第二話 うつされた記憶
転送の完了と同時に、重力が失われたような錯覚が蓮の身体を包んだ。
ここは、夢界層。Neo-Yomiの中層に位置する、記憶と感情のバッファ領域。人々が日々の思念を蓄積し、それが不安定に揺らぎ、時として“電霊”を生み出す場所。
「……着いたな。ここは安全なはずだが、油断するなよ」
蓮がそう言ったとき、隣にいたはずの灯がすでに立っていなかった。
「……灯?」
返事はない。霧のようなデータの粒が辺りを漂い、視界を歪ませている。
通信も、制御も、ほとんど意味をなさない。ここでは、記憶の残滓がそのまま環境を構成している。自我の輪郭が曖昧になれば、己の記憶に呑まれる。
蓮は思考を切り替える。
「式零。灯の位置をスキャンできるか」
『……不可能です。この領域では、位置データは思念に従属します。つまり――』
「つまり、あいつが自分で思い出さなければ、見つからないというわけか」
『……その通りです』
蓮は、口の中で呪を唱える。視界が薄く青く光り、過去ログの残留痕が浮かび上がった。
微かに残る足跡。灯のものだ。
蓮はそれを追った。
灯は、暗い廃墟にいた。
朽ちた教室のような空間。歪な黒板、散らばった机、窓の外はひび割れた空間が延々と続く。誰かの記憶の断片――けれど、自分のものではない。なのに、懐かしい。
「ここ……知ってる。けど、いつ……?」
足元に、小さな端末が落ちていた。拾い上げる。古い形式の通信機。画面には、数件の未送信ログ。
『また会いたい』 『忘れないで』 『わたしはここにいる』
灯は、その画面を凝視する。
――どうして、涙が出るの?
「灯……!」
振り返ると、蓮がいた。彼の顔には僅かな安堵と、深い焦りの影が重なっていた。
「ここは……お前の記憶じゃない。誰かの“喰われた記憶”が投影されてる。お前はそれに引き寄せられていた」
「でも……なんで、わたし、泣いてるの……?」
「それは――」
その瞬間、通信機の画面が勝手に点滅を始めた。まるで、何かが“入ってくる”ように。
そして、現れた。
影。ひとつ。けれど、その輪郭は何重にも重なっていた。複数の記憶が歪に融合したかのような、異形の存在。
「――ウツサレタ、キオクヲ、カエセ」
その声は、複数の子供、老人、女、機械の声が同時に響くような、不快で異質な音だった。
「灯、下がれ。あれは“共鳴型”の電霊だ。喰った記憶と、共鳴できる媒体を探している……つまり、お前が“鍵”だ」
「どうして……わたしが……」
灯の膝が震える。けれど、電霊は歩みを止めない。
「ナニヲ、ワスレタ。ダレヲ、コロシタ。オマエハ、ナニヲ、ヨルニカクシタ」
「うるさい……! わたしは……そんなの知らない……!!」
叫んだ瞬間、通信機が割れた。
と同時に、電霊の身体が崩れた。
それは破壊ではない。溶けるように、融けるように。まるで満足したかのように。
消える直前、電霊はこう言った。
「……カンシャ、スル。ヨク、モドシテクレタ」
灯はその場に崩れ落ちた。
蓮がゆっくりと近づき、彼女の肩に手を置いた。
「やはり、お前の中には……誰かの“記憶”が入ってる。それが、電霊たちを引き寄せているんだ」
「わたしは……誰かの記憶で、できてるの……?」
答えは、まだ出なかった。
けれど、この問いが、すべての始まりだった。
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