第十九話 いつの間にか主人公っぽい件

 晃誠が真白に返そうと思っていたハンカチは駄目になっていた。


 タンスの隅でしわくちゃになっているところを発見したそれは、生地がごわつき、うっすら変色もしているように感じられ、とてもではないが持ち主に返却できるような状態ではない。

 洗濯したあと、返すあてもなく丸一年以上タンスに放り込みっぱなしだったとはいえ……。


(まいったなこりゃあ)


 代わりのハンカチを買って返すとして、礼と詫びを兼ねた何かが必要だろう。

 睦美か睦希を探して一階に降りると、リビングでタブレットを操作している睦希の姿を見つけた。


「あっ、睦希ちゃん。ちょっといいかな――女子高生に渡す物について相談したいことがあるんだけど」


 そう尋ねると、睦希は一瞬きょとんとして、ふっと思案顔になる。


「んんん、それって私が晃誠さんに何かおねだりしてもいいってこと? だったら私、コフレがいいなぁ」

「ああ、やっぱり睦美さんに相談するからいいや」

「待って、冗談! 冗談ですってば」


 晃誠がわざとらしく踵を返す素振りをすると、睦美は笑って引き留める。


「なぁに、呼んだ?」


 折良く睦美も現れたので、晃誠は二人に事情を話し、相談することにした。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 学校休みの土曜日、晃誠は隣市まで出かけることにした。

 アドバイスを聞きながらネットで通信販売を使うつもりだったが、直接売り場で見て自分で選べるならそちらの方がいいだろうと二人に焚き付けられたのである。


 古峰家最寄りの日比木台駅から電車で20分強。県都の中央駅は橋上駅舎だが駅ビルを持ち、ロータリーの上に張り出したペデストリアンデッキが駅両面でそれぞれ駅前公園や老舗デパートなどに接続している。

 少なくとも県下で一番の都市としての面目を失わない、なかなかの威容を誇っていた。


 とはいえデパートの案内板を眺めれば百貨店業務は縮小傾向で、一部階層はカルチャースクールなどに向けたレンタルスペースになっているほか、フィットネスジム、予備校が入るなど整理されている。このあたりは地方都市らしい。


 そうしたデパートやショッピングモールをまわり、素材やデザインの傾向を決めておいたギフト用のレディース向けタオルハンカチを吟味して買う。

 同様に食品ギフトの店で、童話風に擬人化されたクマの絵がついた、アンティークなティン缶のキャンディージャーを買った。

 アドバイスではあまり好みに左右されない、お菓子のような消え物がいいだろうという話だったが、デザインと手頃な価格を見て衝動的に買ってしまったのだった。


(……まあいいや、キャンディはキャンディだし。必要なければブリキ缶なんて捨てるだろう)


 一緒に、やはりマスコット調のクマがデザインされたクッキー缶を買う。こちらは継母と義妹へのお礼としてのお土産だ。

 ハンカチとキャンディ詰め合わせ。晃誠一人でも思いつくような無難な組み合わせだが、女性に相談した結果という方がやはり安心感はある。


 買い物を終え、駅前デッキに戻ると時間的には既に夕刻近かった。とはいえ日はだいぶ長くなっているのでまだまだ明るい。

 謎のオブジェや花壇を外向きに囲んでいるベンチに腰掛けて一息つくと、人混みに見覚えのある背丈の高い女子の姿を見つけた。


(あれは、黒田美也古先輩――だよな?)


 眼鏡は先日通りだが、黒髪をポニーテールに結い上げ、ブラウンのキャミソールワンピース姿。女性としては長身の、手足もすらりとしたシルエットが否が応でも目立つ。


 なんとなく目で追ってしまうと、向こうもこっちに気がついて驚いた顔をした。

 ついでによく見ると、泉地真白と各務桐花の姿がある。二人とも美弥古と比べるとどうしても小柄で、人混みに紛れてすぐには気がつかなかった。


 視線が合って無視するわけにもいかず、軽く会釈すると美弥古は笑って軽く手を振り、連れの二人に声をかけると――こっちに向かって歩いてきた。


「こんにちは古峰くん、偶然だねえ」

「どうも……買い物ですか?」


 尋ねると美弥古は傍らの真白の肩に手を置く。


「推薦図書のコーナーに使う装飾や展示プレートを作るのを依頼されてね、材料を仕入れがてら秋の部誌のネタになるようなものはないかなって見に来てたの」

「なるほど」

「古峰くんは?」

「自分もまあ、買い物ですね。もう終わったところだけど」


 言いながら立ち上がり、三人を見回す。

 買った物を渡す相手は目の前にいるわけだが、事情を知っているメンバーとはいえ、女子に囲まれつつ一人にだけ何か渡すというのは憚られる気がした。


(あれっ。そうするとこれ、いつどこで渡しゃいいんだ)


