欲望水系

しげぞう

第1話

1、

 御禁制ごきんせい阿片窟あへんくつに官憲が踏み込んできたとき、折悪しくタルスがその場に居合わせたのは、まったくの偶然である。

 朋友にして悪友の傭兵レセトが、賽子さいころ賭博とばくでこしらえた貸金かしきんを取り立てんと、借り主の居場所を突き止めた。マーゴという名の借り主は船乗りで、おかに居るあいだは、港町ワーデンの悪所に入り浸っているという。何のことはない、レセト自身が借金をして返済に困り果てた挙げ句に、三月みつき前の貸金を思い出した。そこで勇んで駆けつけるにあたり、タルスに助力を求めたのである。タルスは火酒ひと壜で、これを引き受けた。

 阿片窟は、ごみごみと窮屈な港町の、さらに小狭い路地裏にあった。生臭い潮の香りと、えたような異臭の混ざり合う薄汚れた一廓で、道はぬかるみ、通りに面した建屋はどれもこれも傾いでいた。その建物は、一見うち棄てられたしもた屋のようであった。だが壊れた木の扉を避けてなかに入ると、たちまち室内の暗がりから、屈強な大男が現れた。

 男はレセトと同じく黒絹のような肌の持ち主であったが、上背のあるレセトよりも、さらに大きかった。本来ならば、この門衛なり用心棒なりに、銀貨を掴ませて入場するのであろう。しかし、そんなことに使うぜにがあるなら、貸金の取り立てに来たりなどしない。

 タルスとレセトは、目配せなどせずとも、息の合った当意即妙の対応を見せた。レセトが同じ南方出の気安さで話しかけ注意を逸らせているうち、タルスが男の鳩尾みぞおちに鉄拳を見舞った。ひゅっと息を吐いて男は、瞬く間に昏倒した。男が見かけ倒しだったのではない。タルスは、遠くヴェンダーヤの苦行僧が編み出した邪行をくする。呼吸法によって、躯をくろがねの如く変じさせることができたのである。

 二人は、難なく部屋の隅の床に、揚げ戸を探り当てた。隠し扉だ。引き揚げると、四角い穴に梯子はしごと変わらぬ急な階段が据え付けてあった。

 地下室へ降りるにつれ、ムッとするような人熅ひといきれと、独特の臭気が押し寄せてきた。

 まばらに床に置かれた蝋燭が、ぼんやりと地下室を浮かび上がらせていた。そこは、天井の低い暗鬱な場所だった。四方の壁際に、船で乗組員が使うような、二段に重なった簡易な寝台が並んでいた。寝台のひとつひとつに、客が寝転がっている。横になりながら煙管で阿片を吸っているようだった。寝台は薄布で仕切られており、紗幕越しには、不気味な影法師が蠢いていることしかわからない。

 部屋の中央付近には、籐製とうせいの寝椅子が数脚、雑多に置かれていた。その上で客が、半ば転がり落ちそうな体勢で、夢幻境をさ迷っている。

 レセトが、夢見心地のマーゴを目ざとく見つけた。いかにも船乗り然とした短衣姿である。その襟首をむんずと掴み、寝椅子から引き剥がした。

「おい、マーゴ! 俺だ、分かるか?」

 レセトは力任せに揺すって怒鳴りつけたが、マーゴの反応はかんばしくなかった。もごもごと口の中で答えるも、呂律が回っていない。

「しっかりしろ、おい!」

 レセトは容赦なく頬を張った。乾いた破裂音が弾けた。それでも、鬼神の如く恐れられる傭兵団の副隊長にしては、手加減したほうだろう。だがやはり、マーゴの返事は、まったく意味をなさないものだった。このニダミル人船員は、まだ三十そこそこなのに、濁った眼と、老人のように水気のない肌をしている。どれくらいの期間かは知らぬが、寝食を忘れて酩酊し続けたに違いない。

「無駄足だったようだな」

 タルスはレセトの肩に手をかけた。これ以上続けても、有意なやり取りができるとは到底思えぬ。銭の回収は、諦めたほうがよさそうだ。

「別の方途を考えろーー」

 帰りを促したとき、階段の辺りがにわかに騒然となった。勢いよく階段下に降り立った男が、刀身の短い舶刀はくとうを抜き放つ。男は怒声を張り上げた。

「ザン=ムウ王府の捕方とりかたである! 誰も動くな! ばくくのだ!」 

「不味い。不味いぞーー」

 レセトが目を剥いた。

「クソッ!」

 タルスも毒づいた。揃いの鉄紺てっこん色の装束で、ワーデンを統治する司政官の配下だと気づいたのだった。間が抜けているにもほどがある。手入れの気配があれば、察知した見張りが、上の用心棒に報せる手はずになっていたのだろう。いま生憎と用心棒は夢の中だ。タルスとレセトのせいで。

