Chapter1〜彼女の秘密〜
漫画家の遊佐先生と彼女の担当編集者である比嘉女史が書類ーー私が書いた脚本に目を通している。
この時間はとても長いので、いつまで経っても好きになれないうえに待つことにもなれない。
ダメならダメだと早く言ってくれ、私はそんなことで根に持つタイプの人間じゃないから。
会社の近くのカフェでテイクアウトしたブラックティーを口に含んで気を落ち着かせようとするけれど、やっぱり落ち着かない。
2人は脚本から顔をあげると、
「これ、めちゃくちゃいいです!」
と、私に向かって叫んだ。
「でしょでしょ!?」
やった、褒められた!
2人の反応に私は嬉しくて両手をあわせた。
「特にこのイタルくんがわがままで自信家な性格なのに、実は甘えん坊で気持ちいいことが好きで抱かれたらドロドロになっちゃうところとかがかわいくてかわいくて…ギャップ萌えが」
遊佐先生はきゃーきゃーと叫びながら悶えている。
「私も思いました!
そんなイタルくんを徹底的に甘やかすスパダリのセイジくんが本当にかっこいい!
“俺のことだけ見てよ、イタル”って言うセリフが最高過ぎる!」
同じようにきゃーきゃーと叫びながら悶えている比嘉女史に、
「激しく同意!」
遊佐先生が握手を求めてきたので、比嘉女史はそれに応じた。
「永井先生、神過ぎやしませんか!?」
「私もそう思いました!?」
「か、神って…そんな大げさですよ!」
彼女たちに褒められて悪い気はしない。
ニヤけそうになる口元を隠すようにブラックティーを口に含んだら、
「もしかして彼らのモデルになった人たちがいるんですか?」
比嘉女史がそんなことを聞いてきたので、危うく口からブラックティーを吹き出しそうになった。
…まあ、聞かれるのは当然か。
気持ちを落ち着かせると、
「そんな訳ないじゃないですかー!
私がずっと読みたいと思っていたBLを形にしただけですから!」
私はブンブンと手を振りながら答えた。
いるんですよね、これが。
死んでも…本当に死んだとしても言えねーな、おい。
死人に口なしなんて言うけれど、もし口があったとしても言わねーわ。
「さすが、永井先生!
今やTL小説だけじゃなく、漫画の原作も手掛ける売れっ子小説家!
BLも手掛けることができるなんてすごいじゃないですか!」
「褒めても何も出ませんから!」
私のことを持ちあげる遊佐先生に苦笑いをしながら言い返した。
「私、頑張ります!
永井先生が書いてくれたこの神脚本を絶対に漫画にしてみせます!」
「ありがとうございます、頑張ってください!」
漫画連載の打ちあわせはここで終わった。
「そう言えば…永井先生って、ご結婚されましたよね?」
と、比嘉女史が思い出したように言った。
「えっ、そうなんですか?」
遊佐先生は私の方に視線を向けると聞いてきた。
「そうですね…と言っても、結婚したのは半年前なんですけれど」
そう言った私に、
「相手の方は誰なんですか?
どんな人なんですか?」
遊佐先生はマスコミよろしくと言うように質問してきた。
「夫は弟の学生時代からの同級生で主夫をしています」
その質問に答えた私に、
「弟さんの同級生なんですか?
自分の同級生が先生と結婚すると聞いた時、弟さんはどう思われましたか?」
と、比嘉女史が聞いてきた。
「当然のことながら驚いていましたよ。
“同級生が義理の兄になるなんて弟としては嫌だ”なんて言ってましたし」
そう言った私に、
「まあ、そうでしょうね。
弟さんからして見たら複雑ですよね」
比嘉女史は苦笑いをした。
「それじゃあ、名前の方は…?」
遊佐先生が聞いてきたので、
「当然のことながら変わりました。
仕事は旧姓である“永井”のままですが」
と、私は答えた。
「でも仕事に理解のある旦那さんと結婚できてよかったですね。
こう言う職業ってあまり理解されないうえに出会いもないから難しいんですよね」
遊佐先生はやれやれと言うように息を吐いた。
その気持ちは理解できる。
ほとんど家に引きこもっているようなものだし、仕事の打ちあわせもリモートで済ませられることができるので、当然のことながら人と会う機会なんて言うものは存在しない。
「私の場合はたまたま運がよかっただけの話なんで…夫と出会う前から創作活動はしていましたし、それが仕事になったみたいな感じなので」
私は言った。
「でもいい旦那さんだと思いますよ」
そう言った比嘉女史に私は笑って返事をした。
*
「ただいまー」
遊佐先生との打ち合わせが終わって自宅へ帰ると、
「お帰りなさい、風花さん」
主人の帰りを待っていた犬よろしく、髙嶋碧流(タカシマヘキル)くんが玄関まで出迎えにきてくれた。
ウェーブがかかっている長めの黒髪に黒ぶち眼鏡、黒いエプロンが似合っているこの人は半年前に結婚した私の夫だ。
身長は173センチで、細身だけど学生時代はハンドボール部に所属をしていたこともあってかガッシリとした体型をしている。
色白の肌に眼鏡越しのその目は一重の三白眼、柔らかそうな唇…と、彼がまだ中学生だった時からこの顔を何回も見ているはずなのに未だになれない。
正直なことを言うと、彼の顔を直視すらもできない日があったりする。
…顔がよ過ぎるが故に。
その顔から逃げるように、
「ただいま、碧流くん」
私は返事をすると、足元に視線を向けた。
「…成海、きてるんだ」
茶色のブーツに視線を落とした私に、
「きていますよ」
碧流くんはどこか不服そうに言った。
そうか、今日は金曜日だったな。
晩ご飯を食べにここへきても当然のことよね。
そのうえ実家を出て1人で生活をしているので自分だけとは言え、食事の用意をしたくない日もあるだろうし、寂しいその家に帰りたくない日だってあるだろう。
こう言う職業をしていると曜日の感覚がわからなくなってしまうので本当に困ってしまう。
でも、成海が家にきているならばいろいろと都合がいい。
ニヤリと笑いそうになる口角を隠すようにしてうつむくと、私はミディアムブーツのファスナーに手をかけた。
脱いだブーツを並べると、
「先にコートを片づけて手洗いうがいをしてくださいね」
と、碧流くんに声をかけられた。
「あいよー」
私は返事をすると、紺色のダウンジャケットを脱ぎながら彼の横を通り過ぎた。
その足で先に向かったのは、書斎だった。
部屋はピンクと黒で統一されていて、壁にはお気に入りのポストカードや好きな少女漫画の原画がかけられていた。
本棚には漫画や小説がずらりと並んでいる。
書斎のドアを閉めて、ダウンジャケットをハンガーにかけるとクローゼットの中に入れた。
その場に座り込むと、
「ーーこれは、また捗りそうな予感しかしないわ…」
この場にいるのは自分1人なのをいいことに、私はニンマリと笑った。
進歩は上々、執筆は捗るばかりである。
私の職業は小説家と言うヤツだ。
中学高校時代はケータイ小説の全盛期で、元々読書が好きだった私は書籍化をされているものからサイトに投稿されているものまでと片っ端から読みまくった。
サイトに登録して小説を書き始めたのは高校1年生の時だったんじゃないかと思う。
私と同い年の子が書いているんだ…と思ったら、自分も書きたくなって小説を書いたのが始まりだった。
思いついた作品を書いてはサイトに投稿する日々を送っていた3年目のある日、編集部から書籍化の話がやってきた。
今だから言えることなのだが、その話がきた時はドッキリなのかと疑った。
当時流行っていたチェーンメールってヤツなのかと思っていたし、人違いですよと編集部に返した方がいいんじゃないかと真剣に悩んでいた。
とは言え、もしドッキリだったら小説のネタにでもしようかな。
そんな気持ちーーこうして振り返ってみると軽いなと自分でも思うし、疑っていたその気持ちはどこへ行ったんだと言う話であるーーで書籍化の話を引き受けたら、あれよあれよと言う間に話は進んだのだった。
サイトに投稿していた作品は何冊か書籍化されたり、乙女ゲームの仕事やドラマCDの仕事、さらには漫画の原作を担当したり…と言う感じで日々を過ごしていたら、気がついた時には小説家になっていたと言う訳である。
我ながらすごい話だ、人生は何が起きるかわかったもんじゃない。
最近はTLだけじゃなくてBLの漫画原作も任されるようになったから、本当に何が起きるかわからないものだ。
書斎を出て手洗いうがいを済ませると、彼らが待っているであろうリビングへと足を向かわせた。
「成海、包丁の持ち方が危ない」
「滑るんだから仕方がないだろ」
「里芋はだいたい滑るよ」
…目の保養だ。
キッチンにて肩を並べて料理をしている彼らの姿に、私は顔がニヤけてしまいそうになった。
イケメン同士が仲良く並んでキッチンで料理をしているその姿って素敵過ぎやしないか!?
