第7話 百合の花が好き

七海中学1年 僕中学2年 

6月──


僕の家は、埼玉県南部の市にある。


まわりは畑だらけの地域。


うちはごくごく普通の中流家庭。


この家は母方の祖母からの遺産相続で得たもの。


僕のお母さんのお母さん、つまり、僕のおばあちゃんが亡くなったから、お母さんがこの家を相続したんだ。


おばあちゃんは僕が生まれた年に亡くなった。


木造2階建ての築50年の家屋。

約30坪ほどの庭がある。


家はリフォームをして、そこそこ今風で小綺麗になっている。


この辺は田舎だから、僕の家もそれなりにゆったりとした造りだ。

これくらいの庭がある家は標準だ。


うちの庭で、

お母さんはプランターで家庭菜園を、お父さんは盆栽をしている。


花壇には、世話をしなくても育つツツジやバラ、アイリスなどが雑多に植えられている。


そして、今年もたくさん百合の花が咲いた。


僕は、お父さんとお母さんに聞いてみたが、誰も百合など植えていない…という。


いつの間にか、うちの庭に自生していたのだ。


「種子が近隣から飛んできて、ウチに根付いたんじゃないか」と、お父さんは言っていた。


この百合の存在を発見してから何年か経つが、年々少しずつ増えて、今ではちょっとした百合の群生になっていた。


七海「今年もいっぱい百合が咲いたわ。お部屋に飾ろうかな。

たくさんあるから、いっぱい摘んじゃおう」


七海は好きなだけ百合の花を摘んで、花瓶に活けた。


そして、居間のテーブルに飾った。


家中に甘い百合の花の香りが満ちていた。


七海「いい匂い。私、百合の花が1番好き」


自分の飾った百合の花にご満悦な七海は、居間で宿題をやっていた。


英慈「ただいま〜」


僕は居間に行った。


僕は、テーブルの上の、花瓶に溢れるくらい活けてある百合の花を見た。


七海「お帰り、お兄ちゃん」


英慈「どうしたの? これ」


七海「うちの庭の百合だよ。

たくさん咲いてたから、取ってきたの」


英慈「百合の匂いスゲーな。

玄関まで匂ってきてたよ。 

誰も植えてないのに、あんなに増えてすごいよな。自然の力って」


僕は鞄を居間にドサッと置いて、手を洗いに行った。


英慈「あ〜、腹減ったな〜。なんかないかな〜」


僕は台所に行き、お菓子の入っている段ボールの中をガサガサとあさった。


英慈「おっ! ポテトチップスあるじゃん!」


僕はテーブルについて、ポテトチップスの大袋を開けて、バリバリ食べた。


七海「あー、もう! お兄ちゃん、うるさい! 集中できない!」


英慈「なんだよ、七海。

おまえ、今何やってんの?」


七海「学校の宿題で和歌、作ってるの」


英慈「和歌ぁ?! 何それ?」


七海「万葉集の和歌を勉強したの。

それでね、素敵な和歌を見つけちゃったの」


英慈「へえ、どんなの?」


僕はお腹が空いていたから、ポテトチップスを


ムシャムシャ、

バリバリバリ!


七海「もー、音、うるさいよー!

……まあ、でも、読んであげるよ。

この素敵な和歌を」


僕はお構いなしに、ポテトチップスをムシャムシャ。


七海は歌を詠んだ。



『夏の野の、茂みに咲ける、姫百合の、知らえぬ恋は、苦しきものぞ』



七海「…っていう、和歌なんだけど」


英慈「何それ? 訳わかんねーよ。

中1なのに、和歌なんてやるのか?」


七海「うちの学校、選択授業で、好きなことを学んでいいんだよ。自由課題なの。

私、万葉集に興味があって」


英慈「ふぅん。そうなんだ。

それで、どんな意味なんだよ」


七海「『野の茂みにひっそりと咲いている姫百合のように、人に知られない恋は苦しい』


…って意味なんだ」


英慈「へぇ…ずいぶん大人びてる内容の歌だな。七海らしくないじゃん」


七海「そうかな。

『人に知られない恋は苦しい』っていうところに、グッときちゃった。

あと、

『ひっそりと咲いている姫百合のように』っていうところ」


英慈「…ふぅん」


僕はその時、七海が一瞬大人びた顔になっていたのに、ドキッとした。


七海「私、花の中で、百合の花が1番好きなんだ。香りもいいし、上品で凛として綺麗だから。

最初はさ、百合の花の和歌だから、目に留まったんだけど。

人に知られない恋…について言ってるから、よけい惹かれちゃって」


英慈「………」


僕は大人びた七海の言葉に、なんて返していいかわからなかった。


だから、黙っていた。


七海「なんか、この和歌、私みたいだなって思ったんだ…」


英慈「えっ?」


七海「…………」


英慈「おまえ、誰かに片思いしてるってこと? この和歌みたいに、人に知られないような恋をして苦しいってこと?」


七海「さあね、どうかな」


ドキッ!


また、一瞬、大人びた顔をした。


ポテトチップスを食べる手が止まった。


絶対にそうだ。


そうに違いないんだ。


好きな男がいる。


絶対に!


僕は、七海が誰に片思いしているのか、すごく気になった。


妄想が広がった。


この和歌のように、それは人に知られてはいけない恋なのか?


もしかして…!


先生とか?


結婚してるイケメン教師とか?


そいつに片思いをしている?