 マーゴになど構っているいとまはなかった。二人は周章てて部屋中を見渡すが、廃人のような吸引者がいるだけで、抜け道の類いはありそうもなかった。いや、あるのかも知れぬが、それを探す時間がない。あっという間に、どたどたと、武装した一団が乗り込んできた。

 ここに至ってタルスは、一旦、抵抗を諦めた。出入口はひとつしかなく、しかも極めて狭い。かててくわえて地下室は、おびただしい捕方で埋まっている。捕方どもはみな白刃を煌めかせ、槍衾やりぶすまのように切先を此方に向けている。タルスは勇猛ではあるが無謀ではなかった。

 両手を挙げるとタルスは、その場に膝立ちになった。

 

2、

 喫水の浅い木舟は、キラッド河を遡上していた。

 河水は、大量の土砂が注ぎ込んだ影響で茶色く濁っており、流れが緩やかなのも相まって、どちらが川上でどちらが川下なのか判然としなかった。泥の絨毯に乗っているようだ。払暁に河口近くのワーデンから出発したので、舳先が上流を向いていると知れるだけである。

 両岸は深い密林で、緑が鬱蒼と生い茂っている。河幅が広いため、密林には距離があったが、タルスはそれを内心喜んだ。ここいらの密林には、血に餓えた吸血蛭きゅうけつびるや、水牛をも殺すという毒花、多節で肉食の蟲などが、うようよいる。どう考えも近づきたい場所ではなかった。

 ナイフのように細長い船体には、後ろ手に手鎖付きで、タルスら囚人が並ばされていた。囚人は全部で十人で、三艘に分けて乗せられている。つまり一艘に、囚人が三名いて、それに武装した兵士二名とこぎ手二名が加わるのである。むろん、監視の兵士とこぎ手相手に大暴れして、舟から脱出することは可能であろう。だが、キラッド河の鰐は獰猛で知られているし、密林に逃げ込む筋書きは先の理由でゾッとしない。

 とはいえーー。

(このまま家禽よろしく、屠殺場に出荷されるくらいなら、いっそ、思い切ってやっちまうか……)

 密林の生温なまぬるい空気に辟易しながらタルスは、胸のうちで呟いた。どうにも厭な予感がしてならない。超自然の感覚に疎いタルスではあるが、これはどちらかといえば、動物的な危機回避の本能である。このまま連れていかれるのは、非常にまずい気がする。

「おい、妙な決断をするなよ」

 見透かしたようにレセトが、背後で囁いた。鰐と戯れるのは、お気に召さないのだろう。レセトが使用したのは、盗人が用いる特殊な声音こわねで、限られた範囲にしか届かない。聞こえているのはおそらく、タルスだけだろう。

 タルスは勢いよく頭を反らせた。ゴツッと鈍い音がした。監視兵が一瞬、視線を寄越したが、すぐに元の姿勢に戻った。

「っ痛う……わかった。悪かったよ。俺が巻き込んだんだ。おぬしが逃げたいのであればつき合うさ。だが、まあ聞け。ここらで宝石が採れることは、知っているな?」

 話題が思わぬ方面に及び、タルスは思いがけず耳をそばだてた。ワーデンを含むキラッド河の流域は、ザン=ムウ王国の版図である。そしてザン=ムウ王国は、南大陸で随一の宝石算出量を誇っているのだった。

「前に話したろう。ザン=ムウの鉱山は厳重に秘匿されていて、異国人とつくにびとにはまったく窺いしれないと。で、これは俺の予想だが、囚人たちが連れていかれるのは、宝石の採集場じゃないかと思う……」

 その噂は、タルスも以前、耳にしたことがあった。ザン=ムウの国土の大半を占める密林のどこかに、秘密鉱山があって、そこで大量の宝石が採掘されているという話だった。採掘や選鉱に、咎人や謀叛人が従事させられているとも。

 レセトは見かけによらず博識で、各国の諸事情にも通じている。そのレセトの推察には、一定の説得力が感じられた。

「こんなところでずぶ濡れになるよりも、鉱山の方が逃げやすいだろう。それに、行き掛けの駄賃に、大ぶりな宝石いしをいただくのも悪くないだろ?」

 そんなに首尾よく行くかはわからない。が、確かに鰐と水遊びするよりはましかもしれない。タルスはにやりと嗤うと、縛められた後ろ手で、許諾の意思を示したのだった。

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