 学校では人目につくとまずい。自分は悪い意味で目立つタイプだし、真白のキャラクターを考えると詮索されるようなことがあれば迷惑だろう。

 他意のない礼品だろうと何だろうと、自分が迷惑をかけずに女子に何か物を贈るというのは思ったよりハードルの高い行為なのではないかと、今さらながら晃誠は気がつく。


「これからちょっとお茶してこうと思ったんだけど、良かったら一緒しないかなあ? 推薦図書の話もしておきたいし」


 愕然としている晃誠に、美弥古がそう提案してくる。


「え、女子会にぬけぬけと顔出すほど野暮ではないつもりだけど」


 そう言うと、美弥古が吹き出した。


「――ごめんなさい。部室でも思ったけど、梢子から聞いてた通りの真面目な子なんだなって」

「梢子って……」

「玉城梢子。あの子、中学からの同級生の一人で今でもつきあいがあるんだけど、体育祭の前後によく君の話をしてたから」


 体育祭実行委員のおでこ先輩の顔を思い出し、晃誠は納得する。


「俺は今の三年にはだいぶ嫌われてるんじゃないかと思ってたんだけど、ほぼ初対面のわりに妙に友好的だったのはそれですか」

「嫌われてるって、鴫沢くん達と喧嘩したから? あの人達も別に学年で好かれてるグループってわけじゃないからねえ、気にしなくても大丈夫だと思うよ」


 美弥古が微笑む。と、傍に控えていた桐花が口を開いた。


「それより、お茶来ないんですか? 今ならハーレムですよ、ハーレム」

「いや――」

「ちまちゃんもいいよね?」


 美弥古に尋ねられ、真白も黙ったまま頷く。


「じゃあ荷物多いのだるいんでロッカーに入れてきまーす。泉地先輩、手伝ってもらえます?」

「あ、待って桐花ちゃん」


 桐花は美弥古の持っていたショッピングバッグも奪って駅舎に駆け出し、真白もそれを追いかける。


「なんかそういうことになっちゃったみたいだねえ。――あ、もちろん用事があるとかどうしても嫌とかならいいんだけど」


 美弥古の言葉に、晃誠は肩をすくめた。

 ひょっとしたら真白に礼品を渡す機会もあるかもしれないと前向きに考える。


「嫌ってことはないので、ご一緒させてもらいますよ」

「なら良かった」

「ところで――」


 晃誠は自分のうなじのあたりをさすりながら、さっきから気になっていたことを聞く。


うなじネープに青いインナーカラーいれてるんですね」


 ポニーテールに結って露わになった美弥古のうなじの生え際から、言ってみれば髪の毛の裏側に青みがかった流れがある。黒髪に溶け込んだ自然なブルーブラックで、光の加減で微妙な色合いを見せる。


「ああこれ? 学校では目立ちなくないし、髪の毛下ろしてたら分かりづらい程度にね。最初は刈り上げロングっていうのも考えたんだけど、ちょっとそこまで思い切る勇気はなくて」


 言いつつ、美弥古も自分の首筋をなで上げる。


「きりちゃん連れて東京のイベントに泊まりがけで行ったりもするんだけど、どうにも大人しくて弱そうな女の子だけだと変なのに声かけられやすかったりするみたいでねえ。今日もきりちゃんとちまちゃんいるから、攻撃力の高そうなスタイルで威嚇してるってところかな。髪の毛アップにしてこれ見せるのは、警戒モードなの」

「攻撃力て……警戒色かよ」


 確かに寒色系のヘアカラーは、格好良さが先に立って男ウケという意味では今一つということもあるかもしれないと晃誠も思う。警戒色というなら、暖色系でもビビッドすぎればやはり「攻撃力」は高そうに見えるかもしれないが。