そう考えると、辻褄があう。


いや、違う。

友達の彼氏に横恋慕とか…もありうる!


いったい誰なんだ?!


七海の片思いの相手は!


いや、これは単なる想像にすぎない!


落ち着け! 英慈!

落ち着け!


僕のかわいい妹が…


「いつか誰かとつきあってしまうのだろう」と、覚悟はしていた。


僕の手から離れて。


それは仕方ない。


兄として、その時がきたら潔く、妹の幸せを快く祝福しようと、心積もりはしてきた。


本当は誰にも渡したくないけど、半分妹なんだから、仕方ない。


その時がきたら、祝福するんだ。


七海だって、もう思春期だ。


好きな男がいたって、不思議じゃない。


でも…

「もうその時が近づいてるんだな」と思うと、寂しくなった。


英慈「おまえ、誰に片思いしてるんだ? 

お兄ちゃんでよかったら、相談に乗るぞ」


七海「………。いいよ、別に」


英慈「遠慮するなよ。

妹の悩みを聞いてやるのも、兄としての役目だからな」


七海「別にいいってば!

しつこいよ! お兄ちゃん!!」 


英慈「なんだよ、せっかく相談に乗ってやろうと思ったのに。

おまえに男の気持ちなんてわからないだろ。

だから、相談に乗ってやるって言ってるんだよ!

どうすればうまくいくのか、さ」


七海「よけいなお世話だよ! 

もう! お兄ちゃんが来たから、ぜんぜんはかどらない!

自分の部屋でやるから!」


七海はプンプン怒って、自分の部屋へ行ってしまった。


英慈「なんだ、アイツ、感じ悪っ!」


七海が去ってしまうと、

僕は再び、大袋に手を突っ込み、ポテトチップスをバリバリ食べた。


◆◆


夜7時過ぎ──


お母さんが保育園から帰ってきた。


お父さんも早く帰ってきた。


今日は、珍しく家族4人が全員揃った晩ごはんだった。


今日は僕が晩ごはんの支度をした。


今日のメニューはハンバーグ。


お母さんは急いでエプロンをつけて、僕を手伝ってくれた。


夜8時──

ごはんができた。


お父さんと七海が台所に来た。


みんな、揃って席についた。


一同「いただきます!」


父「今日はハンバーグか〜。

英慈が作ったのか。食べるの楽しみだな〜。

英慈の料理はうまいからなぁ」


母「あら、お父さん。私の料理はマズイっていうの?」


父「い、いや! そんなことないよ!

お母さんのは格別だよ!」


お父さんは慌てた。


お父さんはお母さんがちょっぴり怖いのだ。


お母さんの機嫌を損ねないように、お父さんは

話をそらした。


父「なんか百合の花の匂い、すごいな。

どうしたの」


七海「私が庭から取ってきて、飾ったの」


七海「私、百合の花が好きなの。凛として、綺麗だから。

百合の花言葉は、『純粋』とか『無垢』なんだよ。

なんか私みたいでしょ」


英慈「何が『純粋』だよ〜!」


七海「うるさい! お兄ちゃん!」


母「ねえ、向こうの方からも匂ってる気がするんだけど」


七海「あ、うん。仏壇にも飾っておいたから」


父「偉いな。七海は。ご先祖様にも、飾ったのか」


七海「うん。もし私が死んだら、百合の花をお供えしてね」


英慈「えっ?!」


父「おい! 七海! 縁起でもないこと言うなよ!」


母「そうよ! 変なこと言わないでよ! 七ちゃん!」


英慈「なんでそんなこと言うんだよ!」


みんなして、すごい勢いで七海を怒った。


みんな、七海を大切に思っていたから。


そんな不吉なこと、聞きたくなかった。


七海「えっ、冗談だよ!

やだなぁ〜! みんな、そんなにムキになっちゃってさぁ〜!」


英慈「冗談でもそんなこと言うな!

バカッ!! 本当にバカだな!

七海は!!」


母「そうよ! 言っていい冗談と、悪い冗談があるわよ! 七ちゃん!」


父「そうだぞ! 七海! そんなこと言っちゃダメだ!!」


七海「ごめん。お父さん、お母さん。お兄ちゃん。

そんなに怒るなんて……。

なんとなく言っただけだから」


父「なんとなく、『死ぬ』なんて言うな! そんなバカなこと!!」


母「そうよ、七ちゃん。

そんなこと言っちゃダメよ。

わかった? 七ちゃん」


七海「うん。ごめんなさい…」


七海はみんなに怒られてシュンとしたが、自分が家族みんなに愛されているのがわかって、嬉しかったみたいだ。


七海は時々、わざと、家族の気を引くような、ドキッとすることを言う。


きっとそうすることで、自分への家族みんなの愛情を確認したんだと思う。


なぜなら、七海は途中から家族になったのだから。


自分が、家族として大切に思われているのかどうかわからず、自信が持てないのかもしれない。


そんなことないのに。


みんな七海のことを大切に思っているよ。

家族の一員として。


だから、今、七海はみんなの愛情を確認できて、ホッとした違いない。


なんていじらしい七海…


捨てられたトイプードルみたいに可愛いんだ。


垂れた大きな目…

さくらんぼみたいなプクッとした唇。

その可愛い顔が僕に同情を誘うんだ。


僕はどうしようもなく、七海を愛しく思ってしまう。


僕はますます七海が好きになり、

容赦なく…七海は

僕の心に住みついていったんだ…。

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