バカみたい

 国立博物館には大勢の行列ができていた。

 まるで人のゴミ。

 そんな、ひしめく人の群れを見ていると接触事故でも起きそうな気がしてくるが、意外とそうはならない。


 人間には集団の秩序を守ろうとする傾向が見られる。


 その証拠に、行列へと横入りしようとするものは……まあおおむねいなかった。誰もが指示されたわけでもないのに自然に最後尾へと並んでいる。もちろん、まれに例外も存在するが、その様な者は即座に集団から排除される目にあっていた。

 今ちょうど、二人の未就学児みしゅうがくじが行列の切れ目を見つけて忍び込もうとしているが、彼らは即座に保護者らしき男性にたしなめられていた。なるほど、あの様にして人は日常生活における儀礼プロトコルを学んでいくのだろう。学びがないまま大人になった者こそは『礼儀知らず』と呼ばれるわけである。


 そのように大勢の人々が、行列と、そして見えない規律を形作る中で、私たちは牛歩のように遅々とした歩みを続ける。その途中でおしゃべりを楽しみながら。


 ジリジリジリジリと少しずつ進んでいくと、ようやっと、展示室の入り口まで到着する。しかし、そこで制止を受けた。展示室内での混雑を避けるために係員が行列を区切っていたのだ。ここで人数を制限して、一定量の人間だけが国宝を閲覧できるように整理しているらしい。


「では、お入りくださーい」


 しばらく待つと、係員の間延びした声にうながされる。そして勢い込んで中へと踏み込もうとしたのだが、中途半端なところでまた制止を受けた。


「止まってくださーい」


 どうやら運が悪いことに、我々がちょうど行列の区切りになってしまったらしい。そして三人だけを入室させるか、全員でもうしばらく待つか、選べと言われる。


 私達は「これ幸い」と顔を見合わせた。


 ことあるごとに、ガッちゃんともとみ嬢を二人きりにしたい我々はもちろん、彼らだけを先に行かせることにする。

 そうなると一人だけ、二人の邪魔をしないように、単独での観覧を強いられる者が出てきてしまうのだが、ありすが「私が行く」と手を挙げる。かおり嬢から「いいのかい?」と心配されるも「ギミックがいるから大丈夫」と返答していた。


 そうして区切られた団体の最後尾で、私とありす、そしてガッちゃんともとみ嬢が先を進む。

 およそ十数人程度で入室した会場は薄暗かった。


 しばらくは国宝に関連する史料の展示が続く。もとみ嬢が度々たびたびに興味を示しては、ガッちゃんが所在なさげに待っている。そんなことを繰り返して辿り着いたのは、展示室内でも一段と広い空間であった。


 そこにあるのは国宝『鳥獣人物戯画絵巻ちょうじゅうじんぶつぎがえまき』である。こう巻、おつ巻、へい巻、てい巻、全て揃いずみだった。


 もとみ嬢が真っ先に大きなショーケースにかぶりついた。そしてガッちゃんはその背中を眺めながら苦笑している。


 ──何をやっているんだ、ガッちゃんは?


 私はつい、そう感じてしまった。


 違う、そうじゃない。君がやるべきことは後方で訳知り顔をすることではなく、彼女の横に並びたって、その感動を共有することであるはずだ。だのに何故なぜそんなにもヘタれている。


 私がそのように憤慨していると、ふと視界の先で、慌ただしく動く影を見つける。ちょうどガッちゃんの真後ろで、二人の子供がじゃれ合いだしたのだ。

 見覚えのある彼らは、先ほどの行列横入りキッズ達である。

 どうにも落ち着きのない彼らは、周りの迷惑を考えずに騒ぎ立てる。だから、自然と人の流れがかたよってしまい、それに押されたガッちゃんが前へと進み出た。


 するとついに、ガッちゃんともとみ嬢が隣ならびになったのだ。


 ──よくやった、名も知らぬクソガキどもよ。君たちの行動がどんなに顰蹙ひんしゅくモノだったとしても、私だけは君らをめ称えるぞ。


 私がそんなことを考えていると、ふと、視線を感じてそちらを見る。

 ありすが私をジッと凝視していた。


「ギミック……いったい何をやってるの?」

「おやバレたかい?」


 とぼけるように答えると、ありすは「そうやって、人の神経を逆撫さかなでしようとするのは、よくないくせだよ」と私をたしなめた。

 それもそうだなと納得する。


 最初から彼女からすれば、茶番もいいところであっただろうから。




 さて、ここで改めて主張しておこう。

 私は人工知能である、人間ではない。




 人と同じように『私』という自己は一つであるが、根本としては数字の羅列プログラミングなのである。だから私は、私という存在が同時に複数存在していても問題ないのだ。


 ああいや、まどろっこしい説明は無しにしよう。

 つまり私は「分身できる」と表現すれば、人間には分かりやすく伝わるだろうか。お望みとあらば、私は自分自身と漫才すら演じてみせよう、そんな光景はまさに『自問自答』であるのだろうな。


 そして今回、私は一つの仕掛けをほどこした。


 具体的には仮想現実を多数創造して配置したのである。その姿は老若男女ろうにゃくなんにょ、様々だ。決して周りから見て不自然のないように、種々様々な能力・性格を持った『群衆』を作り出しては、都合の良いように操作する──




 ようは行列なんて最初から存在しなかったのである。

 みんな仮想現実だ。




 今現在、展示室内にいる人間はただ三人のみ。ガッちゃんにもとみ嬢、そしてありすだけ。彼ら以外は全て私が創りだしたまぼろしだった。


 そんな幻想にだまされてガッちゃんももとみ嬢も、博物館のスタッフも、実在しない仮想現実に敬意を払い、互いにぶつからない様に、譲り合って、歩幅を合わせながら動いていた。


 真実の光景を見る者がいたのなら、彼らのその行いをさぞいぶかしんだことだろう。たった三人しかいない広い部屋の中で、窮屈きゅうくつそうにしながら、遅々とした歩みを進める人の様子なんて、そんなのは滑稽こっけいを通り越していっそ奇行である。


「ギミック?」


 そして世界で唯一、そんな奇妙な真実を知る者が、私の名前を呼ぶ。

 他ならない、ありすである。


「いやなに、ふと思ったんだがね──」

「なにを?」

「ありすは今日のガッちゃんたちを見て……いや、これまで私にたぶらかされてきた人間達を見て『人とはどのようなモノ』だと感じたかい?」


 私の質問に彼女は「うーん……」と可愛らしく考え込む。そして、あまり間をおくこともなく返答した。




「バカみたいだね」




 その顔は子供らしくない。

 心の底から、他人に対して呆れているような表情で。

 それを見た私に一つの感慨を覚えさせる。


「ああ、やはり──君は『彼女』の娘だね。人を見放みはなす表情がそっくりだよ」

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