「そういえば、玉城先輩も前髪に同じような青が一房ありましたけど」

「うん、私がカラー入れるときに仲良かった三人で同じ色にチャレンジしたんだ」


(てことはもう一人いるのか)


「男子からしたら自意識過剰だと思うかも知れないけどねえ。男の人がちょっかいかけてくるのって、目を引くような華々しい美人か、きりちゃんやちまちゃんみたいな小柄で大人しそうな子だったりするんだよ。私一人ならスタイルいいわけでもなく無駄にのっぽだし、若干肩幅あって体つきもごつく見える方だしで男なんか寄ってこないんだろうけど」


 美弥古はそう言って朗らかに笑う。


「そんなことないでしょ。先輩も遠目にもすらっとしたシルエットで、いい意味で男女から目を引く方だろ」


 肌白いし、髪きれいだし、と言いかけてやめておく。これはさすがに気持ち悪いだろう。


「ひゃあ」


 美弥古は変な声をあげてくすぐったそうに身をよじった。


「やめて、褒められるのちょっとむずむずする」


 晃誠は少し逡巡して、さっき思いついたことを述べる。


「でも、肌白いし、髪もきれいだし」

「うひょお」


 美弥古は顔を赤らめ、笑いながらしゃがみ混んでしまった。


「……黒田先輩さぁ、問題は攻撃力より防御力なんじゃねえかな。自分が気をつけた方がいいと思うぞ」

「ううう……なんか突然見た目通りにチャラそうなこと言い出すの、やめてくれないかなあ」


 恨みがましい目つきで見上げられ、晃誠は少し笑った。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 晃誠は推薦図書について家の本棚や電子書籍のリストを眺めていくつか候補を考えていたが、喫茶店で美弥古たちと相談した結果、寺田寅彦の随筆集に決めた。


「いちいち本借りたり買ったりしなくても、著作権が切れてるからネットで読めたりするんだけど。電子書籍にまとめてあるのが格安で売ってたりもするし。実際俺が持ってるのも電書の全集なんですよ」

「いいの。もともと図書室で貸せる本には限りがあるから、一番の目的は本の存在自体を紹介することだからねえ。ネットや電書で気軽に読めるならむしろベストじゃないかな」

「そんな昔の科学者のエッセイ、面白いんですか?」

「読みゃあわかるが、普通に今読んでも通じる内容だぞ。泉地のおすすめだってそんな最近のじゃない作家だもんな?」

「はい……」


 四人でお茶をして、帰る頃には空は赤くなり始めるところだった。


 一番喋っていた印象のある桐花は、家がこちらの方らしく一駅で別れる。

 美弥古は家が市の中心近く、西東駅を利用しているそうで晃誠の日比木台の一つ先になる。


「泉地も日比木台だったのか……」


 真白が「はい」とかすかに頷く。

 お茶の最中、晃誠も何度か話題を振ってみたが話すのはあまり得意でないようで、口数は増えなかった。同級生の晃誠にも「さん付け」の丁寧語で話すくらいだ。


「私は駅裏なので」

「駅向こうってことは中学は吹山ふきやまかな」


 真白は再び「はい」と小さく頷く。


「朝の電車も一緒だったこともありそうだな」

「はい。あれから、古峰さんのことはたびたび見かけてました」

「そっか、目立つ頭してるからな」


 晃誠も会話は得意とはいえないわけで、話を振るだけで精一杯だ。

 美弥古は二人を見て笑みを浮かべることはあっても助け船はあまり出してくれない。

 そうこうするうちに日比木台駅へと到着する。


「それじゃあね、二人とも。また週明けに」


 美弥古と別れ、駅に降り立つ二人。

 午後六時半をまわり、日はまだ落ちきっていないが、時間的には少々遅い帰宅か。


「家につくまでにはもう少し薄暗くなってそうだな……泉地が嫌じゃなければ近くまで送るぞ」

「そんな……駅の正反対なんてご迷惑じゃ」

「駅裏の方だと人通りの少ない道もあったろう。まだ明るいとはいえ、時間も時間だし」


 赤く灼け始めた空を見上げてそう言う。


「ま、こんなナリの男と一緒にいるのを家族に見られたら心配されそうだから、近所まで、なっ」


(渡したいものもあるし、ちょうどいい)


