【24-1】新たな不審死(1)

その日の夜8時頃。

山崎綾乃やまざきあやのはコンビニのアルバイトを終えて、自宅に向かっていた。

店は自宅から自転車で7、8分の距離にあり、定期的なアルバイト先としては都合が良かったので、大学に進学してから既に一年以上続けているのだ。


自転車を漕いで夜道を走りながら、彼女は店を出る時にすれ違った男性客のことを気にしていた。

その客は時折酔って店に立ち寄るサラリーマン風の中年男性で、些細なことでくどくどとクレームをつけて来るので、アルバイトの間ではかなり評判が悪かったからだ。


――あのおじさん、今日は結構酔ってたな。

すれ違いざまに見た客の様子は足元がふらついていて、かなり危なっかしかった。

あの様子では、また難癖をつけて来そうな気がして、今シフトに入っている子に同情したくなったのだ。


そして自宅まで残り僅かの場所まで来たところで、綾乃は店に忘れ物をしてきたことに気づいた。

明日提出するレポートを入れたケースファイルを、店に置いて来てしまったのだ。


綾乃は店に取って返すことにして、自転車を方向転換し元来た道をコンビニに向かって走り出した。

そして前方に大きなコンビニの看板が見えた時、丁度店から出てくる客の姿を認める。

それは先程すれ違った男性客のようだった。


綾乃が自転車で近付いて行くと、男性は先程と同様ふらついた足取りでこちらに向かって来る。

そして彼女が関わり合いにならないでおこうと、男性を大きく避けて自転車で通り過ぎた直後、背後でドスンという大きな音がしたのだった。


その音に驚いた綾乃が、自転車を止めて振り向くと、今すれ違った男性が路上に倒れているのが見える。

――あちゃあ。おじさん、酔っぱらって倒れちゃったよ。どうしよう。


綾乃は束の間躊躇したが、あのまま放置する訳にもいかないと思い、自転車を停めて倒れた男性に近づくと、「大丈夫ですか?」と声を掛けた。

しかしその声はすぐに悲鳴に変わる。

仰向けに倒れた男性の様相が、あまりに異常だったからだ。


***

県警本部から丁度帰宅しようとしていた鏡堂達哉きょうどうたつや於兎子おとこ夫妻は、通報を受けて現場に急行する。

真田俊一さなだしゅんいちはその日非番だったので、二人で現場に向かったのだった。


現場には既に〇山署から、末松啓介すえまつけいすけを筆頭に数人の刑事たちが到着していて、制服警官に指示して現場の保全を行っていた。


鏡堂たちと前後して現着した鑑識班の小林誠司こばやしせいじは、

犯人ホシも犯行時間を考えて欲しいよな」

とぼやきながら、現場検証の準備に掛かっている。


「まだ事件だと決まった訳じゃないよ」

鏡堂は小林に声を掛けると、倒れた男性を取り囲むように立っている末松たちに近づいて行った。

彼に気づいた末松は、何とも言えない表情で口を開く。

「ああ、鏡さんか。ご苦労さん。

まあ、兎に角死体ホトケを見てくれや」


その言葉の意味を察した鏡堂は、路上の遺体に目を向けた。

遺体の状態は、一目見て分かるほど異常だった。

グレーのビジネススーツ姿の遺体は、見事に萎んでいたのだ。

皺だらけになった顔や手の色は、薄い茶褐色に変わっている。


それを見た途端、鏡堂は天宮と互いに顔を見合わせた。

明らかに先日<小田ハイツ>で発見された小松宗吉こまつそうきちの遺体と、同じ様相を呈していたからだ。


そして天宮の顔には、新たな犯罪を阻止出来なかったという悔恨と同時に、強い困惑の色が浮かんでいた。

――この事件の犯人は、<小田ハイツ>の人間ではないのだろうか?

――あるいはこの遺体も、<小田ハイツ>の関係者なのだろうか?


