶ。

 奏星の命を救っただとか、その奇妙な状況を見られているだとか、そんなことは一切構うことなどなく。



『何、あの子』

『なんかすごい笑い方してる』

『いや、でもカナっちが助かった!』

『でもヒーロー感がない気がするのはなんでだろうw』

『なんかヤベージャージの子登場でびびる』

『笑い方がグレーホブゴブより邪悪で草枯れる』



 そんなことをコメントで言われていることも、流霞は知らない。

 ただただ流霞は、まるで狂戦士よろしく再び「きひっ」と奇妙な笑い声をあげると、そのままグレーホブゴブリンへと突っ込んでいった。



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