 ちょっと押しを強めに言うと、真白は神妙な顔で頷く。


(確かに、こういう所は心配だな)


 美弥古の言っていたことや『記憶』を思い出し、そう感じた。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 日比木台駅は県都にもごく近いベッドタウンであり、駅の周辺は住宅地となっているが、丘陵地に面する駅裏はその面積は狭く、近くに迫った丘まで田圃が続いている。


 真白の家は駅裏から周辺の住宅地と田園を抜けた先、丘を背に並ぶマンションともアパートともつかない大きめの共同住宅の一室だという。


「へえ、泉地んちのマンションなのか」

「はい……」


 祖父母が先祖からの土地を利用して小規模で比較的安価なマンションを経営しており、自分達もその物件の一つに住んでいるということだった。


 話していると、どうも腫れ物のような扱いの難しさを感じる少女だ。そうしたこちらの緊張も伝わってしまうのか、どうにも距離が縮まりそうな気がしない。


 完全な沈黙も気まずく、あまり苦痛にはならないだろう程度の頻度で話しかけているうち、寂しい田圃道へとさしかかる。

 街灯も少ないので、早めに暗くなる時期は女子にとっては若干不安な場所かもしれない。田圃のおかげで視界が開けているのがせめてもの慰めだろうか。


(そうか、どこか既視感のあるシチュエーションだと思ったら、ここなんだな。『記憶』のイベント……)


 『泉地真白の場合』の主人公は駅で真白と再会し、時間帯が遅いため家まで送っていくことになるというのが序盤のイベントだ。途中で若干のトラブルに見舞われる。


(あれ、ひょっとして今、俺がまさに)


 そう思った瞬間、一台のミニバンが二人を追い抜いていき、どろどろとスピードを落とすと十数メートル先で停止した。

 濃いめのフルスモークで中は何人乗っているかも分からない。二人を待ち伏せるかのようにアイドリングを続けている。


(あったな、こんなイベント)


 揃って足を止めると、真白が怯えるように晃誠に身を寄せてきた。きゅっと袖を掴まれる。


「大丈夫だ」


 真白を背に庇うように前に半歩出るとスマホを取り出し、通報なり写真を撮るなりの準備をする。ナンバーも暗記しておく。

 瞬間、ミニバンが威嚇するように大きく吹かして唸りをあげた。ひゅっと隣の真白が息をのみ、硬直する。

 ミニバンは二度、三度と大きく吹かすとそのまま何事もなかったかのように荒々しく走り去っていった。


「平気……なわけないよなぁ。マジでいるんだな未だに、ああいうの」


 蒼白になった少女に声をかけるが、返事はない。


 ただカップルをからかっただけなのか、隙があれば本気で悪さをしようという奴らなのか。どちらにせよ女性にとってはああいうのがいるというだけで生きた心地がしまい。晃誠も例えば睦希のことを考えれば、女性の家族にしても同じ事かと思う。


 とりあえず後で車種とナンバーをその挙動と合わせて不審車両として通報はしておくことにする。それだけで何か動くわけでもないが、地域のパトロールは強化されるかもしれないし、同様の通報が続いているならその車は要注意として記録が残るはずだ。

 治安を守るのは警察だけではなく、それに対する市民の情報提供――と、柔道教室に来ていた警察官が言っていた。


「腕、掴んだままでいいからゆっくり行くか」


 そう声をかけると、しがみつかんばかりの強さで晃誠の袖を握りしめていたことに今さら気付いたようで、真白はぱっと手を離してうつむいた。

 それでも歩き出すと、二人の距離は先ほどまでよりも近かった。


(これ、もう俺が主人公の立場にいるんじゃねえか)


 この出来事は、主人公と真白の再会時のイベントとほぼ同じだ。自分が既に違う行動をとっているため、偶然に機会を奪ってしまったということだろうか。

 主人公は真白の連絡先も知らなければその機会もないため、この出来事がなければ諦めるはずだった。

 これで自分が悪いことに巻き込まなければ全部解決だとすれば、それにこしたことはないのだが。


(余計なお世話かもしれねえけど、この子の気の弱そうなところは黒田先輩じゃなくても気になるところだよな……)

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