万能能力者(デュアルホルダー)
暁ノ鳥
第1話 平穏への祈り
けたたましい電子音が、意識を浅い眠りの底から引きずり出す。
「……うるさい」
枕元のスマートフォンを手探りで掴み、アラームを止める。
時刻は午前七時。
世間一般で言うところの、健全な起床時間というやつだ。
のろのろとベッドから起き上がり、カーテンを開ける。
眩しい朝日が容赦なく部屋に差し込んできた。
「……眩しっ」
思わず目を細める。
この安アパートには遮光カーテンなんて洒落たものは付いていない。
まあ、どうでもいいことだが。
クローゼットから適当なパーカーとジーンズを取り出す。
寝癖のついた黒髪を手櫛で軽く整え、顔を洗う。
鏡に映るのは、我ながら特徴のない、どこにでもいそうな高校生の顔だ。
それでいい。
それがいい。
今日も一日、空気のように、石ころのように。
誰の目にも留まらず、何事もなく過ぎ去りますように……。
朝食はトースト一枚と牛乳。
トースターに入れるのが面倒で、食パンをそのままかじる。
行儀が悪い?
知ったことか。
誰も見ていない。
牛乳パックを冷蔵庫から……ほんの少しだけ念動力で手元に引き寄せ、すぐに掴み直す。
……いかんいかん。
癖になってるな。
この力は、隠さなければならない。
魔法と超能力。
二つの、この世界ではありえないはずの力を持ってしまった俺にとって、平穏とは何よりも優先すべきものなのだから。
家を出て、高校までの道を歩く。
平凡な住宅街。
平凡な通学路。
このありふれた風景が、俺にとってはなによりも尊い。
「あ、霧矢くーん! おはよー!」
背後から、やけに明るい声が飛んできた。
振り返るまでもない。
クラスメイトで学級委員長の、天野光(あまのひかり)だ。
うわ、来た……朝から元気なやつ……。
内心でげんなりしつつ、当たり障りのない表情を作る。
「……ん。おはよう、天野さん」
「もう、またそんな元気ない声出して! 朝ご飯ちゃんと食べた?」
彼女は快活な笑顔で隣に並んでくる。
小柄なくせに、妙に存在感があるというか、圧があるというか。
「……まあ、それなりに」
嘘は言っていない。
食パンは食べた。
「そっか! 今日は小テストあるからね! 霧矢くん、ちゃんと勉強してきた?」
「……多分」
してない。
どうせ赤点取らなきゃいいんだろ。
「もー、多分じゃなくて! ……って、聞いてる? 霧矢くん?」
「……ああ、聞いてるよ」
他愛ない会話(主に光が一方的に喋っているだけだが)を続けながら、校門をくぐる。
これで少しは静かになるだろう。
教室に入り、自分の席――窓際の後ろから二番目という、そこそこ目立たないポジション――に座る。
鞄から教科書とノートを出すふりをして、ぼんやりと窓の外を眺める。
やがて担任が入ってきて、朝のホームルームが始まった。
教壇で話す教師の声も、周囲の生徒たちのざわめきも、俺にとっては遠い世界の出来事のようだ。
時折、隣の席の光が真剣な顔でメモを取っているのが視界に入る。
真面目なことだ……。
俺も一応、ノートを開いてペンを握る。
何か書いているふりをしなければ。
これも平穏のための一環だ。
ただひたすらに、今日という一日が、昨日までと同じように、何事もなく過ぎ去ってくれることを祈りながら。
……その祈りが、割とすぐに裏切られることになるなんて、この時の俺はまだ知らなかった。
◇
最後の授業が終わるチャイムが鳴った瞬間、俺は誰よりも早く行動を開始した。
教科書、ノート、その他諸々を、文字通り目にも留まらぬ速さで鞄に詰め込む。
目標は、教室内の人間が本格的に帰り支度を始める前に脱出することだ。
よし、完璧だ。
このまま気配を殺して……。
「あ、霧矢くん! ちょっと待って!」
振り返る。
やはり、天野光だ。