唇を結んで黙り込んだ彼女の傍らでは、鏡堂と末松たちのやり取りが続いていた。

「この状態だと、身元の特定がかなり難しいかも知れませんね」

「いや、そうでもないんだよ」


そう言いながら末松は、傍らに立った加藤和夫に目で合図する。

すると加藤はビニール袋に入れた証拠品を持ち上げて、鏡堂たちにかざして見せた。


「この名刺入れの中の名刺を見ると、ガイシャは代田重樹。

市内の保険会社に勤める会社員のようだね。

尤もこの名刺が、本人のものだという前提の上だけど」


加藤の説明に頷いた鏡堂は、

「だとすると、ガイシャの自宅でサンプルを採って、DNA鑑定が必要だってことですね」

と末松に念を押す。


それに頷きながら、末松も彼の言葉に付け足した。

「まあ司法解剖も必要だろうね」

その言葉を聞きながら天宮は、また国定淳之介くにさだじゅんのすけの仏頂面を拝まなければならないのかと思い、少しウンザリした気分になるのだった。


「兎に角、現場検証が先だね。

死体ホトケの方は鑑識に任せるとして、うちの者は周辺の遺留品を当たってみるわ。

鏡さんたちは、第一発見者の話を聞いてくれるかな?」

そう言って末松は、少し離れた場所で制服警官に付き添われて立っている、若い女性に目を向けた。


鏡堂は彼に肯くと、天宮を促してその女性の方に歩み寄った。

近づいてみると、その女性は気の毒な程焦燥している。

――あんなホトケを見たら当然だろうな。

鏡堂は彼女の様子に同情しながら、出来るだけ抑えた口調で話し掛けた。


「〇〇県警捜査一課の鏡堂です」

そう言いながら目で天宮を促すと、彼女もすかさず女性に声を掛けた。

「〇〇県警捜査一課の天宮です。

少しお話を伺ってよろしいですか?」


女性は最初長身の鏡堂に話し掛けられてびくりと身体を固くしたが、天宮を見て安心したのか、無言で肯いた。

その様子を見た天宮は、出来るだけ優しい口調で話し掛けるのだった。


「先ずお名前をお訊きしてよろしいですか?」

「山崎、山崎綾乃やまざきあやのです」

「山崎さんですか。ご職業は?」

「学生です。〇山大学の二回生です」


「ああ、学生さんですか?

この近所にお住まいなんですか?」

「はい」


少しやり取りしたことで、山崎綾乃も少し落ち着いてきたようだ。

声の震えがなくなって、俯いていた顔が心持ち上を向く。

その様子を見計らった天宮は、おもむろに発見時の状況について質問を始めた。


「山崎さんがあの倒れている男性を、発見された時の状況について、お聞かせ下さい。

まず山崎さんがここを通り掛かったのは、偶然だったのでしょうか?」


「違います。

私、あそこのコンビニでバイトしてて、8時で上がりだったんです。

それで家まで戻る途中で、店に忘れ物したのに気づいて、引き返して来たんです」


「ああ、あのコンビニでバイトされてるんですね。

それで山崎さんが引き返して来られた時には、もうあの男性は道に倒れていたんでしょうか?」


「いえ、私がコンビニの近くまで戻ってきた時に、あのおじさんが丁度店から出てきたところだったんです。

そしておじさんとそこですれ違ったら、後ろで音がして。


何だろうと思って振り返ったら、おじさんが倒れてたんです。

びっくりして声を掛けたら、あんな怖いことになってて」


そこまで話して遺体の状況を思い出したらしく、山崎は絶句して下を向いてしまった。

「ああ、それは大変でしたね。

嫌なことを思い出させてしまって、ごめんなさいね」

天宮はそう言って山崎を宥めると、質問を続ける。


「申し訳ありませんが、もう少しだけ訊かせて下さい。

今山崎さんはあの男性のことを<おじさん>と呼ばれましたが、もしかして面識がある方なんでしょうか?」


「はい、名前は知りませんけど。

あのおじさんは、偶に店に来るお客さんだったんです。

今日も私が帰る時に店に入っていって、戻ってきた時に丁度店から出て来たんです」


「そうなんですね。

よく顔を憶えてましたね?」

天宮に訊かれた山崎は一瞬答を躊躇したが、すぐに思い直して続けた。


「あのおじさん、バイトの間では評判最悪だったんですよ。

いつも店に来る時は酔っぱらってて、ちょっとしたことで絡んで来るんです。


だから皆顔を覚えてて、店に入って来たらすぐに店長を呼ぶようにしてたんです。

今日もかなり酔っぱらってるようでした」


「分かりました。

ところで先程のお話ですと、あの男性は店から出て山崎さんとすれ違った直後に倒れたということでしたが、それまでは自分の足で歩いていたんですね?」


「はい。かなりふらついてましたけど、自分で歩いてました。

でも、あれって何なんですか?

どうして一瞬で、あんな怖いことになるんですか?」

再び遺体の状況を思い出して、綾乃は怯えた声で尋ねる。


「それについては、これから詳しく調べる予定です。

申し訳ありませんが現時点では、はっきりしたことはお答え出来ないのですよ」

天宮がやんわりと返すと、綾乃は余り納得のいかない表情で頷いた。

それ以上訊いても無駄だと思ったのだろう。


天宮は鏡堂に目配せすると、彼が小さく頷くのを見て、綾乃からの事情聴取を切り上げることにした。

「山崎さん、ご協力ありがとうございました。

また何かお訊きすることがあるかも知れませんので、ご住所を教えて頂くことは出来ますか?」


天宮のその要請に綾乃は素直に肯くと、自宅住所を教えてくれた。

それを手帳に書き取った天宮は、再度綾乃に礼を述べて彼女を開放したのだった。

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