第2話 1st shot
──午前四時。ケイド=ラインハルトは、端末の着信音で目を覚ました。
枕元のディスプレイには見慣れない表示が点滅していた。
【緊急任務指令】
【対象:封鎖区画第12】
【武装:断罪式兵装 No.Ø《ゼロ》/起動済み】
【任務目的:神罰兵の単体殲滅および兵装起動記録の収集】
息が詰まった。
目をこすりながら、ゆっくりと上半身を起こす。
冷たい部屋の空気が素肌に触れる。だが、寒さではない。
内側から這い上がってくる、不安の塊のようなものが胸を締めつけた。
「……これ、俺か?」
誰もいない部屋で呟いた声は、思ったよりも震えていた。
制服を引っかけ、靴紐もろくに結ばず、寮舎を飛び出す。
眠っているはずの建物は静まり返り、彼の足音だけが金属の廊下に反響する。
兵装局の地下階。
いつもなら複数の職員がいるはずのフロアは、無人だった。
ただ一人、管理官が立っていた。目は端末のログをなぞり、口は一言だけ発した。
「ゼロが反応した。お前だけだ」
それだけだった。
それ以上の説明はなかった。
でも、ケイドは知っていた。知ってしまっていた。
ゼロという兵装がどういうものか。
過去に試された適合者が、演算の暴走によって脳を焼かれ、再起不能となったことも。
その記録は正式には存在しない。だが、現場にはいた。
「神罰兵……マジかよ。しかも一人でって……」
言いかけて、言葉を噛み殺した。
文句を言えば拒否できるわけでもないことくらい、わかっている。
──選ばれた。
そういうことなのだ。理解は、した。
納得はしていない。
ガラスの向こう、ゼロがあった。
黒い骨組み。中心核で脈を打つ演算光。
生きているようにすら見えた。
こちらを見ている気がして、視線を逸らせなかった。
手を伸ばす。
その瞬間、脳に刺さるような痛み。
視界が波打ち、意識の奥にデータが流れ込む。
【適合者照合:ケイド=ラインハルト】
【演算起動──断罪演算:第一層構成中】
「……マジで、俺がやるのかよ……」
震えそうになる声を飲み込む。
移送車の座席に座っても、手は震え続けていた。
窓の外に広がる都市の夜は、静かで、冷たくて、それがまた怖かった。
自分だけが“これから死ぬかもしれない”任務に向かっているという事実を、
この世界の誰も知らないのだという現実が、息を詰まらせた。
*
訓練校・東棟の演習場。
弓を磨く金属音が、誰もいない朝の空間にカツンカツンと響いていた。
弾いた矢は、どれも的から大きくずれていた。
「……まっすぐ飛んでくれりゃ、それでいいのに」
リク=アルストリアは、使い終わった訓練用の安価な弓を黙々と手入れしていた。
「リクー、またやってんの? 朝から真面目すぎ〜」
フェンスの上からミオ=クラルがひょこっと顔を出す。
明るくて、ちょっと強気で、おせっかい。けどその明るさはどこかあたたかい。
「……見てんなよ」
「だって、あたしこの光景めっちゃ好きなんだもん。リクってば、全然当たらないのに一生懸命なんだもんね〜」
「お前、煽ってるだろ」
「ううん? 応援してるだけ〜」
「はいはい、また朝からバカップル漫才ですか」
のそのそとグリス=ハンロウがやってくる。
眠そうな目で、でもどこか笑ってる。
「リクの弓が当たらないのって、本人がねじくれるからなんじゃない?」
「うるせぇ……」
それでも笑いが漏れる。
三人でいるときだけ、少しだけリクの表情が柔らかくなる。
*
封鎖区画第12。
ケイドは、倒れていた。
焼けたビルの破片が辺りに転がり、空は煤で赤く染まっていた。
爆発の余波で、片腕がほとんど動かない。ゼロは、すでに彼の手から滑り落ち、どこかへ消えていた。
「……ゼロ……返せ……俺は……まだ、やれる……」
血の混じった声。
かすれた喉から絞り出すように、彼はゼロの名を呼んでいた。
脳裏に、ゼロが放たれた瞬間の光景がこびりついて離れない。
手から抜けた感触。抗えなかった。あれは、暴走だった。
けれど、それでも自分は──
「誰にも、渡さねえって……決めてたんだよ……」
そのときだった。
遠くの空が、再び震えた。
火花とともに、ゼロが地面に落ちた。
「……返ってきた……?」
彼の視界は、もうまともではなかった。
けれど、かろうじて“誰か”の姿が見えた。
訓練服。少年。武器に手を伸ばす──
(やめろ……)
声は出なかった。
ただ、肺が痙攣し、指がわずかに動いた。
届くはずもない、その距離の中で、ケイドは“その背中”を見ていた。
