第51話 なぜこの体勢なんだ……っ
「どうした? ひとりごとか?」
レオナートが首をかしげながら心配そうに覗き込む。
「……ううん。なんでもない。ただ、ちょっとボーッとしてただけです」
そう答えたものの、リミュエールの胸の奥には、ぬぐえない違和感が残っていた。
「ならいいけど。集中力の欠如は、怪我の元だぞー。気合入れろよ」
レオナートの声が、なぜか遠く感じられる。
リミュエールはぼんやりと天井を仰ぎながら、胸の中に残された不思議な余韻を、じっと見つめていた。
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放課後の生徒会室。
西の窓から射し込む夕陽が、書類の山と魔力式の光に照らされ、乱雑な影を床に落としていた。
中は、昨日に引き続き戦場だった。
風属性の書記・ウィステアはスケジュール表と睨み合い、
氷属性の会計・ノエルは浮遊する数字式を黙々と組み直している。
火属性の広報・スカーレは、刷り上がった大量のポスターに魔力定着をかけ、
雷属性の庶務・ライゼは模擬戦の進行表を片手に、補助魔法を張っていた。
「……今日もカオスだな」
呟いたリミュエールに、土属性の副会長・グランは黙って顎を引いて応えた。
その中心。
生徒会長、クローディア=ローゼンベルグは、一人で数式入りの魔導文書を精査し、承認印を次々と押していた。
だが——リミュエールは気づいていた。
指先が微かに震えている。
紫水晶のような瞳の奥に、焦点の揺らぎが滲んでいた。
(まずい……)
次の瞬間——
魔力式のひとつが破裂音とともに弾け、光の閃きが室内に走った。
「会長……!」
クローディアの体がふらりと前のめりに崩れ——
「危ないッ!」
リミュエールは、反射で身体を駆動させていた。
全力で駆け込み、そのまま彼を抱きとめる。
頬に触れた体温はひんやりと冷たく、肩越しには浅い呼吸音が聞こえてくる。
「クローディア……!」
「会長!?」
「大丈夫ですか!?」
生徒会メンバーたちが駆け寄るなか、リミュエール=セラフィーヌは迷いなく、彼の体をすくい上げた。
すっ——と無駄のない動作で。
そう、お姫様抱っこで。
「保健室、行きます! みんな、後はお願いします!」
ぐっと腕に力を込める。
筋肉の張りが制服越しに浮かび上がる。
すらりとした少女の外見には似つかわしくない、芯のある強さだった。
驚きとざわめきが生徒会室を包む。
「えっ……持ち上げた!?
「しかも、軽々と!?」
「いやいや嘘でしょ!」
抱えられた当の本人、クローディア=ローゼンベルグは、うっすらと目を開けて呻く。
「……ま、待て。なぜこの体勢なんだ……っ」
「状況判断の結果です! 緊急搬送に最も適した姿勢と判断しました!」
「いや、せめておんぶでは……ッ!」
「重心の安定性、視界確保、呼吸の妨げ──このフォームが最良と判断しました!」
──ドンッ!
扉が勢いよく開かれ、リミュエールは風のように廊下を駆ける。
お姫様抱っこで、全力疾走。
その光景を目撃した生徒たちは、ほぼ例外なく足を止め、唖然とした。
「え……ええ!? 今の、会長……!?」
「抱っこ……されてる……? なんで令嬢のほうが抱えてんの……!?」
「ちょっと待って、誰か記録魔導具回して……ッ!!」
爆走するリミュエールの足取りは真剣そのものだった。
(こんな状態……放っておけるわけがない……!)
「いや、もう……降ろせ……せめて地面に足を……」
「ダメです! 今の状態での自立行動は、危険と判断されます! 搬送続行!」
なすすべもなく抱きかかえられたまま、クローディアは脱力し、静かに目を閉じた。
(……終わった……)
そう、生徒会長の心には静かに『社会的死――貴族令息としてのメンツの死』の鐘が鳴り響いていた。
一方のリミュエールは——
「大丈夫です会長! 安心してください! 筋肉は裏切りません!」
そう断言しながら、廊下を全力で突き進むのであった。
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保健室。
柔らかいベッドの上に、クローディアをそっと寝かせた後。
リミュエールは深呼吸を一つして、静かに目を閉じた。
(落ち着け、リミュ。思い出せ。アウルが言ってた。魔力漏れへの応急処置……)
呼吸に合わせて、特定の波長を持つ魔力を流し込む補助魔法。
元は医療分野の魔導療術で、アウルが言っていた「簡易的な対処法」だ。
(大きく吸って、細く吐く……)
自分の鼓動を落ち着けるように、胸に手を当てた。
雷の魔力を、限界まで穏やかに、研ぎ澄ませる。
「……ちょっと失礼」
リミュエールはゆっくりと右手を伸ばし、クローディアの額にそっと触れた。
その掌から、静かな魔力が流れ出す。
雷の属性とは思えないほど繊細で、まるで春の雨のような感触だった。
空気が、ほのかに震える。
魔力の波が、クローディアの体内にじわりと染み込み、乱れた流れをゆっくりと整えていく。
リミュエールの手のひらは、彼の額にそっと添えられたまま、静かな呼吸のリズムで魔力を送り続けていた。
彼の胸が、かすかに上下する。
数秒。
数十秒。
そして——
「……ッ……は……」
微かに開いた唇から、熱のこもった息が漏れる。
まぶたがかすかに震え、重たそうにゆっくりと持ち上がった。
「……セラフィーヌ……嬢……?」
「っ……目、覚めた……!」
リミュエールの声が震え、張りつめていた胸の奥が、ふっとほどける。
白い天井の光をぼんやりと見つめながら、クローディア=ローゼンベルグは静かにまばたきをした。
その顔に、わずかな困惑と疲労が滲んでいる。
「……よかった。目を覚まされて、本当に」
そっとかけられた声に、クローディアは戸惑うように眉を寄せた。
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