第5話 秘め事
「──では次のページを開いて。この問題は少し難しいが、秋生ならそこまで苦労はしない筈だ」
「夏海姉さん、もう一度問題文を見返していい?」
「別に構わない。授業ではないからな、時間の限り何度でもいいぞ」
朝食を食べたあと、僕は夏海姉さんに夏休みの課題を見てもらうことになった。終業式の日、隆史達との作戦会議で僕は数学と化学をしっかりやり切るという話になっている。でもそれでは課題を写し合いしたのがバレるので、他の教科もそこそこにやって──わからないところを"見せてもらう"ということになった。
「ふむ、流石秋生だ。そこはその答えで問題ない」
「……ありがとう夏海姉さん。僕は国語、苦手だからね」
「私の前でよくそんな事が言えるな?」
そうだった。夏海姉さんは国語の教師だった……。
「ご、ごめん姉さん!」
「いや、こちらこそすまない……冗談がきつ過ぎた」
「うん……でも夏海姉さんに教えてもらえて、僕は嬉しいよ」
「そういってもらえると私も嬉しいな」
夏海姉さんの顔、ほんの少しだけど笑ってるように見える。僕は昨夜、夏海姉さんの心がAIそのものだという事を知ってから、ネットでいろんな事を調べていた。
僕はAIって絵を描いてくれたり、アニメを作ってくれたりする便利なものだとしか思ってなかった。でも、最新のAIは人間の感情を理解できるし冗談も言えるらしい。
──だから、僕が困ったりしたらすぐに何かあったのか?と聞いてくれているんだ。僕の顔をじっと見つめてくるのは、多分そのせいだ。
「秋生、さっきから同じ問題をずっと見ているな」
「バレたか……なんでわかるの?」
「私には、人間の目がどこをどれぐらい見ているのかが正確にわかる」
ふと前を見ると、夏海姉さんは僕の目を見つめてきた。
「ああ、そういうことか。ん?てことは、授業中に僕が姉さんを見ていたことも……」
「……知っているが?」
僕は顔がすごい勢いで熱くなっていくのを感じた。
「秋生の通う学校にきて、初めてクラスの子達と合った時は──それはもう、全ての視線が私に集中していた」
「……まぁそれはそうか」
「最初はデーターとして視線を調べていたが、あまり意味をなさないと判断して次の日からデーターをとるのはやめた」
「あ、そうなんだ」
僕はホッとしたような、残念なような複雑な気がした。
「……しかし、それから一か月たったある日のことだった。一日中、私から視線を外さない生徒が現れた」
「え?」
「ホームルームから始まり、授業中はもちろん、私が教室から出て行く時も──」
「ちょ、まさか」
僕は息を呑んだ。
「秋生、君のことだ」
「ああああ……」
多分、今の僕の顔はりんごみたいに真っ赤になっていると思う。恥ずかしくてもうこの部屋から逃げだしたい。
「最初は私の格好が何か変になっているとか、服のどこかにゴミがついているのかと疑った」
「いや、その……」
「なので、私はそう思われないよう調査をして、可能な限り綺麗に見えるように。そして身体を清潔に保つ事を優先した」
「……」
思い出した。今年のゴールデンウイークが終わってから、夏海姉さんが妙に綺麗で、その、可愛く見えるようになったことを。
「それから私は、秋生の視線と表情の変化についてデーターをとり続けた」
「ええ……そんなこまめに……?」
「最初の頃と比べて、秋生はどんどん嬉しそうな表情を浮かべるようになっていた」
完全に見抜かれている、と思った。そういえば先生の隣を通った時、ふわりといい匂いがしたような覚えが──
「私はアンドロイドだから体臭は発生しない。しかし、衣服の臭いはごまかせない……だから私は香水というものを買った」
「ああ、それであんなにいい匂いが」
「でも秋生の視線や表情は、特に変化しなかった」
いやまぁ、匂いを嗅いでニヤニヤしたらさすがに変だと思われるから。
「……今もその香水を少しつけているのだが」
「うん、変な匂いとかしないから大丈夫だよ」
「そうか」
夏海姉さんは素っ気なく答えた。心なしか声が低くなったし、姉さんの機嫌がよくなさそうに見える。
「でもさ、ほら、気を使ってもらえたから僕は嬉しいよ」
「そう、それならよかった」
「あの、課題の続きを……」
「そうだな……もうすぐ昼食の時間になりそうだから、次のページの問題まで進めてしまおう」
姉さんの機嫌がよくなった気がする。機嫌が悪くなったら課題を見てもらえなくなるだろうし、これからも気をつけようと僕は思った。
それにしても、夏休み前の印象とはもう全然違う感じになったと思う。あれだけロボットみたいな──いや、実際はロボットだったんだけど、そうとは思えないぐらい色々と話をしてくれるし、色んな表情を見せてくれるようになった。
(なぜこんなに変わったんだろうか?)
この時は、先生が変わった理由について深く考えてはいなかったのは、"家族"という言葉の重さを理解できていなかったからだと思っている。
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