満面の笑みでこちらに駆け寄ってくる。
なんでこういう時だけ目ざといんだ、この委員長は……。
「悪い、天野さん。急いでるんで」
「え? 急いでるって、何か用事?」
食い下がってくる光に、内心で舌打ちする。
「まあ、ちょっと野暮用で。それじゃ」
「あ、待ってよ! 今日の小テストのことなんだけど……って、あれ? 行っちゃった……」
背後で何か言っているが、無視して教室を飛び出す。
悪いが、君と話している時間はないんだ。
俺の平穏のためには、一刻も早くこの喧騒から離れる必霧矢がある。
学校を出て、いつもの道を歩く。
少し遠回りになるが、人通りの少ないルートを選ぶのが俺の習慣だ。
多少時間がかかっても、面倒事に巻き込まれるリスクを考えれば安いものだ。
「ふぅ……今日も何とか切り抜けられそうだ」
日が傾き始め、自分の影が長く伸びるのを見ながら、安堵のため息をついた、その時だった。
「……おい、そこの兄ちゃん」
路地裏の薄暗がりから、低い声がかかった。
見ると、壁に寄りかかるようにして、ガラの悪い男が二人、こちらを睨んでいる。
服装はだらしないが、その目つきには妙な自信というか、悪意が宿っている。
「……最悪だ」
直感的に理解する。
こいつらは、ただのチンピラじゃない。
微弱だが、歪んだエネルギーの匂いがする。
おそらく、低レベルの能力者だ。
魔法か超能力か、あるいはそのどちらでもない何かか。
関わらないのが一番だ。
俺は視線を合わせず、足早に通り過ぎようとした。
「おいおい、無視かよ? 感じ悪いなぁ」
男の一人が、行く手を塞ぐように前に回り込んできた。
「何か用ですか」
努めて平静に、かつ弱々しく聞こえるように声を出す。
抵抗する意志がないことを示すのが重霧矢だ。
「用があるから声かけてんだろ? ちょっとツラ貸せや。金、持ってんだろ?」
もう一人が、ニヤニヤしながら近づいてくる。
典型的なカツアゲだ。
能力者がこれかよ、と呆れるが、口には出さない。
財布には……五千円くらいか。
これで済むなら……いや、一度味を占められたら面倒だ。
どうしたものか、と思考を巡らせていると――。
「きゃっ!?」
聞き覚えのある声が、路地の入り口から響いた。
「……は?」
信じられない思いで振り返ると、そこには、目を丸くして立ち尽くす天野光の姿があった。
どうやら、俺のことが気になって後をつけてきたらしい。
なんてお節介な……そして、なんて間の悪い!
「お、なんだ? 連れか? カワイイ子じゃーん!」
チンピラたちの視線が、一斉に光に向かう。
まずい。状況が最悪の方向へ転がっていく。
「ヒャハ! 今日はツイてるぜ!」
下卑た笑い声を上げながら、男たちが光の方へとにじり寄る。
光は恐怖で顔を引きつらせ、後ずさろうとしているが、足がすくんでいるようだ。
くそっ……!
どうする?
俺がここで何かすれば、確実に目立つ。
最悪、能力者であることがバレるかもしれない。
それは絶対に避けなければならない。
過去の悲劇を繰り返すわけにはいかない。
でも、このまま見捨てれば、光は……?
脳裏に、あの日の光景がフラッシュバックする。
(――やめろ!)
力の暴走。
悲鳴。そして、取り返しのつかない結果。
駄目だ。
考えちゃ駄目だ……!
歯を食いしばる。
掌にじっとりと汗が滲む。
逃げるか?
光を置いて?
いや、そんなこと……できるはずがない。
じゃあ、どうする?
力を、使うのか?
再び注目を浴びるリスクを冒して?
平穏を、自ら手放して?
光の怯えた瞳が、助けを求めるように俺を見ている。
ああ、クソッ!
なんで俺がこんな目に!
心の中で悪態をつきながら、俺は――。
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