第18話 継続不能
レガシアの記録データが軍の戦略局に送信されてから、まだ一日も経っていなかった。だが、その応答は異様なほど早かった。
「特別戦術班所属、クラリス=ティエル中尉に再出撃命令。任務内容は、第六区再演算障壁の安定化及び関連演算核の無力化。出撃は本日1900時」
軍務通達は機械のように冷たく、そして明確だった。戦果、適合率、演算効率、損耗率。全てが記録され、評価され、最適と判断されれば、次の戦場が提示される。
ヒーローに休息はない。
クラリスは通達を確認すると、無言で立ち上がり、ブリーフィングルームへ向かって通路を歩き出した。
その角を曲がったところで、ばったりとリクと鉢合わせた。
「……クラリス、ちょっと待てよ」
足を止めた彼女は、無言のままリクに顔を向ける。
「昨日あれだけ戦って、また今日も出撃って、マジで大丈夫なのかよ」
クラリスはほんの一瞬だけ間を置いた。そして、ごく淡く微笑みながら言った。
「平気よ、レガシアは強いから」
言葉は整っていた。だがその声の奥に、微かな震えがあった。無理に繕った笑顔の輪郭が、ほんのわずかに歪んでいた。
「……クラリス、お前……本気で言ってんのかよ」
リクの声が、かすかに震えた。
「“ヒーロー”だからって、壊れるまで戦うつもりかよ。……そんなの、見たくねぇよ」
その言葉に、クラリスの瞳が一瞬だけ揺れたように見えた。けれど彼女はすぐに顔を背け、歩き出した。
「誰かが笑ってる“今”を守れるなら、私はそれでいいの」
それは、優しさよりも、壊れかけた祈りのような響きだった。
*
「彼女はもう限界に近い」
ノルダ=グレイルは、冷却室に貼り出されたレガシアの演算ログを見ながら、低く呟いた。演算波形の安定率、脈動反応、適合リンク率。どれもがわずかずつだが、限界値を下回りはじめていた。
「次の任務で、限界値を割る可能性がある。適合率の戻りも鈍いし、演算補助がうまく噛み合ってない。脳神経との接続領域も、わずかにラグが出てる」
「それでも、行くと言っている」
ロジェ=クレイスは資料の束を閉じ、静かに言った。
「彼女はヒーローだ。夢を叶えた者は、簡単に引けない。……一度“誰かを救えた”記憶を得てしまった人間は、それを手放すことができなくなるんだ。脳も、心も、全部がその姿で在り続けようとする」
その言葉に、ノルダは反論しなかった。ただ、タブレットの画面に映るクラリスの演算状態を、沈黙のまま見つめていた。
*
第六区、演算障壁制御区域。そこは戦場というより、冷却管と演算柱が縦横に並ぶ無機質な空間だった。
「演算残留反応、確認。演算核、沈静化プロトコルを起動します」
現地の技術兵が機械的に報告する。リク、クラリス、イリアの3名が小隊として同行していた。
敵はいないはずだった。
だが、リクは空気の重さに違和感を覚えていた。演算核の近く、演算場が脈打つように微かに揺れている。
重力がほんの少しだけ強く感じられた。
それは錯覚ではなかった。演算核が稼働していないにもかかわらず、周囲の演算環境が実際に干渉していた。
耳の奥でノイズが鳴る。視界の端がゆらぐ。
低く、機械ではなく、生き物の呼吸のような反響音。
中央に立つクラリスの背中が、わずかに揺れている。
一歩、また一歩と踏み出すたびに、彼女の足取りから“重さ”が増していた。
「クラリス、応答ログにラグがある」
ノルダの声が通信越しに入る。
「レガシア、演算補助の一部が停止してる。これ以上踏み込むと――」
「……止まらない」
クラリスの声は静かだった。
「ここで止まったら、きっと次は立てない気がするの」
演算核が赤く点滅する。
クラリスが跳躍する。
空中で身体が震える。反応が、わずかに遅れている。
思考の中で、少し前の自分が「こうすれば跳べる」と教えてくる。
だが、いまの身体はその通りには動かない。
閃光。斬撃。演算障壁の制御核が断ち切られる。
それで終わりだった。
技術兵が「沈静化確認」と呟く中、クラリスは崩れるように膝をついた。
「大丈夫……立てるわ」
立ち上がる。だが、装甲の脚部が微かに異音を発していた。
その顔に、笑顔はなかった。
イリアがクラリスを見つめたまま、ぽつりと呟く。
「ねぇクラリス。あなた、いつも任務が終わったら、笑うじゃない」
返答はなかった。
「昔はね、帰還するたびに“また守れたね”って……そう言って笑ってたんだよ」
クラリスは返さなかった。
ただ、少し遠くを見るように立ち尽くしていた。
*
帰還後。
リクは、黙って自室で端末を見つめていた。
ゼロが吐き出した補助ログは、こう記されていた。
《演算補助:限界領域。回復不能。使用継続時、適合者の人格維持率 43%》
それが意味するのは、クラリスの“今”が、もうヒーローのままではいられないという事実だった。
彼女があの子に見せた笑顔は、もう続けられない。
(俺が――俺だったら、あんなふうに戦えるのか?)
(ヒーローってなんなんだよ……)
リクは静かに、端末の画面を閉じた。
その手のひらは、かすかに汗ばんでいた。拳を握ると、指先に力が戻ってくるのを感じた。
次は、自分の番だ。
ゼロが、静かに点滅していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます