第19話 書は開かれた

 痛みに震える手で、ホルスターから黒の書を引き抜いた。

 気のせいじゃない。

 黒い表紙が、淡い光を放っている。


 しかも、表面をべったりと濡らしていた俺の血が、見る間に乾いていく。

 まるで、表紙に吸い取られるみたいに。


 血か。

 俺の血に反応したのか。

 黒の書を開くカギは、血なんだ。


 ………なんつー恥ずかしい設定。

 もし俺が中二病患者なら、今ごろ狂喜乱舞してるだろう。が、今そんな余裕はない。


 しかも本は光っただけで、まだ閉じたままだ。

 もっと血を吸わせろってことか?

 それとも――


「なんだぁ、本を取り出してよぉ? 差し出す代わりに、命だけは助けてくれってかぁ? ムダだぜぇ。お前が死ななきゃ、契約は切れねぇんだからなぁ………」


 クラボスクがのそりと近づいてくる。

 くそったれ、来るんじゃねぇ。今大事なところなんだよ。


「星野君に……手を出さないで!」


 太刀川が、荒い息を吐きながらよろめき立ち上がった。

 痛みに顔を歪めながらも、片膝で体を支え、クラボスクに向かって拳を振るう。


 が、泥男は振り向きもせず、俺の太ももの傷を勢いよく踏みつけた。


「ぐああっ!」「あうっ!」


 俺と痛覚を共有する太刀川が、同じ苦痛に悲鳴を上げ、力なく地面へ崩れ落ちる。


「くくっ……かわいそうになぁ。このザコさえいなけりゃ、負けることはなかったろうによぉ」


 クラボスクの足が、俺の顔面を容赦なく踏みつけてきた。

 頭蓋が軋むような痛みに、視界が白くにじむ。


 けれど、体の痛みよりも、太刀川が苦しんでいる姿を見るほうが何倍もつらかった。


「お前も情けねぇよなぁ……女三人に守られたあげく、足引っ張って。何のためにここにいるんだ、お前はよ?」


 屈辱的な言葉に、何も言い返せなかった。

 一から十までその通りだからだ。

 役立たずどころか、完全な足手まといじゃねぇか。


「バカじゃないの、あんた……」

「あぁ?」


 横合いから口を出したのは、ロキシィだ。

 脇腹から血を流しながらも、その目はクラボスクをにらみ据えていた。


「ジュンの強さは、タクミと魂がつながってるから。足手まといもクソもないのよ……。そんくらい知っとけ」

「腹に穴空いてるくせに、よくしゃべりやがるなぁ……だったら、繋がっちまったこと自体が呪いだろうが」


 クラボスクは今度は倒れた太刀川に歩み寄ると、その髪を乱暴につかみ、顔を上向かせた。


 野郎ッ……!


「なぁ、おい。あのザコに言ってやれよぉ。お前なんかと繋がったせいで、死ぬハメになるんだってなぁ?」

「ふざけないで、誰がそんなこと……!」

「遠慮すんなって。どうせ死ぬんだ。本音ぶちまけてやれよぉ」

「そんなこと思ってない! 私は星野君を守るって――そう約束したんだから!」


 苦悶に顔を歪めながらも、太刀川はまっすぐクラボスクをにらみ返した。


「立派だなぁ、カッコいいなぁ……。でもよぉ、ほんとにそうか?」

「……何が言いたいの」

「お前がそいつを守ってるのは――」


 クラボスクは太刀川にぐっと顔を近づけ、歪んだ笑みを浮かべた。


「ただ、自分が死にたくねぇからじゃねぇのか?」


 太刀川の息が止まった。


(………たち、かわ……?)


 次いで、その目が俺を見る。

 その瞳には、はっきりとした揺らぎが見て取れた。


 迷っている。あの太刀川が。


「くくっ、図星かよぉ」

「ち、違っ……!」

「だったらなんですぐに否定しねぇんだぁ? 本音だからだろ?」

「っ……!」

「くくっ、そういう顔が見たかったんだよなぁぁ……」


 クラボスクは地面に垂れた太刀川の血をすくい取り、


「知ってるかぁ? こいつは、赤い色をした泥なんだぜ。人間は泥の詰まった袋なんだ……。どんだけ綺麗事並べようと、袋を刺してブチ割ってやりゃあ、汚ねぇ中身が溢れてくるんだよ」


 悦に入った顔で続ける。


「いいなぁ、気持ちいいなぁ。お前みたいないい子ぶった女が、汚ねぇ泥を垂れ流すのを見るのはよ……胸がスッとするぜぇ……」


 太刀川の表情は、今にも崩れ落ちそうだった。


 限界だった。


「いい加減にしろよ、ゴミ野郎……!」

「あぁ?」

「てめぇの悪趣味に人を巻き込むんじゃねぇ。一番汚れてんのは、お前自身だろうが!」

「なんだとぉ……?」

「他人がいい子に見えんのは、てめぇの心が腐りきってるからだろ。自分が醜いからって、周りまで同じだと思ってんじゃねぇよ!」


 自分でも驚くほど汗臭い言葉が口をついて出た。

 どこの熱血主人公だよ……と、心のどこかで思いながらも、今ばかりはスローライフもクソもなかった。

 これ以上、太刀川が傷つけられるのを、黙って見ているわけにはいかなかった。


「口だけのザコが……。もう少しいたぶって遊ぶつもりだったがよぉ……今すぐブチ割ってやるよ」


 クラボスクは血走った目でにじり寄り、俺を勢いよく蹴りつけた。

 かろうじて腕で受け止めたが、防ぎきれずに地面に叩きつけられる。

 しかも。


「こいつが黒の書かよ。どうってことない本だがなぁ」

「!」


 いつの間にか、手にあった黒の書が奪われていた。

 しまった……!


「………? なんだぁ、こりゃあ?」


 クラボスクが黒の表紙をまじまじと見つめ、眉間に皺を寄せる。

 その目には、困惑と興奮が入り混じっていた。


 一瞬だけ、俺にも見えた。


 タイトルも作者名もなかったはずの漆黒の表紙。

 その中央に、うねるような線で構成された文字が浮かびあがっていた。

 まるで図形のように複雑に絡み合った、それは――


「こりゃあ……古代文字か?」


 そうだ。

 俺の血に反応して、文字が現れたんだ。

 

「くくっ、そうかぁ……。これがボスの言ってた表紙の文字か。これを読み上げれば、黒の書は開くってわけだ……!」

「なに……?」

「俺には読めねぇが、持ち帰ってボスに渡せばよぉ……くくっ」


 ――ボス?

 キンダーガルテンとかいう組織のか?

 そいつは黒の書の秘密を知ってるのか? なんでだ?


 いや、それは後だ。

 黒の書を、こいつに渡すわけにはいかない。


 なにより、俺なら読める。

 スキル《古代文字解読》を持つ俺なら。


 そして、そのボスとやらの言うとおり、あの文字を読めば書が開くってんなら――。


 だが、クラボスクの手が邪魔で、肝心な文字の一部が隠れて見えない。


「このっ……!」


 痛む身体を無理やり動かし、黒の書に向かって手を伸ばす。

 だが、その手首は無情にも掴まれた。


「無駄だって言ってんだろ?」


 クラボスクが歪んだ笑みを浮かべ、指先を額に突きつけてくる。

 その指がみるみる鋭く尖り、刃物のような鋭さで皮膚に食い込んだ。


「星野君!」

「タクミ!」


 二人の張り裂けるような悲鳴と、クラボスクの狂った笑い声が重なる。


「ブチ割れろ」


 ――終わった。

 絶望が心を覆いつくした、その瞬間だった。


「えあああっ!」


 ザンッ!


 鋭い風切り音が響き、銀閃が目の前を横切る。

 そして直後、何か重いものが地面に落ちる鈍い音がした。


「……っ⁈」


 それは――クラボスクの腕だった。


「――アイギスさん!」


 息も絶え絶えの女騎士が、決死の表情で振るった両手剣。

 その一撃が、ヤツの肘から先を切り落としていた。


「このアマが……ッ!」


 怒りに目を見開くクラボスク。

 だがその隙を突き、跳ね上がるようにもう一振り――


 地面から掬い上げるように飛んだ剣先が、もう片方の腕を根元から断ち切った。


 斬り落とされた腕と共に、黒の書が宙を舞う。


「タクミ殿! 黒の書を――ぐはっ!」


 アイギスさんは次の瞬間、クラボスクの蹴りをまともに受けて吹き飛ばされた。


 一瞬だけ彼女に振り返る――が、迷っている暇はなかった。

 彼女が命がけで繋いでくれた、最後のチャンス。絶対に無駄にはしない。


 地面に落ちた黒の書に全力で駆け寄り、倒れ込むようにして手に取った。

 表紙に浮かんだ文字の全容が見える。

 ――読める!


 そして俺は、心の底から祈った。


 開け。


 この本を開いたところで、状況を打開できる保証なんてない。

 それでも、村長の言った「真の恐ろしさ」が本当に秘められているなら、俺はそれに賭ける。


 開け!

 頼む、開いてくれ!


 太刀川を――助けるために!


 息を大きく吸い込み、全力で叫んだ。


「『我が名はくろ! すべてを一色いっしょくに塗り潰さん!』」


 その瞬間――世界が軋んだ。


 黒の書が脈動するような重い鼓動を響かせ、表紙の銀刺繍が明滅を繰り返す。

 大地が震え、空気が張り詰めていく。


 何かが目覚める――得体の知れない何かが。


 バンッ!


 轟音と共に、黒の書が見開かれた。

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