第8話 あの人は、夢の中で泣いてた気がする




咲耶さんが、学校の帰り道でわたしを待っていた。


制服のまま、コンビニの前でアイスを片手に、こちらに気づくと笑ってみせた。


「綾音ちゃん。ちょっとだけ、話そっか。……夢の話でも」


アイスの棒をくるくる回しながら、咲耶さんはそんな風に言った。



近くの公園のベンチに座って、咲耶さんは自分の鞄から、古びたメモ帳を取り出した。


表紙は擦り切れていて、角はめくれ、ページの隙間には昔の空気が詰まってる。


「これね、わたしが高校のときに書いてた。ちょっとした……記録?」


「夢の、ですか?」


「うん。いや、夢かどうかは、わかんないんだけど……でも、現実って言い切れない。そういう時間」


咲耶さんは笑ってたけど、目の奥が揺れていた。

過去を思い出すときの、大人の顔だった。



「……その頃ね、大事な子がひとり、いなくなったの」


ぽつりと咲耶さんが呟いた。


「誰かが“夢を見ている間に消えた”って言ってたけど、だれも信じなかった。

ただの家出、ってことになった。大人はそういうの、好きだもんね」


「その人……戻ってきたんですか?」


「わたしの前には、ね。──でも、“戻ってきたように見えるだけの誰か”ってこともある」


風が、ページを一枚めくった。

そこには走り書きで、こう書かれていた。


『夢み坂は、雨の夜に開く。

珈琲の香りが鍵。

入るのは簡単。帰るのは、運次第。』


「お姉ちゃん、たぶん──もう、そこに行ったんです」


わたしが言うと、咲耶さんは少しだけ視線をそらした。


「うん。そうかもしれへん」


そして、小さな声でこう続けた。


「……でもな、綾音ちゃん。ほんまに怖いのは、“行ったまま帰ってきた人”やで」


「え?」


「戻ってきたって思っても、ちょっとずつ違う。声のトーンとか、歩き方とか、考え方とか……。

それでも気づかれへんくらい、少しずつずれてるねん」


「……お姉ちゃんが、今そうかもってことですか?」


「ううん。お姉ちゃんは、まだ間に合う。

だってあんたが、ここにおるから」


咲耶さんはそう言って、わたしの肩をポンと軽く叩いた。



帰り道。ふと振り返ると、空が真っ黒な雲に覆われていた。


ポツ、ポツ、と雨が降り始めた。

手に持っていたアイスのカップが、雨粒を受けて小さな音を立てる。


ポタ……ポタ……。

まるで、何かの涙みたいだった。


わたしは鞄の中を開けた。

さっき、咲耶さんがそっと入れてくれたメモ帳が、そこにあった。


表紙の裏には、走り書きのように、ひとことだけ。


『あの人は、夢の中で泣いてた気がする』


誰のことだろう。


咲耶さん?

お姉ちゃん?

……それとも、もう帰ってこなかった“誰か”?


ページの端が、雨に濡れて少し滲んだ。


でも、滲んだその下に、新しいページが見えた気がした。



《To be continued…》

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