──そして。
【対象認証:一致】
【演算開始──断罪演算・第一段階】
【代償選択:未来座標切除】
光が再び走る。
ゼロは、その少年の手で再び構えられた。
「あのガキが……? なんで、そんなやつが……」
ケイドは、そこで目を閉じた。
最期まで、託すつもりなんて、なかった。
自分の人生も、誇りも、戦いも──ゼロも全部、自分で終わらせるはずだった。
でも、ゼロは“あっさり”次に行った。
「……チクショウ……」
風の中に、そう聞こえた気がした。
*
訓練校・北通路。
放課後。三人の影が、舗装された通路をゆっくり歩く。
「明日も弓練?」
「うん。朝ちょっとだけ」
「真面目くんすぎる〜! たまにはサボって遊ぼーよ!」
「うるせぇ……」
「だよな、サボっても当たらねぇのは変わらんしな」
「マジでうるせぇ」
そんな会話が交差する中で、風が吹いた。
次の瞬間、爆発音。ビルの彼方で空が焼ける。
「え、え、なになに……なにあれ……?」
ミオが不安そうにリクの腕を掴む。
グリスが睨むように空を見上げていた。
空から、黒い弓が落ちてくる。
焦げた金属。異質な存在感。
「……リク、ダメ! 近づいちゃダメだってば!」
「やべぇって、絶対やばいってアレ!」
けれど、リクの足は止まらなかった。
「……なんで、こんなとこに……」
歩き出していた。ゼロへと。
だが、その時だった。
空気が揺れた。
「っ!」
耳鳴りのような衝撃が地面を走る。
黒い歪みがビルの影から現れる──神罰兵。
地を這うように現れ、ミオたちのすぐそばまで瞬間的に距離を詰めていた。
「ミオ、下がれ──!」
グリスが叫んでミオを突き飛ばす。その直後、黒い触手のようなものが彼の肩をかすめ、壁に叩きつけた。
「グリス!」
ミオの叫び。
リクが振り向く、その瞬間──
「っぐ……!」
神罰兵が向きを変え、リクに迫る。
訓練用の弓しか持たない。だが、手が勝手に矢をつがえていた。
「……っらああああっ!」
放った。
だが矢は、神罰兵の歪んだ空間に吸い込まれるようにして逸れた。
「……当たらない……!」
次の瞬間、黒い衝撃波がリクの脇腹をかすめる。
壁に叩きつけられた。呼吸が止まるほどの衝撃。
倒れ込むリクの視界に、ふらつきながら立ち上がるミオの姿が映る。
「ダメだってばリク……!動かないで……!」
神罰兵が再び距離を詰めてくる。
リクの胸の奥で、何かが悲鳴を上げた。
(こんなんじゃ……誰も守れねぇ……)
血の味が口に広がった。
立ち上がろうとしても、足が震える。
でも──
「終わらせなきゃ……!」
その時だった。
崩れかけたビルの屋上から、ゼロが音を立てて落ちてきた。
リクの視界に、焼けた黒いフレームが飛び込んできた。
「……あれは……」
歩き出す足に、もう迷いはなかった。
【対象認証:一致】
【演算開始──断罪演算・第一段階】
【代償選択:未来座標切除】
黒い歪みが視界の中に浮かび上がる。
神罰兵──それは確かに、そこにいた。
脈打つような異形のうねり。焼けた金属のにおいと、耳の奥で響くようなノイズ。
(こいつを止めなきゃ……)
リクの手が震える。
目の前にいるのは、怪物だった。人間ではない。
でも、そんなものが、仲間を傷つけている現実のほうが、よっぽど怖かった。
「……外したら……全部、終わる……」
矢をつがえる。
けれど、腕が思うように上がらない。視界が揺れる。
脈打つ痛みと、息苦しさ。
それでも手を離せば、この先の何かが壊れると、体が知っていた。
神罰兵が再び動く。
歪んだ空間の向こう、核心部がこちらに向かって開いていく。
(撃たなきゃ)
喉が焼けるほど叫びたかった。
けれど、音は出なかった。
ただ、その瞬間、ゼロの内部から、演算光が弓に流れ込む。
構えが、正される。視線が、定まる。
震えていた手が、ぴたりと止まった。
「……届け」
矢が放たれた。
──必中。
視界が白く焼け、風圧が吹き抜ける。
鋭く、冷たく、真っ直ぐに。
放たれた矢が、神罰兵の核心を貫いた。
次の瞬間、あたりにあった黒い歪みが一斉に崩れ落ち、空間が収束する。
その光景を、遠く離れた場所で──
血のにじむ視界の奥から、ケイドがかすかに見ていた。
【断罪式兵装 No.Ø 適合登録:完了】
*
その日、世界は確かに変わった。
誰にも知られず。だが、間違いなく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます