第31話 理由はたった一つだけ

「太刀川ぁ!」


 塔の真下に到着した王子様に向かって、精一杯の声を張り上げた。


「星野君!!」


 太刀川も百メートル下の石畳から、俺の名を叫び返す。


 なんだかロミオとジュリエットみたいだ。

 ちょっとお互いの高低差がありすぎるが。


「扉はそこだ! 頼む!」

「わかった!」


 俺の指し示した扉の取っ手に、太刀川が手をかける。

 その瞬間、


 バチンッ!!


「きゃっ!?」


 触れたところから、青白い火花がほとばしり、太刀川が思わず手を引いた。


 な、なんだ?

 

「無駄です」


 いつの間にか俺の隣に来ていたリンが、冷たく言い放った。


「何のために、私がここに配置されたと思っているのですか。貴方の世話をするだけなら、他の誰でも務まります」

「どういうこった?」

「『封楼結陣ふうろうけつじん』。自分のいる建物を外部から完全に封鎖する、私のスキルです。レベル999か何か知りませんが、彼女が何をしようとあの扉は動きませんよ」

「そんなスキル、聞いてなかったぞ?」

「聞かれませんでしたから」

「ぐ………!」

「この場所を探し当てたのは驚きましたが――ここまでです」


 スキルはステータスを凌駕する。

 この世界の絶対的ルールだ。

 太刀川の力でも、あの扉はこじ開けられない。


「太刀川! 他に入口はないか!?」

「さ、探してみる!」


 太刀川は塔の周囲を回り込みながら、必死に他の侵入口を探し始めた。


「聞いていなかったのですか? 建物ごと封鎖すると言ったはずです。仮に別の入り口が存在しても、侵入は不可能です」


 淡々と、冷徹に事実を告げるリン。


「星野君、ダメだよ! この塔、入り口が一つしかない!」

「くっ……!」


 そうこうしている間に、下の道がざわめき始めた。

 武器を手にした兵たちが、路地を埋めるように走ってくる。何十人もいる。小さな甲冑の列が、どんどんこちらへ迫ってくる。


「なんだ、あいつら……?」

「王都の守護兵たちです。黒の書の彼女を追ってきたのでしょう」

「あんだけの人数で、太刀川を捕まえられると思ってんのかよ?」

「無理でしょうね。ですが、もし彼女がわずかでも抵抗するそぶりを見せたなら――この場で貴方を処分します」

「なにぃ?」

「そうすれば彼女も死ぬのでしょう? 王家に反逆するのであれば裁判を待つまでもありません。監査官からは、私の判断で処分して構わないと指示されています」


 冷血メイドはそう言って、アイスピックを静かに掲げてみせた。


 俺はベランダの手すりを拳で叩いた。


 ――くそったれ。


 あんなに近くに太刀川がいるのに、指一本触れられない。

 ここまで来て、全部が水の泡になるのか。


「これで理解できましたか? 約束なんて、守られないものなのです。貴方がどんな綺麗事を並べようと、これが現実です」


 下では兵士たちの足音が、遠雷のように響いている。

 空気が張り詰め、包囲は刻一刻と狭まっていく。

 焦燥が喉の奥をじわじわ焼く。


 ――いや、まだだ。


 俺は隣のリンを見据え、静かに問いかけた。


「………なあ。あんたのスキルって、建物から出ようとするヤツも閉じ込めるのか?」

「いいえ。あくまで侵入を防ぐものです。内部からの移動に制限はありません」

「………そりゃいいこと聞いたわ」


 メイドは、はぁ、とため息をついた。


「ド低脳の貴方にわかるように言っておきますが、私が監視している以上、貴方が逃げ出すことなんて――」


 言いかけて振り向き、言葉を呑む。


「な――何をしているんです!」

「見りゃ分かんだろ」


 ベランダの手すりの上に、立ってんだよ。

 宙に張り出した、細い足場の上にな。


「降りなさい!」

「おっとぉ!」


 伸ばされたリンの腕を、間一髪かわした。

 つかまるものなんか何もない手すりの上で、体がぐらぐらと揺れる。

 うおおっ、こええ!


「星野君っ! 危ない! 何やってるのよ!」


 下からも太刀川の張り裂けるような声が飛んできた。

 だから、見りゃわかんだろって。


「へへ。中学んとき、バンジージャンプしたのを思い出すなぁ」

「………何を考えているんですか。まさか……」


 おう、そのまさかですよ。


「ダメ! 星野君、無茶だよ!」


 太刀川も俺のやろうとすることを理解したらしい。血相を変えて叫んでくる。

 そう言うなよ。コレが上手くいくかどうかは、お前次第なんだから。


 リンは俺に向かってアイスピックを構えた。


「警告です。今すぐそこから降りなさい」

「イヤだって言ったら?」

「ここで処分します」


 本気の目だった。


 俺はリンの瞳を、正面から見つめ返した。


 このメイドとは、短いつき合いだった。

 初めて会った時は、無表情で冷酷な人形みたいな奴だと思った。


 だけど、今はわかる。

 本当は、誰より感情が豊かで、誰よりも傷ついていて――

 なのにそれを、懸命に隠して生きてきた。


 約束なんて意味がないと、自分に言い聞かせて。


 ――寂しい人だな、と思う。


 俺は、小さく笑って、つぶやいた。


「兄貴と……仲直り、できるといいな」


 その一言に、リンの手が止まった。


「……!」


 揺らぐ瞳。

 アイスピックを握る指先が微かに震えている。


 俺はもう一度、下を見た。

 魂の相棒が、心臓を掴まれたみたいな表情で俺を見つめている。


 そんな顔をさせて悪いと思う。

 けど、これしか手はないんだ。


 眼下に広がるのは、圧倒的な高さの奈落だった。

 遠く見下ろす兵士たちの群れが豆粒のように動いている。

 もししくじったら、俺の体は地面に叩きつけられ、無残に砕けるだろう。

 想像するだけで背筋が凍り、足先が痺れる。

 死への恐怖に、体中が震える。


 なのに――なんでだろう。

 顔は、勝手に笑おうとしている。


 ……バカか、俺は。

 それとも、恐怖でとうとう壊れちまったのか?


 いや、違う。

 お前のせいだ、太刀川。


 お前がそばにいるからだ。

 お前がいるせいで、こんなハチャメチャな異世界生活も悪くないなんて、考えちまってるんだ。


 俺は右腕の袖をまくった。

 そして、自分の爪で刻んだ五文字を太刀川に見せつける。


 太刀川もそれを確認したのがわかった。

 彼女の右腕にも、同じ五文字が刻まれているはずだ。


 そうだ、太刀川。

 俺の気持ちは、それだけなんだ。


 塔のてっぺんに閉じ込められながら、諦めなかったのも。

 これからやろうとしているバカげたことに、笑っていられるのも。


 理由はその一言だけなんだ。


 俺はその五文字を。

 あいつへの想いを。

 もう一度、自分の口で噛みしめるようにつぶやいた。


「し ん じ て る」


 大きく両手を広げて――

 俺は塔の上から、風の中へと身を投げた。

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