第51話 なぜこの体勢なんだ……っ

「どうした? ひとりごとか?」


 レオナートが首をかしげながら心配そうに覗き込む。


「……ううん。なんでもない。ただ、ちょっとボーッとしてただけです」


 そう答えたものの、リミュエールの胸の奥には、ぬぐえない違和感が残っていた。


「ならいいけど。集中力の欠如は、怪我の元だぞー。気合入れろよ」


 レオナートの声が、なぜか遠く感じられる。

 リミュエールはぼんやりと天井を仰ぎながら、胸の中に残された不思議な余韻を、じっと見つめていた。




 ✩⋆。˚╰(°ㅂ°)╯・゚˚。⋆✩




 放課後の生徒会室。

 西の窓から射し込む夕陽が、書類の山と魔力式の光に照らされ、乱雑な影を床に落としていた。


 中は、昨日に引き続き戦場だった。


 風属性の書記・ウィステアはスケジュール表と睨み合い、

 氷属性の会計・ノエルは浮遊する数字式を黙々と組み直している。

 火属性の広報・スカーレは、刷り上がった大量のポスターに魔力定着をかけ、

 雷属性の庶務・ライゼは模擬戦の進行表を片手に、補助魔法を張っていた。


「……今日もカオスだな」

 呟いたリミュエールに、土属性の副会長・グランは黙って顎を引いて応えた。


 その中心。

 生徒会長、クローディア=ローゼンベルグは、一人で数式入りの魔導文書を精査し、承認印を次々と押していた。


 だが——リミュエールは気づいていた。

 指先が微かに震えている。

 紫水晶のような瞳の奥に、焦点の揺らぎが滲んでいた。


(まずい……)


 次の瞬間——


 魔力式のひとつが破裂音とともに弾け、光の閃きが室内に走った。


「会長……!」


 クローディアの体がふらりと前のめりに崩れ——


「危ないッ!」


 リミュエールは、反射で身体を駆動させていた。


 全力で駆け込み、そのまま彼を抱きとめる。

 頬に触れた体温はひんやりと冷たく、肩越しには浅い呼吸音が聞こえてくる。


「クローディア……!」


「会長!?」


「大丈夫ですか!?」


 生徒会メンバーたちが駆け寄るなか、リミュエール=セラフィーヌは迷いなく、彼の体をすくい上げた。


 すっ——と無駄のない動作で。


 そう、お姫様抱っこで。


「保健室、行きます! みんな、後はお願いします!」


 ぐっと腕に力を込める。

 筋肉の張りが制服越しに浮かび上がる。

 すらりとした少女の外見には似つかわしくない、芯のある強さだった。


 驚きとざわめきが生徒会室を包む。


「えっ……持ち上げた!?

「しかも、軽々と!?」

「いやいや嘘でしょ!」


 抱えられた当の本人、クローディア=ローゼンベルグは、うっすらと目を開けて呻く。



「……ま、待て。なぜこの体勢なんだ……っ」


「状況判断の結果です! 緊急搬送に最も適した姿勢と判断しました!」


「いや、せめておんぶでは……ッ!」


「重心の安定性、視界確保、呼吸の妨げ──このフォームが最良と判断しました!」


 ──ドンッ!


 扉が勢いよく開かれ、リミュエールは風のように廊下を駆ける。


 お姫様抱っこで、全力疾走。


 その光景を目撃した生徒たちは、ほぼ例外なく足を止め、唖然とした。


「え……ええ!? 今の、会長……!?」

「抱っこ……されてる……? なんで令嬢のほうが抱えてんの……!?」

「ちょっと待って、誰か記録魔導具回して……ッ!!」


 爆走するリミュエールの足取りは真剣そのものだった。


(こんな状態……放っておけるわけがない……!)


「いや、もう……降ろせ……せめて地面に足を……」


「ダメです! 今の状態での自立行動は、危険と判断されます! 搬送続行!」


 なすすべもなく抱きかかえられたまま、クローディアは脱力し、静かに目を閉じた。


(……終わった……)


 そう、生徒会長の心には静かに『社会的死――貴族令息としてのメンツの死』の鐘が鳴り響いていた。


 一方のリミュエールは——


「大丈夫です会長! 安心してください! 筋肉は裏切りません!」


 そう断言しながら、廊下を全力で突き進むのであった。




 ✩⋆。˚╰(°ㅂ°)╯・゚˚。⋆✩




 保健室。

 柔らかいベッドの上に、クローディアをそっと寝かせた後。


 リミュエールは深呼吸を一つして、静かに目を閉じた。


(落ち着け、リミュ。思い出せ。アウルが言ってた。魔力漏れへの応急処置……)


 魔力鎮静術エーテル・リリース

 呼吸に合わせて、特定の波長を持つ魔力を流し込む補助魔法。

 元は医療分野の魔導療術で、アウルが言っていた「簡易的な対処法」だ。


(大きく吸って、細く吐く……)


 自分の鼓動を落ち着けるように、胸に手を当てた。

 雷の魔力を、限界まで穏やかに、研ぎ澄ませる。


「……ちょっと失礼」


 リミュエールはゆっくりと右手を伸ばし、クローディアの額にそっと触れた。

 その掌から、静かな魔力が流れ出す。

 雷の属性とは思えないほど繊細で、まるで春の雨のような感触だった。


 空気が、ほのかに震える。


 魔力の波が、クローディアの体内にじわりと染み込み、乱れた流れをゆっくりと整えていく。

 リミュエールの手のひらは、彼の額にそっと添えられたまま、静かな呼吸のリズムで魔力を送り続けていた。


 彼の胸が、かすかに上下する。


 数秒。

 数十秒。


 そして——



「……ッ……は……」


 微かに開いた唇から、熱のこもった息が漏れる。

 まぶたがかすかに震え、重たそうにゆっくりと持ち上がった。


「……セラフィーヌ……嬢……?」


「っ……目、覚めた……!」


 リミュエールの声が震え、張りつめていた胸の奥が、ふっとほどける。


 白い天井の光をぼんやりと見つめながら、クローディア=ローゼンベルグは静かにまばたきをした。

 その顔に、わずかな困惑と疲労が滲んでいる。


「……よかった。目を覚まされて、本当に」


 そっとかけられた声に、クローディアは戸惑うように眉を寄せた。




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