第18話 継続不能

 レガシアの記録データが軍の戦略局に送信されてから、まだ一日も経っていなかった。だが、その応答は異様なほど早かった。


「特別戦術班所属、クラリス=ティエル中尉に再出撃命令。任務内容は、第六区再演算障壁の安定化及び関連演算核の無力化。出撃は本日1900時」


 軍務通達は機械のように冷たく、そして明確だった。戦果、適合率、演算効率、損耗率。全てが記録され、評価され、最適と判断されれば、次の戦場が提示される。


 ヒーローに休息はない。


 クラリスは通達を確認すると、無言で立ち上がり、ブリーフィングルームへ向かって通路を歩き出した。


 その角を曲がったところで、ばったりとリクと鉢合わせた。


「……クラリス、ちょっと待てよ」


 足を止めた彼女は、無言のままリクに顔を向ける。


「昨日あれだけ戦って、また今日も出撃って、マジで大丈夫なのかよ」


 クラリスはほんの一瞬だけ間を置いた。そして、ごく淡く微笑みながら言った。


「平気よ、レガシアは強いから」


 言葉は整っていた。だがその声の奥に、微かな震えがあった。無理に繕った笑顔の輪郭が、ほんのわずかに歪んでいた。


「……クラリス、お前……本気で言ってんのかよ」


 リクの声が、かすかに震えた。


「“ヒーロー”だからって、壊れるまで戦うつもりかよ。……そんなの、見たくねぇよ」


 その言葉に、クラリスの瞳が一瞬だけ揺れたように見えた。けれど彼女はすぐに顔を背け、歩き出した。


「誰かが笑ってる“今”を守れるなら、私はそれでいいの」


 それは、優しさよりも、壊れかけた祈りのような響きだった。



「彼女はもう限界に近い」


 ノルダ=グレイルは、冷却室に貼り出されたレガシアの演算ログを見ながら、低く呟いた。演算波形の安定率、脈動反応、適合リンク率。どれもがわずかずつだが、限界値を下回りはじめていた。


「次の任務で、限界値を割る可能性がある。適合率の戻りも鈍いし、演算補助がうまく噛み合ってない。脳神経との接続領域も、わずかにラグが出てる」


「それでも、行くと言っている」


 ロジェ=クレイスは資料の束を閉じ、静かに言った。


「彼女はヒーローだ。夢を叶えた者は、簡単に引けない。……一度“誰かを救えた”記憶を得てしまった人間は、それを手放すことができなくなるんだ。脳も、心も、全部がその姿で在り続けようとする」


 その言葉に、ノルダは反論しなかった。ただ、タブレットの画面に映るクラリスの演算状態を、沈黙のまま見つめていた。



 第六区、演算障壁制御区域。そこは戦場というより、冷却管と演算柱が縦横に並ぶ無機質な空間だった。


「演算残留反応、確認。演算核、沈静化プロトコルを起動します」


 現地の技術兵が機械的に報告する。リク、クラリス、イリアの3名が小隊として同行していた。


 敵はいないはずだった。


 だが、リクは空気の重さに違和感を覚えていた。演算核の近く、演算場が脈打つように微かに揺れている。


 重力がほんの少しだけ強く感じられた。

 それは錯覚ではなかった。演算核が稼働していないにもかかわらず、周囲の演算環境が実際に干渉していた。


 耳の奥でノイズが鳴る。視界の端がゆらぐ。

 低く、機械ではなく、生き物の呼吸のような反響音。


 中央に立つクラリスの背中が、わずかに揺れている。

 一歩、また一歩と踏み出すたびに、彼女の足取りから“重さ”が増していた。


「クラリス、応答ログにラグがある」


 ノルダの声が通信越しに入る。


「レガシア、演算補助の一部が停止してる。これ以上踏み込むと――」


「……止まらない」


 クラリスの声は静かだった。


「ここで止まったら、きっと次は立てない気がするの」


 演算核が赤く点滅する。


 クラリスが跳躍する。

 空中で身体が震える。反応が、わずかに遅れている。


 思考の中で、少し前の自分が「こうすれば跳べる」と教えてくる。

 だが、いまの身体はその通りには動かない。


 閃光。斬撃。演算障壁の制御核が断ち切られる。


 それで終わりだった。


 技術兵が「沈静化確認」と呟く中、クラリスは崩れるように膝をついた。


「大丈夫……立てるわ」


 立ち上がる。だが、装甲の脚部が微かに異音を発していた。


 その顔に、笑顔はなかった。


 イリアがクラリスを見つめたまま、ぽつりと呟く。


「ねぇクラリス。あなた、いつも任務が終わったら、笑うじゃない」


 返答はなかった。


「昔はね、帰還するたびに“また守れたね”って……そう言って笑ってたんだよ」


 クラリスは返さなかった。

 ただ、少し遠くを見るように立ち尽くしていた。



 帰還後。


 リクは、黙って自室で端末を見つめていた。

 ゼロが吐き出した補助ログは、こう記されていた。


《演算補助:限界領域。回復不能。使用継続時、適合者の人格維持率 43%》


 それが意味するのは、クラリスの“今”が、もうヒーローのままではいられないという事実だった。


 彼女があの子に見せた笑顔は、もう続けられない。


(俺が――俺だったら、あんなふうに戦えるのか?)

(ヒーローってなんなんだよ……)


 リクは静かに、端末の画面を閉じた。


 その手のひらは、かすかに汗ばんでいた。拳を握ると、指先に力が戻ってくるのを感じた。


 次は、自分の番だ。


 ゼロが、静かに点滅していた。

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