第28話 7th shot

 風が吹いていた。だが、音がなかった。

 爆発の余韻、焼け焦げた匂い、耳に残る断末魔——すべてが、遠い夢のように薄れていた。


 リクは立ち尽くしていた。

 周囲には、仲間たちの死体。血に濡れた泥の上、片腕を失ったロジェ。瓦礫の下で潰れたクラリスの胴体。眼だけを見開いたノルダの顔。


 そのすべてが目に映っていたはずなのに、何も感じなかった。

 悔しさも、悲しさも、怒りすらも。


 まるで、心の中に“感情の再生装置”が失われたかのようだった。


【神経支配率:73.6%】

【情動反応:低下中】


 ゼロが表示する数値が、まるで他人のデータのように思えた。

 自分が壊れていくことすら、もはや“どうでもいい”としか思えなかった。


 そのとき——


「リク……!!」


 声がした。柔らかくて、でも必死に掠れた声。

 風の中に混ざるそれを、リクの耳は確かに捉えた。


 振り向くと、泥にまみれた制服姿の少女が走ってくる。

 両腕で瓦礫を払い、転びそうになりながら、それでも一直線にこちらへ向かって。


 ——ミオだった。


 リクは目を見開いた。けれど心は動かない。


 ミオは、彼にしがみつくように抱きついた。

 何もかもが崩れた顔で、肩を震わせて泣いていた。


「よかった……本当に……生きてて……」


 その声が、震えが、温度が、全身に伝わってきた。——はずだった。


 だがリクは動けなかった。

 腕を上げようとしても、何かが“拒絶”してくる。

 触れたいのに、身体が従わない。


 心が空っぽだった。彼女を助けたいという想いはあるのに、それを“実感する術”がもう残っていなかった。


(これが、《グラント・パス》の代償か……)


 未来に感じるはずだった情動を、ゼロが保存してしまった。

 勝利も安堵も喜びも、“記録”としてあるだけで、心では何も感じられない。


「どうしたの、リク……? 何も、言ってくれない……」


 ミオが顔を上げる。

 その目は、まっすぐにリクを見ていた。泣いて、震えて、それでも見ていた。


「お願い……戻ってきてよ。どこか遠くに行かないでよ……っ」


 その叫びに、リクの唇がわずかに動いた。

 けれど、言葉は出なかった。感情がなければ、言葉は生まれない。


 その瞬間——世界が変質した。


 空気が歪む。

 風が止まる。音が死ぬ。時間が、“存在”を止めたかのように静止した。


【警告:未来視点との接続消失】

【演算対象外の存在を検出】


 ゼロが発するシステム音が、ひどく遠く感じられた。


 リクの視界に、ただ一つの存在が浮かび上がる。

 黒い影。機械のようで、霊のようで、人のようで、何者でもない。


 ——神罰兵リレイス=アクシオン


 ゼロの演算空間では“存在していない”とすら扱われる、未来なき存在。

 演算も予測も、すべて通じない。“必中”という概念そのものが拒絶される。


 リクは矢をつがえた。放った。——外れた。

 撃つ前に、もう命中が否定されている。“命中する未来”が、存在しない。


【必中条件:未成立】


 リクは歯を食いしばる。けれど、ゼロの挙動も鈍い。未来依存型兵装として、敵の姿を捉えることすら拒絶されている。


 リレイスがゆっくりと、ミオの方へ歩いてくる。

 恐怖も怒りもない。ただ、“そうすべきだからそうする”ように、ただ歩いてくる。


「やめろ……ミオに、触るな……ッ!」


 叫びだけは出た。

 でも身体は動かない。反応しない。ゼロが、矢を弾かない。


 そのとき——別の風が吹いた。


「間に合ったか」


 背後から、黒い軍服の男が歩いてくる。

 刻印の刻まれた長剣を携えたその姿は、もはや“兵士”ではなかった。


 カイン=ヴァルネイド。

 デターミナスの使い手。かつて“英雄”と呼ばれ、そして……すべてを失った男。


「未来が通じないなら、過去を燃やす。俺の最後の記憶まで、くれてやるさ」


 彼は笑った。

 記憶を失いながら、それでも戦場に立ち、過去を捧げ続けてきた男の笑みだった。


 剣が走る。リレイスをわずかに逸らす。未来のない存在に、過去の記録が触れた。


「どうして……そこまでして……! 何もかも忘れて……!」


 リクが叫ぶ。問いのようで、祈りのようで、懺悔のような声だった。


 カインは、剣を振りながら言った。


「……俺には娘がいた。いた……“気がする”んだ」


 リクも、ミオも息を呑んだ。


「顔も、声も、もう思い出せねぇ。でもな」


 次の瞬間、リレイスの腕がカインを貫いた。

 血が飛び、身体が沈む。それでも彼は笑っていた。


「俺は……その子を守った。理由も経緯も忘れた。けど、守ったことだけは……覚えてる」


 その言葉が、リクの心を刺した。

 何も残らなくてもいい。何も覚えてなくていい。ただ、“守った”という事実だけが残れば——


 ミオが、泣いていた。


「未来なんていらないよ……! リクがいてくれるだけでいいのに……ッ!」


 その叫びが、ゼロの冷たい演算すら打ち破った。

 リクの心臓が、震えた。ほんの一瞬だけ、確かな“感情”が宿った。


【全未来因子、遮断確認】

第七階層ノーフューチャー・シュート:使用可能】


 矢を取る手が、震えていた。

 未来を捨てる。その一撃を放てば、自分という存在すら曖昧になる。


 けれど、それでも——守りたい。守らなければならない。


【問:その一矢に、あなたは何を託しますか】


 リクは目を閉じて、答えた。


「——ミオの笑顔だ」


 その瞬間、弓が唸った。矢が放たれる。

 未来を持たぬ世界に向かって。リレイスに向かって。ミオに向かって。


 すべてを、託して。

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