第3話 あこがれ

そいつがクモだと分かったときはもう遅かった。例えもう少し早く気付いたとしても、今のオレには抵抗する力は全く残っていなかった。そいつは、レスキュー隊のような訓練された素早さでオレの体にグルグルと糸を巻きつけた。


「あのさ」


 と一応話しかけてみるオレ。


 クモは「あれ?生きてたの?」と言わんばかりに驚いて後ずさった。


「オレ、どうなるの?」


 糸でグルグルにされていても一応状況の確認をしてみる。


「あ、ハイ、自分は職務を追行したまでで、そちらさまを回収してございます。」


 クモ吉はまさかのウキウキ笑顔で訳の分からない敬語で訳の分からない回答をした。


「それで回収されたらオレはどうなるの?」


 我ながら幼稚園児並みのバカみたいな質問を繰り返した。


「あ、ハイ、それはちょっと回収してみない事には・・・この職務は自分が自信と誇りを持って全うしています。いつも責任を持って行っております。」


 やっぱり言葉通じない系だ、世代の違い?とにかくクモ吉の存在はオレを余計に疲れさせた。


「はい!ゴー!シュート!」


 クモ吉はいきなり真剣な表情で力強く号令をかけると、数ある足のうちの1本だけをクルクルとまわした。上へ引き上げる合図のようだ。オレはなす術もなく上に持ち上げられていく。回収されたらどうなるのか何となくわかってはいた。オレはクモ吉の餌食になったのだ。こんなことならゴキ集団に飲み込まれたほうが良かったか、いやクモ吉の餌食の方がまだマシか・・オレは不毛な問いを自分自身に投げかけながら、朝日で薄明るくなっていく空をぼんやりと眺めていた。




 クモ吉のご立派な家が近づいてきて、もはやこれまでかとあきらめかけた時、奴は颯爽と現れた。上質で厚みのあるボディー、広げた羽は存在感を放ち、頭上の角は王冠のごとく輝いていた。


 奴は、すばやくオレの糸を断ち切ると同時に、鮮やかな身のこなしで旋回した。オレはグルグル巻きのまま落下しかけたが、瞬時に奴がオレの体に巻き付いていた糸を引き、そのまま空へ舞い上がった。オレは浴衣の帯を引っ張られた花魁のごとく「あ~レ~」とクルクル回った。空中で自由になったオレはそのまま自慢の羽をパッと開いてやった。まるで宴会芸だ。


 


 しばらく、奴とのツイン飛行を楽しんだ。奴の羽は素晴らしい重低音を鳴らしながら大空を駆け巡る。オレも負けじと自慢の羽をばたつかせてみたが、どう頑張ってもカラカラとした安っぽい音しかたてられず、奴がハーレーならオレはポケバイといったところだった。生まれの違いをまざまざと見せつけられたようで、オレは黙って地面に着地した。奴もオレを追って地面に着地する。そのしなやかな動きに思わず見とれてしまった。


「大丈夫か?」


 ハーレーが心配そうに聞いてくる。


「ああ」


 としか答えられないオレ。


「良かった」


 奴はこれ以上にないさわやかな笑顔をオレに向けた。


「見てみろよ。すごくいい景色だぜ。」


 完璧なうえに性格もいいなんて、ひどすぎる。


「なんで助けてくれたんだい?」


 違う!こんなこと言いたいわけじゃないのに・・・全てにおいて完璧すぎる奴の存在がオレをイライラさせた。助けてもらったお礼すら言えない。自分が嫌になる。


「助けない方が良かったか?」


「いや、そんなことないけど、オレなんて、どうせゴキブリだし。」


 劣等感むき出しの自分が惨めだった。


「ゴキブリが嫌いなのか?」


 完璧王子はさわやかな顔で残酷な質問をしてくる。


「そりゃカブトムシのがいいに決まってるでしょ?」


 天然にもほどがあるだろと逆切れしそうになる。


「どうして?」


 それ聞いちゃう?オレに言わせちゃう?オレは半ばヤケクソ気味で答えてやった。


「どうしてって、かっこいいし人気者だし、木の蜜なんか吸っちゃってるし・・とにかく、あんた見てると世の中って不公平だなって思うよ。」


「ふーん」


 奴はしばらく考えてから言った。


「人気者って言ってもいいことなんて何もないよ。特に人間に見つかって、つかまったら最後だ。透明な檻に入れられて、出られなくなる。自由がなくなるんだ。毎日、甘い食べ物はくれるけど、自由に飛べることはもうない。足にひものようなものをつけて飛ばされたり、たまに檻から出されて他の生き物と戦わされたりする。戦いたくもないのにだ。」


 奴の意外な言葉にオレは戸惑った。


「あんたも捕まったことあるのか?」


 我ながらアホな質問だ。


「いや、オレは捕まってはいない。俺の仲間から聞いた話だ。」


 そう言った奴の顔は悲しげだった。


「そうか・・人気者でも案外いいことばかりじゃないんだな。」


 ただ羨ましがっていただけの自分が少し恥ずかしくなった。


「そうゆうこと。君は自由で寿命も俺たちより長いし、たくさん楽しめるじゃないか。」


 まじめな顔で奴は続けた。


「オレは世の中、不公平なんてことはないと思っている。世の中不公平だと言う者は、自分の視点でしかものを見てないだけさ。絶対みんな何かしら問題を抱えているし、一見問題なさそうに見える者も、歯を食いしばって隠しているだけさ。それに、たとえ今は幸せでも、次の瞬間は変わってしまうかもしれない。人生トータルで考えるとね、みんないい時も悪い時もあるということさ。」


そう言うと、奴は俺の方を見て、


「それから逆にね、絶対誰しも他の人にはない自分の宝を持っている。」


と力強く言った。


「宝?」


「そう、それを見つけることが幸せへの近道さ。」


そう言って奴はオレにウインクして見せた。オレは完璧に奴にノックアウトされたが、悪い気分ではなかった。


「少し眠るといい。」


言葉もタイミングも完璧だった。


「そうだな。」


空はすっかり明るくなっていた。苦手なはずの日の光でさえ今日のオレには心地良く感じる。朝日を見つめながらオレは前世の記憶が少しずつ薄れていくのを感じていた。

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