第37話:心眼、風を捉える

 目を閉じたまま、俺は静かに構えた。


 周囲では、仲間たちが必死に風の暗殺者の攻撃を防いでいる。だが、彼らも長くは持たないだろう。


 風が動く。空気が震える。


 来る。―――左後方!


 俺は、振り向き様に左の裏拳を放った。それは、まるで風そのものを殴りつけるかのような、虚空への一撃。


 しかし、その拳が、確かな手応えを捉えた!


「!?」


 驚愕の声と共に、風の中に隠れていた暗殺者の姿が、一瞬だけ実体化した。俺の裏拳が、その仮面を僅かに打ち据えている。


 暗殺者は、すぐに体勢を立て直し、再び風に紛れて姿を消そうとする。

 だが、俺はもう、その気配を見失わない。


 ―――右前方、低く!


 俺は、低い姿勢からの蹴り上げを放つ。つま先が、高速で移動する暗殺者の足を掠めた。


「くっ……!」


 バランスを崩した暗殺者の動きが、ほんの一瞬だけ鈍る。


 (……見えた!)


 俺は、目を開いた。


 もはや、視覚に頼る必要はない。俺の感覚は、風の流れと同調し、相手の動きを完全に捉えていた。


 風のように駆け、風のように斬る。それが相手の戦い方ならば、俺は、その風そのものを掴み取る!


 俺は、暗殺者の次の攻撃――俺の首筋を狙った、風刃の投擲――を、あえて真正面から受け止めるように踏み込んだ。


 左手で、飛来する刃を掴み取る! 鋭い痛みが走るが、構わない。


「なっ!?」


 暗殺者は、自分の武器が素手で掴まれたことに、信じられないという表情を浮かべた(仮面越しにそう見えた)。


 俺は、掴んだ刃を力任せに引き寄せ、相手の体勢を強引に崩す。

 そして、がら空きになったボディへ、渾身の左膝蹴りを叩き込んだ!


「かはっ……!」


 暗殺者は、くぐもった悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。仮面がずれ、素顔の一部が覗く。若く、整った顔立ち。銀に近い、淡い翠色の髪。


 俺は、倒れた暗殺者に近づき、その仮面を剥ぎ取った。


 現れたのは、エルフのように尖った耳を持つ、美しい少女の顔だった。歳は、エリアと同じくらいだろうか。その瞳には、敗北の悔しさと、俺への畏敬、そして強い困惑が浮かんでいた。


「……なぜ……私の動きが……読めたの……?」


 少女は、か細い声で尋ねてきた。


「お前の動きは速い。だが、風には流れがある。お前はその流れに乗って動いているだけだ。流れを読めば、お前の動きも読める」


 俺は、淡々と答えた。実際には、そんな簡単なことではなかったが。


 俺の言葉を聞き、少女は目を見開いた。


「風を……読んだ……? そんなこと……できるはずが……」


 彼女は、俺のことを、まるで理解不能な怪物を見るかのように見つめていた。


「姐さん、すげぇ! 目ぇ瞑ってたのに、見えてるみてえだった!」


 ゴルドーが興奮して叫ぶ。


「……視覚以外の感覚で、相手の動きを捉えた……? まさに神業ですわ」


 エリアも感嘆の声を漏らす。


「ほっほっ。心眼、というやつかのう。面白いものを見させてもらったわい」


 ジン爺さんが、満足げに頷いた。


 俺は、そんな仲間たちの反応は無視し、倒れた少女を見下ろした。


「……誰に雇われた? なぜ俺を狙う?」


 少女は、唇を噛み締め、答えない。暗殺者としての矜持があるのだろう。


 (……まあ、無理に聞き出す必要もないか)


 俺は、こいつをどうするか、少し考えた。

 殺すつもりはない。だが、このまま放置もできない。


 そんな俺の思考を読んだかのように、少女は言った。


「……殺しなさい。任務に失敗した私に、生きる価値はない……」


 その瞳には、諦めの色が浮かんでいた。


 俺は、ふん、と鼻を鳴らした。


「馬鹿馬鹿しい。死ぬか生きるかは、お前が決めることじゃない。俺が決める」


 そして、思いもよらない提案を口にした。


「……お前、強いな。特に、そのスピードは面白い。俺の仲間にならないか?」


「「「「「「はぁ!?」」」」」」


 少女本人と、俺以外の仲間全員の声が、高原に響き渡った。

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