欲望水系
しげぞう
第1話
1、
朋友にして悪友の傭兵レセトが、
阿片窟は、ごみごみと窮屈な港町の、さらに小狭い路地裏にあった。生臭い潮の香りと、
男はレセトと同じく黒絹のような肌の持ち主であったが、上背のあるレセトよりも、さらに大きかった。本来ならば、この門衛なり用心棒なりに、銀貨を掴ませて入場するのであろう。しかし、そんなことに使う
タルスとレセトは、目配せなどせずとも、息の合った当意即妙の対応を見せた。レセトが同じ南方出の気安さで話しかけ注意を逸らせているうち、タルスが男の
二人は、難なく部屋の隅の床に、揚げ戸を探り当てた。隠し扉だ。引き揚げると、四角い穴に
地下室へ降りるにつれ、ムッとするような
まばらに床に置かれた蝋燭が、ぼんやりと地下室を浮かび上がらせていた。そこは、天井の低い暗鬱な場所だった。四方の壁際に、船で乗組員が使うような、二段に重なった簡易な寝台が並んでいた。寝台のひとつひとつに、客が寝転がっている。横になりながら煙管で阿片を吸っているようだった。寝台は薄布で仕切られており、紗幕越しには、不気味な影法師が蠢いていることしかわからない。
部屋の中央付近には、
レセトが、夢見心地のマーゴを目ざとく見つけた。いかにも船乗り然とした短衣姿である。その襟首をむんずと掴み、寝椅子から引き剥がした。
「おい、マーゴ! 俺だ、分かるか?」
レセトは力任せに揺すって怒鳴りつけたが、マーゴの反応はかんばしくなかった。もごもごと口の中で答えるも、呂律が回っていない。
「しっかりしろ、おい!」
レセトは容赦なく頬を張った。乾いた破裂音が弾けた。それでも、鬼神の如く恐れられる傭兵団の副隊長にしては、手加減したほうだろう。だがやはり、マーゴの返事は、まったく意味をなさないものだった。このニダミル人船員は、まだ三十そこそこなのに、濁った眼と、老人のように水気のない肌をしている。どれくらいの期間かは知らぬが、寝食を忘れて酩酊し続けたに違いない。
「無駄足だったようだな」
タルスはレセトの肩に手をかけた。これ以上続けても、有意なやり取りができるとは到底思えぬ。銭の回収は、諦めたほうがよさそうだ。
「別の方途を考えろーー」
帰りを促したとき、階段の辺りがにわかに騒然となった。勢いよく階段下に降り立った男が、刀身の短い
「ザン=ムウ王府の
「不味い。不味いぞーー」
レセトが目を剥いた。
「クソッ!」
タルスも毒づいた。揃いの
マーゴになど構っている
ここに至ってタルスは、一旦、抵抗を諦めた。出入口はひとつしかなく、しかも極めて狭い。かててくわえて地下室は、おびただしい捕方で埋まっている。捕方どもはみな白刃を煌めかせ、
両手を挙げるとタルスは、その場に膝立ちになった。
2、
喫水の浅い木舟は、キラッド河を遡上していた。
河水は、大量の土砂が注ぎ込んだ影響で茶色く濁っており、流れが緩やかなのも相まって、どちらが川上でどちらが川下なのか判然としなかった。泥の絨毯に乗っているようだ。払暁に河口近くのワーデンから出発したので、舳先が上流を向いていると知れるだけである。
両岸は深い密林で、緑が鬱蒼と生い茂っている。河幅が広いため、密林には距離があったが、タルスはそれを内心喜んだ。ここいらの密林には、血に餓えた
ナイフのように細長い船体には、後ろ手に手鎖付きで、タルスら囚人が並ばされていた。囚人は全部で十人で、三艘に分けて乗せられている。つまり一艘に、囚人が三名いて、それに武装した兵士二名とこぎ手二名が加わるのである。むろん、監視の兵士とこぎ手相手に大暴れして、舟から脱出することは可能であろう。だが、キラッド河の鰐は獰猛で知られているし、密林に逃げ込む筋書きは先の理由でゾッとしない。
とはいえーー。
(このまま家禽よろしく、屠殺場に出荷されるくらいなら、いっそ、思い切ってやっちまうか……)
密林の
「おい、妙な決断をするなよ」
見透かしたようにレセトが、背後で囁いた。鰐と戯れるのは、お気に召さないのだろう。レセトが使用したのは、盗人が用いる特殊な
タルスは勢いよく頭を反らせた。ゴツッと鈍い音がした。監視兵が一瞬、視線を寄越したが、すぐに元の姿勢に戻った。
「っ痛う……わかった。悪かったよ。俺が巻き込んだんだ。おぬしが逃げたいのであればつき合うさ。だが、まあ聞け。ここらで宝石が採れることは、知っているな?」
話題が思わぬ方面に及び、タルスは思いがけず耳をそばだてた。ワーデンを含むキラッド河の流域は、ザン=ムウ王国の版図である。そしてザン=ムウ王国は、南大陸で随一の宝石算出量を誇っているのだった。
「前に話したろう。ザン=ムウの鉱山は厳重に秘匿されていて、
その噂は、タルスも以前、耳にしたことがあった。ザン=ムウの国土の大半を占める密林のどこかに、秘密鉱山があって、そこで大量の宝石が採掘されているという話だった。採掘や選鉱に、咎人や謀叛人が従事させられているとも。
レセトは見かけによらず博識で、各国の諸事情にも通じている。そのレセトの推察には、一定の説得力が感じられた。
「こんなところでずぶ濡れになるよりも、鉱山の方が逃げやすいだろう。それに、行き掛けの駄賃に、大ぶりな
そんなに首尾よく行くかはわからない。が、確かに鰐と水遊びするよりはましかもしれない。タルスはにやりと嗤うと、縛められた後ろ手で、許諾の意思を示したのだった。
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