本当に絵になる…と言うか、なり過ぎちゃっているんですけれど!?
こんなシーンをタダで見てよろしいんですか!?
大金を払わなくていんですか!?
本当の本当にタダでいいんですか!?
「風花、いたんだったら声をかけろよ」
成海に声をかけられて、私はハッと我に返った。
「ごめん、料理をしている時に声をかけたら邪魔になるかなって思って」
そう言った私に、
「黙ってそこに突っ立っている方が怖いから、幽霊がいるんだと思ってビビったわ」
成海は呆れたように言い返した。
「幽霊って何だ、幽霊って!」
そう言い返した私に、
「成海、俺の嫁をそんな風に言わないでくれ」
碧流くんが言った。
「あんたの嫁である以前に俺の姉なんだが」
「はいはい、シスコンでよろしい」
「シスコンじゃねーし!」
言いあいをしているその姿もめちゃくちゃ絵になるんだが…!
姉の贔屓目妻の贔屓目になってしまって申し訳ないが、3つ下の弟・成海と夫・碧流くんはとても顔がいい。
青みがかった黒髪に奥二重の切れ長の目、紅い唇、色白の肌…と、成海は女性と見間違えるくらいに整った顔立ちをしている。
タイプで言うならば成海は砂糖系、碧流くんはしょう油系と言うところだろうか。
そんな彼らが肩を並べると、本当に絵になる2人である。
「風花さん、もう少しで夕飯ができるのでテレビでも見ながら待っててください」
「えっ…ああ、うん、ありがとう…」
碧流くんに声をかけられたので、私はソファーに座って夕飯ができあがるのを待つことにした。
「ホントに至れり尽くせりだな」
私と碧流くんのやりとりを見ていた成海は言った。
「風花さんは好きなことだけをして生きていればそれでいいんだよ。
俺が家事全般を引き受ける代わりに風花さんは好きなことをする、もう少し言うならば風花さんが息をしてくれるだけでも…」
「あー、はいはい。
俺の奥さんはかわいい自慢はもう間にあってるから」
いや、別に好きなことをしてるって言う訳ではないんだけどな…。
私の場合は好きなことをしていたらそれがいつの間にか仕事になっていたと言う展開だったので、仕事だと言うのも言いづらいものがある。
でも…本当に私の夫と弟は顔がいいよね。
こうして彼らの姿を観察して楽しんで、それらを妄想しまくったうえに漫画の原作にすると言う仕事は本当に最高だと思う。
スパダリの攻めとわがままな受けのカップルって本当にいいと思うんだ…!
重過ぎるその愛を深く受け止めるその関係性がもう最高だと思うんだ…!
遊佐先生と比嘉女史に黙って申し訳ないけれど…まさか、“登場人物のモデルは自分の夫と実の弟です”なんてとてもじゃないけど言えないって言う話だよね。
自分が読みたかったBLをそのまま出したなんて偉そうなことを言っておいてあれだけど、そんなことが言える訳ないっつーの。
もし彼女たちに打ち明けちゃったら普段から自分の夫と実の弟をそんな目で見てるのか…ってなるよね、間違いなくドン引きされるよね。
モデルにしたうえに漫画の原作に出したヤツが何を偉そうに言ってるんだって言う話だけど、人に言ったら間違いなく引かれるわ…。
そう思いながらテレビをつけると、ソファーに腰を下ろした。
この時間帯はニュース番組しかやっていないので見ていてもつまらない。
「赤味噌がないんだけど」
「しまった、今朝入れておくの忘れてた。
流しの下に予備の赤味噌がまだあったと思うから、それを取り出してくれない?」
「おう、わかった」
それにしても…と、私は目玉だけキッチンの方へと向けた。
やっぱり、彼らの姿は絵になるよね…!
テレビはつまらないニュース番組しかやっていないし、彼らの姿を見ながら次回の脚本の構想を練ることにしよう。
当然のことではあるが、私がそんな妄想を楽しんでいるうえに自分たちが漫画の原作になっていることを彼らは知らない。
当たり前だけど、教えるつもりもない。
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